地区間窓の星座

 地区間窓から見える宇宙は星座など眺めていられるものではなかった。重力を生み出すための回転は早く、眺めている間に流れていき、あっという間に一周する。宇宙を眺めるには港まで出向かねばならず、それには数十キロの道のりをどうにか越える必要があった。

 自転車でも厳しい距離で、自動車は作業用のトラックが役場の倉庫に幾台か有るきりだ。

「wの文字のかしおぺあ。ひしゃくの形のほくとしちせい」

 幼いタマキは、船便に紛れて流れ着いた絵本を大事に大事に幾度も開く。声に出して指でなぞって。もともと古かった絵本だったがタマキの手垢で上書きされてしまったかのようだった。

「ほっきょくせいは」

「タマキ、そろそろ夕飯だぞ」

 ぱっと本から顔を上げたタマキは、勢い込んで咳をする。ベッドの上で小さな身体を折り曲げて、けほけほごほごほと……湿った咳を。

「大丈夫か」

 ナカバは背中をそっとさすってやる。細くふわふわの毛が目に入った。切りそろえられたおかっぱ頭、後頭部の毛はくしゃりとつぶれ、横の毛はあっちを向いてこっちを向いて。

 直らない寝癖。その頭を支える細い首。ほんのり笑う痩けた頬。

 ──いつになったら。

 ナカバはごほ、っと一際苦しそうな咳音に目を瞬いた。すっかり折ったタマキの胸元、手から零れるその、色。

 赤──血。

「にいちゃ……」

 掴まれてどきりと見返した。猫が涙を流しているのかと思うほど大きな瞳を潤ませて、じっとナカバを見上げている。不安なのは、ナカバではない。

「ビックリしたな。汚れちゃったな」

 ナカバは無理して笑顔を作った。心配なことなど何処にも無い。血を吐くなどなんてこと無い。……そう、タマキに見えるように。

「か、かあさん呼んでくる!」

 逃げるように、幼い妹を置いて出た。


 深刻な顔を見ているのが嫌でナカバはそっとタマキの部屋の戸を叩いた。余り寄るなと言われてはいたが、二人きりの兄弟で顔も見ずにすごすのは無理という物だろう。

 光管からの光は途絶え、標準時はすでに深夜を示している。ベットから離れられないタマキは、また絵本を広げていた。

 薄く差し込む地区間窓からの明かりで数々の星座が浮かび上がる。タマキが憧れる星座。いつか港まで見に行こうと約束した。

 北極星が動かないのは地球の話でコロニーでは動いて見えるんだとか。魚座は冬には太陽の向こう側なんだとか。好奇心に溢れた目が愛おしくて可愛くて。何度も何度も話して聞かせた。

 風邪が直らないと気付くまで。

 そっとナカバはタマキのベットに腰掛ける。タマキの手から絵本を取り、歌うように読み上げる。

「wの文字のカシオペア。柄杓の形の北斗七星。小熊大熊くるくる回る。乳の川には白鳥が飛び、サソリはいつもオリオンの背中を狙ってる」

 よほど嬉しかったのか、くすくすとタマキは笑う。もう一度とせがまれて、ナカバは少しおどけた抑揚で絵本の文字を歌い上げた。

 笑い笑って、咳が出て。タマキは軽く咳き込んだ後で外を見る。視線を追った先にはあるのは、遥か遠くの地区間窓。

「にいちゃん、あのな」

「ん?」

 ふとタマキはナカバを見上げた。

「お母ちゃん、タマキを病院に行かせるって」

 真っ直ぐな目から……思わず視線が逸れた。

「そうだな。感染る病気かもしれんて役所の人も言ってたしな」

「病院からは、星座、沢山見えるかなぁ」

 タマキの視線が逸れ。頬を滴が伝って落ちた。

 ナカバは奥歯を噛みしめる。幾度も瞼を瞬く。

 ──僕は、泣いてなんて、ない。

 泣いたことさえ嘘にした。そんな事実はなかったと。形ばかりの笑顔を顔に貼り付ける頃、期待に小さな胸を膨らませた幼い妹が、再び兄を振り返った。

「楽しみ」


 港まで送る役目は頑として譲らなかった。トラックの荷台に二人で腰掛け、厚着したタマキを抱く。

 所々壊れた舗装をタイヤが踏む度二人で歓声を上げながら、のんびりと故郷を振り返る。

 こうしてみても何もないコロニーだとナカバは思う。畑があり、放牧場があり、牛舎が所々に点在し。街とか村とか言えるのはコロニー中央付近の一カ所だけ。店があるわけでもなく、娯楽施設など見たこともなく。教育手段で娯楽でもあった通信も、最近は調子が悪い。

 コロニー間を繋ぐバスがない訳では無かったが、さほど安い訳でも無く、何より時間がかかるから。旅行などしたこともなかった。

 ……タマキは一人でそれを味わうことになるのだ。

 コロニーの端に近付くと港へ続く坂道になる。坂道を上れば上るほど、重力は弱まり、身体は軽くなっていく。

 はしゃぐタマキはすっかり頬を上気させ。熱が上がったのではないかとナカバを心配させるほど。

 ついにトラックが停車して。担がれるように下ろされて。殺風景な港の中……そのバスはまだ着いてはおらず。

「ちょこっとだけ、窓見てきていい?」

 世話役が頷いたから、タマキと二人、港の外壁にへばりついた。幾台もの貨物バスが停車する奥、確かに広がる……回転する星座たち。

「すごいね、にいちゃん!」

「……あぁ」

 ──小さな約束はようやく。

 そして。

 二度とは叶うことが、なく。

「……しっかり治して帰ってこいよ」

「うん!」

 星空を割って、バスが一台入港する。

 側面に描かれた文字、バスの所属を示す言葉は『LifeEnd』

「あれ?」

「そうみたいだ」

 文字の意味を知らないタマキに気付くなと願いながら。

 ナカバは幼い妹を抱き起こす。

「……行くか」


 入院設備のある病院など、大きなコロニーに行かねば存在せず。

 壊れかけた貧乏コロニーの貧乏農家にそんな金などあるはずもなく。

 ……医者には結核と診断され。

 ナカバはもう、決断を非道だと言える歳ではなかった。


 黒い髪、黒い繋ぎ、黒いジャケットに手袋まで黒、全身黒ずくめで、瞳の色だけ地球のような色をした運転手は。

 タマキを抱き上げ、ナカバへそっと頷いて見せ。

 バスの中へと消えていった。


 ──きっと、辛い思いはさせないから。


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フリーワンライ <深夜の真剣文字書き60分一本勝負>参加作品

お題:

 まだ決まっていない

 間違い

 牛乳はあっためて下さい

 星を観るには速すぎて

 無冠の王

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