第10話 お小遣い稼ぐのつきあって

 あんなに欲しがっていた、はしご車のミニカーなのに、拓夢たくむは少し遊んだだけで放り出してしまった。そしてベッドに寝転がったまま、「ジュース飲みたい」とねだった。

「たっくん、ジュース朝からもう二本も飲んだから、こんどは麦茶にしようね」と幸江ゆきえママが言っても、「やだ、ジュースでないと飲まない」と繰り返す。下のコンビニまで買いに行くのは簡単な事だけれど、それが拓夢に良いわけではないと十分判っているので、花奈子かなこは「じゃあ、私は麦茶を飲もうかな」と言ってみた。案の定、何でも真似をしたがる拓夢はちょっと気持ちが動いたみたいで、花奈子の方をじっと見ている。

「それじゃみんな麦茶にしようね」と幸江ママが宣言して、ストローつきの拓夢のコップにペットボトルのお茶を入れる。花奈子はその間に自分と幸江ママの使う紙コップを用意した。

 日本ではまだ正式に使用が許可されていない薬を、拓夢は先週から使い始めた。効き目が強い代わりに副作用も激しいらしくて、ここ三日ほど熱が下がらないのだ。そのせいでずっと機嫌が悪いし、幸江ママが少しでも傍を離れると大声で泣くらしい。

 だからママはずっと病院にいて、あとはできるだけお父さんが交代したり、花奈子が着替えや荷物を運んだりしているのだ。でも、やっぱり一番大変なのは拓夢自身だと思いながら、花奈子は麦茶を飲む小さな弟を見ていた。

 寝乱れた柔らかな髪、まだ涙の雫が残っているように見える、長いまつ毛、苦しい時でも決して光を失わない大きな瞳。丸い頬は熱のせいでりんごのように赤い。

 小児病棟の四人部屋。真夏の昼下がりなのに窓は閉め切られ、ブラインドが下ろされ、エアコンがよく効いている。隣のベッドには六年生ぐらいの女の子がいる筈だけれど、いつ来てもカーテンが引かれていて、ほとんど顔を見たことがない。もう一つのベッドには小百合ちゃんという一年生の子がいて、この子は拓夢とよく遊んでくれる。そしてもう一つのベッドにいた泉ちゃんは、アメリカで移植手術を受けるために先週出発して、今は空きになっている。

 拓夢はもう長いこと入院と退院を繰り返しているけれど、大体いつもこの部屋にいる。そして今までに二回、とても具合が悪くなって、集中治療室に入ったことがある。もうあの時のことは思い出したくないけれど、みんな心の底ではいつも、またあんな風になったらどうしようと、不安を抱えて拓夢を見守っているのだった。


 麦茶を飲んだら気分も落ち着いたのか、拓夢はうとうとし始めた。ここでお昼寝してくれると幸江ママも助かるに違いない。花奈子は拓夢から見えない場所にそっと移動すると、「じゃあ、行くね」と小声で言った。幸江ママも目だけで「ありがとうね」と返してくれて、花奈子はそのまま静かに病室を後にした。

 階段を降り、外来の患者さんもまばらになったロビーに行くと、ショートパンツから伸びた長い脚を組んで、タブレットを見ている美蘭みらんの姿が自然と目にはいった。まるで彼女のいる場所だけスポットライトが当たっているかのように、視線が吸い寄せられてしまうのだ。

「お待たせ」と声をかけると、美蘭は顔を上げ、「もういいの?もっとゆっくりして来ればいいのに」と言った。

「お昼寝しそうだったから、こっそり抜け出してきた」

「そっか」と頷いて、美蘭はタブレットの画面を閉じると、隣の椅子に置いていたバッグに無造作に放り込んだ。

亜蘭あらんは?」

「たぶん外のコンビニじゃない?あいつ病院苦手なのよ。怖がりだから」

「病院が好きな人なんていないよ」と言って、花奈子は洗濯物や何かの入ったボストンバッグを肩にかけ直した。


 外に出ると一気に熱風が吹きつけてきて、花奈子と美蘭は思わず「うわぁ」と声を上げていた。ここから駐車場まで、ほとんど日陰になる場所がない。

 明日東京に帰るから、今日ちょっと会おうよ、と誘われたのはいいけれど、花奈子は病院に荷物を届けないといけなくて、だったら送ってあげるよ、と美蘭たちの車でここまで来たのだった。電車に比べると時間は大差ないけれど、大きなバッグを抱えて歩き回らずにすむのですごく楽だ。

 どうやら亜蘭はコンビニで雑誌を立ち読みしながら、外を見ていたらしい。気がつくと花奈子たちに追いついてきていた。

「ほら、あんた花奈子の荷物持ちなさいよ」と、美蘭に促されて、彼はボストンバッグを持ってくれようとした。「大丈夫」と断ろうとしたら、「持たせてやってよ。こういう練習しないと、本当に気の遣い方ひとつ判らないんだから」と美蘭は懇願する。

 とはいえ、亜蘭が手にすると、花奈子が持て余し気味だったバッグが一回り小さくなって、随分軽くなったように見えるから不思議だ。彼はそのまま二人を追い抜いて、先に歩いて行ってしまった。

「ゆっくり行こうね。どうせ車ん中は蒸し風呂なんだから」と美蘭は共犯者めいた口調で小さく耳打ちする。

「亜蘭ってば、花奈子は僕のこと嫌いみたいだって、ぐちぐち言ってんの。なんか、近づくと離れてくとかってさ」

 そう言って美蘭はいたずらっぽく笑うけれど、花奈子は少し後ろめたい気持ちになった。

「別に、嫌いって事じゃなくて…」と弁解してはみたけれど、正直いって亜蘭のことはちょっと苦手だった。無口で、何考えてるのか全然判らないし、ほとんど笑わないし。それに何より、花奈子はこの前の痴漢事件以来、知らない男の人が傍に来るのが嫌な感じで、できるだけ距離をとろうとしてしまうのだ。

 亜蘭は美蘭の双子の弟だし、知らない人ってわけでもないのに、何だか少し怖い。でもやっぱり向こうもいい気分じゃないんだと思うと、自分が悪いという気がしてくる。

「いや、普通に嫌われてもしょうがないよ。あんな気もきかない、無愛想な奴。花奈子、別に私に気を遣う必要ないから、亜蘭がいない方がよかったら、言っちゃってよ」

 でも花奈子は、自分がもし拓夢の事をそんな風に言われたらすごく悲しいと思うので、「そんな事ないから」と否定した。さすがに、いない方がいいとまでは思っていないし、美蘭も亜蘭の事をあれこれけなしている割に、一緒にいた方が何となく勢いがある。

 駐車場では亜蘭が一足先に車のエアコンを全開にしていたけれど、そんなもので収まる暑さじゃなかった。

「まだ乗らない方がいいかもね」と、美蘭は車の傍に立ったままだ。その隣で花奈子は、ようやく見慣れてきた二人の愛車をあらためて眺めた。本当は寛ちゃんのフィアットみたいなのがよかったって言うけれど、何故か最新モデルのスポーツタイプで色は黒。近所ではほとんど見かけない感じだし、病院の駐車場で見ると更に違和感がある。

「まあ、乗りたい車は色々あるけど、スポンサーがこの辺りにしろって言うんだから仕方ないわ」

 スポンサー、というのが要するにこの車を買うお金を出した人らしくて、でも美蘭たちの家族ではないみたいだった。

 ようやく車のエアコンが効きだして、美蘭はドアを開けると運転席の亜蘭に「あんた、後ろ」と命令して、自分がハンドルを握った。行きは後ろに座っていた花奈子は、促されて助手席に座る。

「これからどうするの?」と、ダッシュボードから取り出したサングラスをかけている美蘭に尋ねると、彼女は「ちょっとお小遣い稼ぐの、つきあって」と言った。

「今日のうちに旅館の支払いするんだけど、カードじゃ駄目らしいから」


 一時間と少しは走っただろうか。花奈子にはその街が一体どこなのか見当もつかなかったけれど、美蘭はカーナビも使わずにすんなりと目的地に着いた。いや、カーナビの代わりに、亜蘭を使ったのだ。彼はまるで頭の中に地図でも入っているかのように、「右に曲がって」とか、「そこから二つ目の信号を左」とか、次々に道順を教えるのだった。

「すごいね。どうして判るの?」と花奈子が感心すると、美蘭は「人間、一つぐらい特技がないとね」と、事もなげに言った。

 そして車が停まったのは、静かな住宅街だった。真夏の昼下がりの、誰も歩いていない、時間が止まったような場所。そこは花奈子が住む町よりもお金持ちっぽいというか、まあ要するに道路が広くて、一軒の敷地も広くて、生垣や塀のおかげで中の様子が簡単には窺えなくて、おまけに門に防犯カメラがあったり、警備会社のステッカーが貼ってあったりという家ばかりだ。そのうちの一軒、二階に綺麗なステンドグラスの窓がある家の前まで来ると、美蘭はインターホンを押した。

「知ってる人なの?」

「初対面よ。でもまあ気後れすることないし、堂々とね」と、美蘭は微笑んでみせた。

「私、車で待っててもいい?」

「駄目。こっちは三人だって言ってあるんだから。ジュースぐらい出るって」


 その家で花奈子たちを迎えてくれたのは、ばあちゃんより少し若いぐらいのおばさんと、その娘だという女の人だった。二人はとてもよく似た顔立ちで、声や話し方も似ていた。

「もう一週間になるんです。他の業者にも頼んでみたけれど、結局何の手がかりもなくて」

 広い応接室に通され、よく冷えたマンゴージュースを出されて、花奈子はただぽかんと、目の前で起こる事を眺めていた。美蘭は名刺みたいなものを出すと自己紹介をして、亜蘭と花奈子の事も「スタッフです」と紹介した。そして「じゃあ、猫ちゃんがいなくなった時の状況を教えていただけますか?」と尋ねた。

「パフはずっとこの家の中で暮らしていた子ですし、今まで一度だって脱走なんてした事がなかったんです。でも、あの日はたまたまエアコンが故障して、朝から業者さんに来てもらっていて。臆病な子ですから、私の寝室でベッドの下に隠れているだろうと思っていたら、業者さんがドリルか何かを使い始めた途端、その音にびっくりして、作業のために空いていた窓から飛び出してしまったんです」

 娘さんが一気にそう言うと、お母さんが「本当に臆病な子でね、何かあるとそれだけで半日隠れているような子なんですよ」と念を押すように付け加えた。

「だから外なんて、怖くてたまらない筈なのに。ずっと帰って来ないのは、迷子になったとしか考えられないんです。もちろん、事故や何かの可能性も考えて、保健所には毎日電話していますが、全然手がかりがないんです」

 娘さんはとても心配そうで、話している間も猫の写真をじっと握ったままだった。ふっと暖かい風を感じた花奈子が首を廻らせると、猫が帰ってきた時のために、窓が少し空いたままになっていた。

「判りました。では、その写真と、あと、パフちゃんの首輪とか、身に着けていたものはありますか?」

「寝るのはいつも私のベッドですけど、昼間はよくこのクッションにのっていました」

 そう言って娘さんが差し出した、羊の形をした小さなクッションを受け取ると、美蘭はそれを亜蘭に渡した。彼はそれを膝に置くと、両手をのせて目を閉じた。花奈子は一体何が起こるのだろうと、ただ黙って見守るしかなかった。

 

 真夏の午後の日差しは容赦なく、アスファルトの照り返しも半端じゃない。花奈子は帽子のつばが作る小さな影の下から、美蘭の長い指が糸巻から繰り出す細い糸を見ていた。彼女はその端を自分のショルダーバッグのリングに結びつける。そして糸巻の方を何かの金具にセットしていた。よく見ると糸そのものは、ばあちゃんが使うミシン糸と変わりないようだ。細くて光沢があるからきっと絹糸だろう。金具の方は糸をどんどん引っ張り出せるように作られていて、キーホルダーのような輪がついている。

「これは商売道具って奴ね。まあ別に、無くても大して困らないんだけど」

 美蘭はその金具を亜蘭のジーンズのベルト通しに取りつけた。そして「出発」と声をかける。すると彼は後ろも振り返らず、見知らぬ住宅地をどんどん歩いていってしまった。

「どこに行くの?」

「それがあの子の、今日のお仕事。まあ、ひと段落つくまで涼んでようか」

 さっき自分のショルダーに結んだばかりの絹糸をぷつりと切ると、美蘭はそれを道端にある「止まれ」の標識に結びつけた。


 黒蜜のかかったかき氷のあちこちに埋め込まれた白玉は、つやつやと涼しげに光っている。何となくそれを崩すのが勿体なくて、花奈子がためらううちに、美蘭は早くも「うん!生き返るね!」と、こちらは抹茶のかき氷を口に運んでいた。

「でもなんか、亜蘭に悪くない?」

「いいのいいの、たまにしか働かないんだから」

 炎天下に亜蘭を歩き回らせたままで、美蘭と花奈子は住宅地の近くにある、古びた商店街の甘味屋さんに入っていた。店の中は昭和そのままの感じで、着物の若い女の人が一人で切り盛りしていた。

「私ね、アメリカっぽいコーヒーショップとか、貴族の館みたいなサロン・ド・テより、こういう店の方が好きなの」

 美蘭は早くも氷の山を半分ほど平らげている。

「そうだと思った。あの古い旅館が好きなくらいだから」と、花奈子は二つ目の白玉を頬張る。とはいえ、サロン・ド・テって何のことか、よく判らないんだけれど。

「できる事なら、私もこんな感じのお店を持って、ちょっとした食事なんか出して、なんて風に暮らしたいんだけどね」

「だったらそうすればいいじゃない。美蘭がやる店だったら、ぜったい人気が出ると思うよ」

 お世辞やなんかではなく、花奈子は本気でそう思った。誰だって、一度美蘭に会った人は、きっともう一度会いたくなってやって来るに違いない。

「どうもありがと。無理って判ってても、ついつい言っちゃうのよね」

「無理なんて事ないよ。うちの伯母さんだって、北海道だけど食堂やってるんだよ。そりゃ、店を始めるのにけっこうお金がいるかもしれないけど、実現できない事じゃないと思う」

「そういう意味じゃないの」

 美蘭は少しだけ肩をすくめたけれど、それはかき氷の冷たさのせいなのか、別の理由なのか。

「そういう意味ってどういう意味?」

「私の将来の仕事は決まってるって事」

「それ、前も言ってたよね。お家の仕事を継がないといけないの?」

「うーん、お家、って言えばそうなのかな。まあ要するに、今やってるような事よね。今日はさしあたって、亜蘭の奴が頑張ってるけど」

「え?猫を探す事?」

「まあ、似たような事かな」

「美蘭はその仕事、嫌なの?」

「嫌とかどうとか言う前に、約束は果たさなきゃ」

 美蘭はそこまで言うと左手で頬杖をついて、何かを考え込んでいるようだったけれど、花奈子の視線に気づいたのか、「ごめんね、下らない事言って。今のさっくり忘れてちょうだい」と笑った。

 そんな簡単に言われたって、と思ったけれど、何だか普段と比べて元気がない感じの美蘭を前にして、文句を言える花奈子ではなかった。ただ頷いてスプーンを握り、黒蜜のかき氷をすくい続けるだけだ。

 美蘭は頬杖をついたまま、店の入り口の方を眺めていたけれど、「そういえば、塾はどうなった?」と尋ねた。

「それがね、予想外の展開になっちゃって」

 花奈子は勢いこんで事の顛末を説明した。美蘭は「へえ、それはラッキーだったね」と笑顔で聞いてくれたけれど、何だか妙な感じがする。

「美蘭、変なこと言うと思うかもしれないけど、この事、私に聞く前から知ってた?ビルの工事が手抜きだったりとか、震度四ぐらいで倒れちゃうとか」

「え?知るわけないじゃない。なんで私がこんな田舎の、って失礼、雑居ビルの耐震構造を把握できるのよ」

「それはそうなんだけど」

 確かに根拠のない、ただの閃きに過ぎないんだけれど、奇妙に心にひっかかるのだ。どうして美蘭に相談した途端に、あんな事になったのか。

 美蘭は「花奈子ってさ、漫画家とかになるといいんじゃない?関係ない事でもうまく結び付けて、物語にしちゃいそう」と、涼しい顔で笑っている。そして通路の方に軽く身を乗り出して、また入口の様子を窺い、「あらら、急に暗くなってきたと思ったら、夕立みたいよ」と囁いた。


 雷こそ大したことはなかったけれど、外はかなりの土砂降りで、雨宿りに駆け込んできたお客さんの髪からは水が滴っていた。それでも三十分もしない内に小降りになって、いつの間にかまた、日が射している。

 雨上がりのアスファルトの匂いに包まれて店を出ると、虹が見えた。と言ってもアーチの片側、根元のあたりだけが、住宅地の裏手にある雑木林から空に向かって、柱みたいにまっすぐ立ち上がっている。

「何だか縁起がいいみたいね」と、美蘭はご機嫌だけれど、花奈子は亜蘭の事が心配だった。

「傘持ってないし、さっきの雨でずぶ濡れなんじゃない?私たちの事、怒ってるんじゃないかなあ」

「大丈夫、ちょっと涼しくなったな、ぐらいしか思ってないわよ」

 そして美蘭はさっき糸を結び付けた「止まれ」の標識まで戻ると、糸を切り、それを左手の指先に巻きつけてたぐりながら、亜蘭の歩いた後をたどり始めた。花奈子はさっきの家の人から預かって美蘭の車に置いていた、猫のキャリーケースを運ぶ係だ。

「やっぱり二人いると楽でいいわ」と、美蘭は鼻歌まじりに糸をたどって歩いてゆく。

 家と家の間の、ちょっとした隙間にも平気で入って行くので、怒られたりしないかと花奈子はドキドキしたけれど、辺りは本当に静かで誰も出てこない。ただ遠くで思い出したように鳴る、澄んだ風鈴の音が風に運ばれてくるだけだ。

 道を何度も曲がり、同じ場所も幾度か通り、小さな川を渡り、雑草の生い茂った空き地を抜け、また角を曲がり、気が付くと花奈子たちはさっき虹が立っていた雑木林まで来ていた。どうやら奥に神社があるらしくて、古びた鳥居が見下ろしている。

 美蘭は「あと少しって感じね」と、歩調を早めて前に進む。さっきの夕立と、木立が作る日陰のせいで、林の中はひんやりと涼しく、木のいい香りがした。

 雨は降ったものの、足元はずっと石畳なので、ぬかるんではいない。あちこちでせわしなく鳴いているセミの声も、ここだとそんなに暑苦しい感じはなく、花奈子は手にしたキャリーケースを軽く振りながら、明るい木陰を歩いた。

 拓夢はずっとエアコンのきいた病室にいるけれど、熱はあってもこういう場所にいた方が気持ちいいんじゃないだろうか。毎日消毒薬の匂いがする空気を吸っているより、ずっと身体にいいに違いない。

「おーっと、ビンゴだ!」

 美蘭の歓声にはっと我に返ると、前の方に何か見えた。それは、神社にお参りする前に手を洗う場所で、小さな屋根の下に石の水槽があり、その端に取り付けられた小さな龍の口から水が流れ落ちていた。その屋根を支える柱の根元に誰かいる。

「まあまあ上出来ね」と言いながら大股に歩いていく美蘭の後を、花奈子は慌てて追いかけた。

「亜蘭!」と、思わず声を上げてしまったけれど、彼はぼんやりとした顔つきで、柱にもたれて地面に座っていた。腕には綺麗な銀色の毛並をした猫を抱いている。その猫は、いなくなったというパフの写真にそっくりだった。




 

 

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