第23話 高まる期待
“LPSI2016”のクロージングセッション翌日の3月27日(月)、山崎は通常通り、朝8時に富士開発株式会社に出勤した。スプリングコートを脱ぎ、PCを起動していると社用の携帯電話が鳴った。
「あ、山崎くんか。稲垣だ。今時間を取れるかい?」
山崎は昨日興奮のあまり稲垣社長とほとんど会話していないことを反省していた。元はと言えば”LPSI2016”は、稲垣社長が山崎のわがままを聞く形でスタートを切ることができたのだ。稲垣社長の懐の深さがなければ、プロジェクトの実現はおろか、着手することすらできていなかったかもしれない。
社長室を訪れた山崎の姿を見た稲垣社長は、「おー、ご苦労、ご苦労」と声をかけた。声の感じや表情からすると、稲垣社長は随分と上機嫌のようだ。デスクの上に日本経済新報の朝刊が置いてある。異例の扱いで「神成市再生プロジェクト」の記事は一面を飾った。おそらくはあの萩原記者がまた獅子奮迅の活躍をしてくれたのだろう。ここにも神成を元気付ける人がいる。とうに気付いていることだが、もはや”LPSI2016”のメンバー15名や指導陣だけのプロジェクトではなくなっているのだ。
「昨日は本当に素晴らしかった。報告を随時受けていたとはいえ、実際にメンバーによるプレゼンで『神成市再生プロジェクト』の進捗を聞くことができ、本当に感激した」
「ありがとうございます。昨日はドタバタで社長に御礼を申すことも叶わず大変失礼いたしました」
稲垣社長は窓際に歩を進め、静かな太平洋を眼下に見下ろしながら「やり遂げたな」と呟いた。
「はい、何とか皆様のご支援をいただきながら」
「まさかあの神成が息を吹き返すとはな。10年前に私や君があの地で獅子奮迅の努力を重ねていたことを思い出したよ。確かにあの当時、市の開発計画に対して私も君も異論はあった。それにしても、あの頃の私達に今回のような解決策を提示することができただろうか」
山崎は稲垣社長のほうに歩み寄りながら、「いえ、少なくとも私には無理でした。10年越しのリベンジを彼らが果たしてくれました」と返した。
「『10年越しのリベンジ』ねぇ。本当だな」
稲垣社長は山崎のほうに向き直ると、「正直なところ私は神成から避けてきたのかもしれない。あの都市開発が失敗だと認めたくない自分もあったし、何より、会社の他の事業に影響を与えたくなかった。これでも一国一城の主だ。自分自身の経営責任はともかく、社員を今更路頭に迷わせる訳には行かない。一方で、神成の衰退を放置したまま社長の座に上り詰めた自分に対する違和感や嫌悪感を抱くこともあった。今だから話せる話だ」
山崎は黙って稲垣社長の話を聞いた。
「しかし、今回の君たちや彼らの活躍により、その呪縛からようやく解き放たれた。君は確かこのプロジェクトを通じて『社会的価値の提供、それに付随して受けるレピュテーション向上、次世代人材育成』を狙いとすると言ったな」
「はい、さすがは記憶力抜群の稲垣社長。確かに私はそう申しました」
「社会的価値はいわずもがな神成の再生により果たせるだろう。レピュテーションについては今や当社の株価も急上昇、次回の株主総会は安心して臨めそうだ。また、社の認知度も高まり、リクルート関係の調査でも当社を志望する学生が急増しているそうだ。次世代人材についても、確か湯浅くんといったか、三友商事の彼をはじめ前途有望な中堅社会人が登場した。当社から参画した植草くんはどんな感じだ?」
「はい、メンバーからの信頼も厚く、私は将来のリーダー人材と期待しています。今回はメンバー最年少ということでリーダーシップを発揮するところまでは至りませんでしたが、この国の将来を背負って立つ異業種中堅との9箇月に亘る協業は彼にとって何物にも代えがたい経験になったと思います」
「そうか、彼にも一度会ってじかに話を聞いてみなければならないな。近々、彼との会食の場をセットしてくれたまえ」
「はい、畏まりました」
稲垣は微笑みながら頷くと、「しかし、君は凄いな」と賛辞を送った。
「たかが一企業の企画会議から我が国のイノベーションプラットフォームを創り出すとは、私から見れば君は化け物だ」
「それは褒め言葉と受け取ってよいのでしょうか」
「もちろんだ。ちなみに、昨日のクロージングセッションで各社の経営幹部と懇談する時間があった。是非この企画を当社に閉じず、『オープンイノベーション』の場として続けていこう、という話になっている。もしかすると次回もまた君にお鉢が回るかもしれんが、そのときはよろしく頼むよ」
「『次回』ですか……」
想定外の展開に山崎は思わず絶句した。「神成市再開発プロジェクト」、「LPSI復活」をやり遂げたばかりの山崎にとって、次を構想する余力は今すぐにはなかった。稲垣社長の話を聞きながら途方に暮れつつも、それだけ社会が自分に期待してくれているのだという満足感に浸った。
「いずれにせよ、よろしく頼むよ。今日は私が本件でメディアからの取材対応だ。実際のところ、私はほとんど関わってないのにな。あ、そうそう取材といえば広報部からそれが届いている」
応接デスクに置いてあった厚い紙の束を稲垣社長が指差した。
「昨日から今朝までに広報部に届いた問い合わせを印刷したものだ。社の公式ウェブサイトとファクシミリを通じて届いたものだけらしいから、電話やメールでの照会等を含めるともっと増えるだろう。今朝出社したときには広報部のファクシミリが用紙切れでパンクしていたそうだ。取材依頼も含まれているが、多くは自治体等からの再開発の問い合わせだ。『ICT街づくり』の効果測定、計画策定、導入検討など、かなりの件数にこれから対応していくことになる。当面は開発推進部全体で対応していくしかないが、専属部署を設置するなど早急に体制を検討する必要があるな」
山崎はその紙束をざっと見て驚愕した。まさか、地方の小都市である神成市の再生プロジェクトがここまでの波及効果を生むとは。総務省との接点をつくってくださった西内先生にも改めて御礼を言わねばならない。富士開発の名は業界全体に相当売れたようだ。今後も社会の期待に応えていかねばならない。
「という訳で、春から縁起のいい話ばかりで、私も君も忙しくなりそうだな」
そう言うと、稲垣社長は今までの労苦をねぎらうように山崎の肩をポンポンと叩いた。
「この肩に我が社の未来がかかっているのかもな」
重い一言を残し、稲垣社長は先に部屋を後にした。一人、社長室に残された山崎は茫然と窓外の太平洋を見渡した。
ーー俺もあの海のように広く、深く、そして穏やかに、どっしりと構えていなければならないな。これから先も何が起きるかまったく想像がつかない。
眼下を見下ろすと桜の木々が桃色の花びらで辺り一面を覆い尽くしていた。そういえば桜の季節だ。感慨深くその光景を眺めていると、山崎の心の中にあの雷鳴が轟き、一年数箇月前の元旦から今日に至るまでの日々がフラッシュバックした。山本から新年のグリーティングメールが届いて電話で話して以来、もうとっくに一年以上の歳月が経過している。アイツは元気にしているのだろうか、日本の地方都市で起きていることなんか知ったこっちゃないんだろうな、などと思いながら山崎は社長室を後にした。
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