死色 ~デッド・ブラッド~
今回のお題――【ディスマン】 【銀の弾丸の味見】 【≒0】 【デッドコピー】
それがいつ起きたのか、知っているものはいない。
なぜ始まったのか、理解しているものもいない。
ただ、気が付けば人類は、たった二つの陣営に別れて殺し合っていた。
それは、二色で示される。
赤と黒。
ただ
この星のあらゆる場所、あらゆるとき、あらゆる意味で、二つの色は争った。
混ざり合うことなく、ステンドグラスのようにとなり合って。
あちらで戦火が上がり、こちらで国が亡ぶ。
そんな時代が、いつまでも続いているのだった。
††
降りしきる細い雨。
針のように細い雨。
その雨にしとどに濡れながら、
「ぱらぱらはあめですか―?」
少年を出迎えたのは、いろいろなものが抜け落ちてしまったように、まるで足りていない声と、無垢な笑顔だった。
間の抜けた表情で微笑む、それとは対照的な成熟した肉体を持つ女性が、偽装された洞窟の奥で、少年を見詰めていた。
――
「雨だよ、だから、おねーさんは外に出ちゃダメだよ。肌が
「ぱらぱらー、つめたい、ぱらぱらー」
「そうだね、うん。風邪も引いちゃうよね」
少年はそう苦笑したが、熱帯雨林においてスコールなど珍しいものではない。
まして、いまのような細い雨で風邪を引くほど、彼はやわではなかった。
三つの時に親を亡くして、以来十年、孤独に生きてきた少年には、なんのこともなかった。
たとえ、目の前の女性が、親を殺したものと同族であったとしても。
その心は、肉体は、鋼のように動じることはない。
「今日はね、たくさん獲物がとれたんだ。雨がやんだら、もうひと狩り行くから、おねーさんはいっぱい食べていいからね!」
「ごはん、ぽんぽんいっぱいですかー?」
そう、お腹がいっぱいになるまで食べていいからと、少年は言った。
着ている服も、髪も、肌さえぼろぼろの、それでも美しさをそこなわない女性の前に、そっと〝獲物〟を置きながら、彼は思う。
いつまで自分たちは、こうしていられるのだろうかと。
「わたしもたべものとるー」
唐突に、彼女がそう言った。
無残な体をそれでも精一杯動かして――その右手はありあわせの布きれでぐるぐる巻きにされていた――少年に懸命なアピールをしてみせる。
彼は再び、苦笑するしかなかった。
「おねーさんは、夜しか動けないじゃない。僕に任せてよ!」
そう彼が告げると、急に女性は黙りこみ、ジッと少年を見詰め。
「な、なに?」
「……えへへー」
にぱぁっと、笑ったのだった。
††
彼女と彼が出会ったのは、一年前のことだ。
夜の世界において無双を誇る彼女も、昼の世界では追い立てられる〝獲物〟に過ぎない。
文明の利器を最大限に行使し、同時に神秘まで借り受ける敵他者の軍勢に包囲され、ひとり、またひとりと仲間が浄化されていく。
法儀式済みの水銀弾頭が肌をかすめれば、一気に焼き爛れ激痛に苛まれる。
満身創痍の肉体と、恐怖が彼女の精神を粉微塵に粉砕したとき、奇跡としか呼びようのない出会いは起きたのだ。
彼女は、少年に出会った。
出会ってしまったのだ。
そして。
そして――
††
女性が目を覚ましたとき、既に洞窟のなかは闇に包まれていた。
外からはまだ、木の葉に雨粒が打ち付ける音が響いている。
ふと見遣れば、彼女の隣では少年が、安らかな寝息を立てていた。
安心しきった幼子の顔。
それは、他人に見せるにしては、あまりに無防備な表情だった。
「―――嗚呼」
彼女は慟哭する。
少年に見せていた笑顔はない。
ただ、夜に
彼女の腹が、飢餓を告げた。
††
そのジャングルは隠れるには格好の場所ではあったが、しかしあまりに戦場が近すぎた。
雨の日も、たとえ夜になろうとも、彼女は出歩くことは決してなかったが、しかし、破滅はひしひしと近づいているのが理解できていた。
ある朝のことだ。
雨がすっかり上がったものだから、少年は起きるなり穴倉を飛び出して〝獲物〟を求めて密林に潜った。
女性は、その帰りをずっと待っていたが、彼女が願ったものが戻って来るよりも、過去が追いすがって来るほうがずっと早かった。
「……無様ね」
彼女を
彼女と同じ赤い瞳――いや、何もかもがそっくりな、瓜二つの女性だった。
人の共通認識、その無意識下である夢の中にあらわれるディスマンと呼ばれる存在がいる。
それは、誰の夢、何処の国のどんな人種が見たとしても、同じ顔だという。
彼女たちは、そう言うものだった。
人の幻想が生み出した、真祖と呼ばれるたった一つの超越存在のデッドコピー。
人類が吸血鬼と呼ぶ存在が、彼女たちだった。
「そんなザマに成り下がって、それでも食欲はあるわけ? そんなにたくさん――屍を積み上げて」
蔑み、弄るような言葉を吐きかけながら、女は嗤う。
女を見つめ、にこにこと笑う女性の背後には、無数の、ミイラのように干からびた人間の死体が、山になっていた。
「まあ、どうでもいいわ。あなたみたいな恥さらし、そうやって敵の数を減らすぐらいしか能がないんだもの」
でも、それも今日までよ。
女は酷薄な表情で告げる。
「原隊復帰しなさい。戦力が足りないわ。人間どもを家畜まで引きずり堕とすには、一体でも手足が欲しいのよ」
「かちくさんはかわいそうーですかー? かちくさんのしあわせはなんですかー?」
「……憐れね」
女は、へらりへらりと笑う、自らと同じ顔の女性をまっすぐに見て、腹積もりを決めた。
その罪を、過ちを、暴き立てる。
「あなた――狂ってなんかいないじゃない」
「――――」
「本当は、狂ってなんかいないじゃない。ただ、自分が壊れていることにしないと〝人畜無害な守られる側でないと一緒に居られないから〟そうしているだけでしょう? それって……卑怯よ」
そう、女性は狂ってなどいなかった。
壊れてなどいなかった。
精神の崩壊など、たちまち修復してしまった。
肉体とて、わざと壊れたままにしているのだ。
何のために。
それは、女性にとっても、女にとっても、言うまでもないことだった。
だから、女はそれ以上言葉を重ねなかった。
ただ、一言。
「ついてこないのなら、あの少年を殺す」
そう言い放って、背を向けた。
女性は。
ボロボロの彼女は。
「――――」
ただ笑顔で、右手を女の背中へと向けた。
ボロ布が巻き付けられたその手。
ほどける。
現れたのは――
「ねえ、あじみしたことある?」
――銀の弾丸は。
「死ぬほど不味いぞ」
銃声が一発、ジャングルの中に轟き、そして消えた。
††
轟音。
少年は、その音を聞いた。
慌てて踵を返した。
いままさに狩り立てていた獲物――〝人間の兵士〟を見逃し――見逃せばいずれ災禍が降りかかると知りながら、そんなことにすら考えが及ばないほど焦燥に焼かれながら、彼は自らのねぐらへと走った。
走る。
待っていてくれるはずだった。
帰り着けばきっと、彼女はいつも通りの微笑みを見せてくれるはずだと。
もう家族を失うのは嫌だと。
そう思って少年は走った。
偽装した入口までなんとか辿り着いて、そうして洞窟へ入った彼が目にしたのは、あまりに残酷な光景だった。
そこにはひとりの女性がいたはずだった。
だけれど今は、もういない。
でも、それは=0ということじゃなかった。
ニヤリー・イコール・ゼロ。
死体の数は、一つ増えていた。
無数の死体の山、その横に、一人の女が立っている。
美しい、恐ろしいほどに美しい女性。
彼女は、全身に血を浴びてそこに佇んでいるのだった。
黒く、真っ黒な、夜のような死色の血液に塗れて、声もなく笑っているのだった。
††
それがいつ起きたのか、知っているものはいない。
なぜ始まったのか、理解しているものもいない。
ただ、気が付けば人類は、たった二つの陣営に別れて殺し合っていた。
それは、二色で示される。
赤と黒。
争いは、今日も終わらない――
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