三人家族に必要なこと
今回のお題――【ハック&スラッシュ】【なにもしてないのに壊れた】【一夜限りの夢だとしても】【インターネット・ミーム】
「――アナタに必要なことは、何ですか?」
彼女は、目を覚ますと同時にそう言った。
§§
妻を亡くして、半年が過ぎた。
彼女は幼い娘、
「いさなさん、いさなさん、おなかへったー」
僕のパソコンで、男の子が魔法処女に変身するアニメを首ったけで視聴していた栞は、見終えるなりそう訴えてきた。
「おなかへったー! いさなさんおなかへったー!」
ぶーん!
両手を広げて部屋の中を走り回りながら、彼女は僕の名前を呼ぶ。
栞は、僕を父親とは呼んでくれない。
母親のことはマッマだけれど、僕のことはいさなさんだ。それは、彼女の母親が亡くなってからより顕著になった。
もしかすれば、妻を救えなかった僕のことを恨んでいるのかもしれないと。
彼女は僕を好いていないのかもしれないと不安になることもある。
それでも、僕の愛情は揺るがない。
揺るがない……つもりだ。
「ああ、今日はかぼちゃのコロッケだぞー」
「やったー!」
キャッキャと喜んでソファに飛び込む愛しい娘。
僕は微笑み、冷凍食品のコロッケをレンジで温める。
「チン!」
「そうだね、チンだね」
「いさなさん、おなかへったー!」
乞われるままにコロッケと、同じくレンチンした米飯を容器のまま食卓に並べた。
「いっただきますっ」
「いただきます」
両手を合わせて〝いただきます〟。
「かぼちゃあまい!」
そんな明るい娘の声に、僕は思わず相好を崩す。
かぼちゃコロッケは栞の好物だ。
そして妻の得意料理だった。
コロッケ。
新婚当初、僕はその料理が好きではなかった。ジャガイモのぱさぱさ感が得意ではなかったからだ。
そんなことを妻に言うと「だったらねっとりしてれば食べれるでしょ! 加えて甘々よ!」 と彼女はたいそう発奮し、かぼちゃコロッケをこさえてみせた。
それはとても甘く、とても口どけが良く、サクサクで、コロッケが嫌いだった僕にお代わりをさせるという快挙を成し遂げた。
かぼちゃコロッケは、それから妻の得意料理になったんだ。
「……ごっそうさまぁ」
娘の声で我に返る。
見遣ると、コロッケは半分齧られただけ、お米はほとんどが残っていた。
「おなか、減らなかったのか?」
「……うん。またマジヴァみてくるー!」
言うなり彼女はソファから飛び降り、またパソコンの前に陣取ると、動画サイトで件の魔法処女を探し始めた。
僕は小さく溜息をつき、片づけを始める。
……このままじゃダメだ。
薄々と、愚鈍な僕も気が付き始めていた。
§§
「いさなさん、でぇぇぇぇっかいお荷物だよぉっ!?」
いましがた届いた郵便物を見て、娘は目を丸くして驚いた。
素直な娘に微笑ましさを覚えながら、僕は包装を解いていく。
「なあ、栞。これ、何だと思う?」
「えっとね、えっとね……ぞーさんのおにんぎょう!」
「うーん、ぞーさんじゃないな」
「えー! じゃあね、じゃあね……うーん?」
ひっくりかえってしまいそうなほど首を傾げる栞。
きっと思いもよらないものだよと、そう言って、僕は荷物の拘束を解き放った。
「わぁ……!」
包装が解かれた瞬間、娘の眼がきらきらと輝いた。
そのちいさな口唇から感嘆の声が漏れる。
現れたのは、ヒトガタだった。
僕より頭ふたつは小さく、娘より頭みっつは大きな人型。
昨今流行しているアンドロイド家政婦が、大きな箱の中に、そこに、鎮座していた。
「いさなさん、いさなさん! ひとがはいってたよ!」
「栞、これはね、人間じゃないんだ。アンドロイドなんだよ」
「あんど……井戸?」
人の命令を聞いてくれるロボットみたいなものさと、そう教えながら、僕はそのロボット家政婦のスイッチを入れた。
ウィィィィン……という低い起動音と共に、彼女の両耳についているデバイスがちかちかと青色の光を放つ。
そうして、十数秒の末に。
その瞳が、まぶたがふるふると震え――ひらいた。
見えたのは空色の瞳。
蒼穹よりもなお透明な、蒼の瞳が、僕らを見て。
「――アナタに必要なことは、何ですか?」
そんなことを、問い掛けてきた。
「いさなさん?」
「えっと……まってくれ。いま説明書を読むから」
付属の取扱説明書を慌てて捲っているうちに、アンドロイドは僕から視線を切った。そうして娘をジッと見つめると、「必要なものは、何ですか?」同じ問いかけを繰り返した。
「いさなさん……?」
「待って。すぐ調べるから――」
「必要なことを、ご命じください」
アンドロイドの青い光学式認識装置と、娘の瞳が真っ直ぐに出会う。
娘が、恐る恐る問いかける。
「……おねーさん、なんでもいっていいの?」
「オーダーに従います。それが私の、役目です」
「えっと、えっと……じゃあ、ちょっとこっちきて!」
戸惑う僕を置き去りにして、娘はアンドロイドの手を引くと、そのままリビングへと連れて行く。
置き去りにされた僕も、慌ててその後を追う。
「あのね! 直して欲しいものがあるのっ」
栞が、ロボットにそう言ってみせたのは、いつも使っているパソコンだった。
「栞? どうしたんだ、さっきまでそれで動画を見ていたじゃないか」
「――壊れています」
「え?」
意外な方向から返答が帰ってきて、思わず僕は問いかえす。
アンドロイドがパソコンを検分していた。
「なにもしてないのに壊れたの……」
しょんぼりと俯いてしまう栞。
なにかはしたのだろう。結果壊れてしまったのだ。僕がそれを追及するべきかどうか逡巡していると、
「直りました」
アンドロイドが、無機質な声でそう言った。
「「え?」」
娘と同時に捨頓狂な声をあげる。
直りましたって……軽くキーボードをタッチしてみるが、なんと異常はない。
驚くべきことに、パソコンは完全に健常な動作を示していた。
「必要なことは、何ですか? どうぞ、オーダーを。ご命令をください」
アンドロイド家政婦の、無機質な声がリビングに響いた。
◎◎
それからの日々は、件のロボット家政婦と栞の物語だったと言っていい。
彼女たちはとても親密にふるまった。
ロボットは無機質だったけれど、有能で、娘の出す無理難題に応え続けてみせた。
たくさんの。
たくさんの問題を、アンドロイドは解決していった。
あまり清潔と言えなかった室内は徹底的にきれいになった。
娘の洋服からはしわがなくなった。
栞の遊び相手はもっぱらロボットだった、機械の肉体を持つ家政婦にとって、動画を探すのはお手の物だった。
あるとき、栞とアンドロイドがとある動画をみた。
ホームパーティーの動画だ。
テーブルいっぱいに食事が並んでいて、部屋は色とりどりに飾り付けられている。
栞はそれを食い入るように見つめていた。
そうして言った。
アンドロイドに、こう命じた。
「パーティーがしたい! 美味しいもの、みんなで沢山食べたい!」
ロボットは、それを忠実に履行した。
室内が、あっと言う間に飾り立てられる。
まるで魔法のように、一夜限りの夢のように、簡素だった部屋が誕生日会のような様相を帯びていく。
娘はとびっきりのおめかしをして、お姫様のように上座に座らされていた。
「お料理はっ! お料理はっ?」
はしゃぐ娘に、アンドロイドは料理を用意した。
それは一流の料理だった。
これ以上なく豪華な食事だった。
見た目も、味も、栄養バランスもケチのつけようがなかった。
それは――インターネットで注文された三ツ星レストランの通販商品だった。
このさい予算は度外視にと、僕がアンドロイドに命じ注文させたものだった。娘に、少しでも良いものを食べさせたかったのだ。
「どうだ栞? この七面鳥は、口の中でほろほろ解けるらしいぞ。とってもおいしいらしいんだ。僕はこれから仕事に行くから、ぜんぶ、ぜんぶひとりで食べていいんだぞ。あと片付けはアンドロイドが……どうしたんだ栞。栞?」
娘を喜ばせることができる。
そう思った僕は浮かれて彼女に話しかけた。
だけれど、僕が見たのは、いまに泣きだしてしまいそうな、それを必死で我慢しているような、曇り切った愛娘の表情だった。
「……栞?」
「いさなさん……あたし、このごはん、いらない」
「え、どうして」
あんなに、食べたがっていたのに。
そう言った瞬間だった。
彼女が、強く下唇を噛んだのが見えた。
そして――
「――っ」
彼女は、その場から逃げ出した。
顔を伏せて、涙のしずくを散らしながら、自分の部屋へと、走り去る。
あとに残されたのは、冷めはじめた料理と、
「ちがうもん!」
娘の、悲痛な叫びだけだった。
◎◎
僕は、がっくりと項垂れていた。
どうしてこうなったのか解らない。
娘は、もう三日も口を利いてはくれなかった。
それどころか、僕と顔を合わせようとすらしなかった。彼女の世話は、すべてアンドロイドにまかせっきりだった。
どうしてこうなったのだろう。
自らに問いかけるが、答えは出ない。
茫洋とあげた視界に、一枚の写真たてがうつる。
そこには、僕と娘、そして妻の姿が写っていた。
「どうすれば……どうしたら……」
繰り返す問いかけは、当然天国の妻には届かない。
死者は、啓示を与えてくれたりはしない。
頭を抱え、ただただ僕は時間を浪費する。
どうすれば――
「――アナタに必要なことは、何ですか?」
聴こえたのは、無機質な声。
視線を再びあげる。
青い光。
暗闇の中に、アンドロイドが立っていた。
「――アナタに必要なことは、何ですか?」
繰り返される問いかけ。
僕に必要なこと。
それは。
それは。
「――アナタ〝たち〟に必要なことは、何ですか?」
それは、目が覚めるような言葉だった。
殴りつけられるような衝撃を、僕は受けることになった。
僕ではない。
栞でもない。
〝僕たち〟に必要だったことは――
「私が、どんなオーダーにも、答えます。さあ、一緒に、頑張りましょう」
差し出された手。
その細い手を、僕は。
僕はしずかに、だけど強く、握り返した。
◎◎
「栞、ご飯を作ろう!」
僕らは、ご飯を一緒に作ることにした。
僕と、娘と、アンドロイドの――彼女の三人で。
僕は料理なんてろくにしたことは無くって、その緑色の分厚い皮を切ろうと包丁を突き立てた時は、娘から何度も悲鳴が飛んできた。
切り刻む。
叩き切る。
料理を作るというよりは、食材と戦っているような調理。
まさにハック&スラッシュ。
「いさなさん、あぶない! すっごくあぶないよぉー!?」
「大丈夫、だいじょうぶな……はず」
「――これは、大丈夫ではありませんね」
ワイワイガヤガヤ。
悲鳴と怒号と叫びと無機質な指示が飛び交うクッキングバトルの末に、僕たちが生み出したのはもうなんだか名状しがたい謎の物体だった。
丸でもないし、俵型でもない。
そもそも狐色もしていなし、潰れて中身が飛び出ている。
「「「いただきます」」」
三人でそう言って、三人で口にはこぶ。
次いで同時にこぼれたのは、
「「「まっずい!!」」」
そんな叫びと、そして久しぶりに聴く笑い声だった。
初めて作ったかぼちゃコロッケ。
それはとんでもない大失敗だった。
だけれど僕は、取り返しがつかない失敗を侵す前に、踏みとどまることが出来た。
大切なのは、娘が望んだのは、これだったのだ。
みんなで過ごす時間が、大切だったのだ。
僕は爛漫な笑顔を浮かべる娘を見詰めながら、アンドロイドにこう尋ねた。
とても遅れたけれど、お礼とともに、こう言った。
「ありがとう――君の名前を、教えてくれるかい?」
彼女は――
「それが必要ならば、答えましょう」
いつもと変わらない声で、そう言った。
その横顔が、何処となく微笑んでみたのは、きっと僕のみ間違えだったのだろうけど、そんな見間違えなら悪くないと、そう思える微笑だった。
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