僕のストルゲー
今回のお題――【タイムパラドックス】【共同体≒世界<私の大切なモノ】【死を記憶せよ】【制服の第二ボタン】
「私を愛して、兄様」
僕のオフィーリアはそう言った。
††
「歌え、歌え
明日の世界を
墓標に刻め終わりの刻限。
メメント・モリ。いま死神が鐘を打つ!
メメント・モリ。記録せよ死の瞬間! 謳歌せよ今際の世界!
ペイルライダーよ、蒼白な馬よ! 汝はこの瞬間に何を思う!」
脳内で鳴り響く、覚悟を問うその呪わしき問いかけに、僕は覚悟と共にこう返した。
「思うことはただ一つ! 僕が抱くはただ一つ! この願いを果たすだけ! 世界を
「ならば進めペイルライダー。遠き過去へと、いま
かくして僕は、旅だった。
たった一つの罪をあがなうその為に――ほんの数年前の、過去の世界へ。
††
そうして、僕の義妹に当たる。
義妹というが、物心つくころには一緒に生活をしていたから、実状本当の兄弟と何ら違いはない。
血のつながりが無かろうが、僕は楓を妹だと思っているし、楓は僕を兄様と呼んでくれた。
ただ、一つだけ注釈を加えるのなら、そこに愛情や好意は存在しなかった。
一切の介在は許されなかった。
あくまで記号的に、僕等は義兄妹という符号を割り当てられていたにすぎないのだ。
いったい誰に?
管理者に。
僕と楓は、ある施設で暮らしていた。
その施設は〝
一種の学習施設で、僕等は日々学生服に身を包み、幼い頃から勉学に励んでいた。学ぶ内容はとても簡単だ。たった一つについて、究明していくだけなのだ。
例えば僕は楓にこう問うた事がある。
「あらゆる存在は生来的に一切を持ちえない。
楓は答える。
「兄様、それは簡単です。いずれ無尽蔵――つまりは全知全能の境地へと至るため。いえ、生来表裏一体なのです」
僕は問う。
それは何故かと訊ねる。
彼女は柔らかな笑みと共に正しい解答を示す。それこそ全知全能のように。
「それは、この世のすべてのあらゆるものが、唯一存在の輪廻転生体であるからです。70億人類も、それ以外も、すべては原初の一つから分岐しいまに至っているにすぎないのです。ゆえに、ひとは元来無一物無尽蔵の境地へ至れるのです」
彼女は滔々とそう語った。
おそらく〝聖櫃〟で学んだ人間ならば、全員が全員まったく同じ答えを返すことができただろう。
〝聖櫃〟とは、つまりそう言う場所だった。
〝神様〟と呼ばれる上位存在。
その存在は何たるかを定義するための施設が、その存在を選定するための施設が〝聖櫃〟であったのだ。
神智学について英才の極みを
そうして、その為にありとあらゆるサンプルが、施設には集められていた。
僕たちのような偽物の兄妹、本物の姉弟、恋人同士、敵対者、従者と主人、虐げるものと虐げられるもの……数え上げればきりがない数の、だけれど一つだけ共通点のある者同士が、共同体として生活し学んでいたのである。
その、唯一の共通点が、男女一組であるということだった。
足し算をしたときに差し引きゼロになるような、そんなものばかりがそこにいた。
それは、満ち足りた生活だったと思う。
少なくとも、あの日まではそう思っていた。
〝蒼の瞬間〟までは、僕は確かに、そう思っていたのだ。
そうしてそれは――楓も同じだと、愚かしくも僕は思い込んでいたんだ。
††
怒りの日が訪れたのは、酷く唐突だったと思う。
施設の管理者が、こう言った。
「明日は、卒業式を執り行います」――と。
卒業式とは、学業を終えるということだ。
つまり、この場所で長いあいだ絶え間なく演算され考え続けられてきた問題に答えを出す日が来たということだった。
僕たちはそれを、平常通りに受け入れた。
何となくわかっていた。
この場で最も優秀なものが誰であるか、そのものがどんな答えを出すか、僕らは何となく理解していた。
そして、その日がやってきた。
僕は朝、目を覚まして真っ先に、普段通りの行動をとった。
僕が眠るのは二段ベットの下。
だから、上で眠っているはずの義妹を、楓に「おはよう」と声をかけようとした。彼女は朝起きるのが苦手だったからだ。
だけれど、僕が見たのはもぬけの殻になった掛け布団だった。
そこには、壮真楓は存在しなかった。
胸騒ぎがして、僕は部屋から飛び出した。
そうして、見た。
その凄まじき業を見た。
〝蒼〟だ。
蒼だった。
何もかもが蒼色に染まっていた。
蒼白なる白群、紺碧なる群青、壮烈なる蒼。
学習室、図書館、シアタールーム、集会室、管理室……〝聖櫃〟施設の何もかもが、蒼い炎に染まっていた。
何もかも。
すべて。
――人間さえも。
死屍累々のセンターホール。
屍の山の上で、それは声もなく笑っている。
妹。
義妹。
壮真楓が、無言の哄笑を上げていた。
「楓……?」
その名を呼ぶと、ゆっくりと彼女はこちらを向いた。
その眼が僕を見る。
蒼い瞳が僕を視る。
射すくめられるような視線に、僕は脳裏が漂白されるのを感じた。
真っ白になって。
そして。
そうして僕は、その問いかけを発していた。
「――神は、何処に――」
ああ、そうだ。
いまなら解る、僕らは狂っていた。
どうしようもなく狂っていた。狂うように仕向けられ、そして彼女の答えを聞くためだけに存在していたのだ。
彼女は、こう答えた。
即ち、
「兄様と……壮真
その答えに、僕は
否定することはできなかった。
僕は真理を、
††
かくして、僕と妹は結ばれた。愛なんてなかったはずなのに、交わり、交配し、融け合って、一つの可能性を産みだした。
僕らの子の名前を〝壮真
楓の一文字と、僕の一文字を取って〝カミト〟だ。
彼は比類なき速度で成長した。
産まれて一年で、その体は成人のようになり僕らを追い抜いた。
産まれて二年で、世界中のあらゆる言語と学問、概念を理解した。
産まれて三年で、そして真実〝神〟になった。
彼が生まれて世界は一変した。
彼の起こす数々の奇蹟により、現世には理想郷と呼ぶに値するものが生じ、死の先の世界が提示された。
それは〝守斗〟へと生まれ変わる解脱の世界。すべてのものが神に至る輪廻転生の世界。完全なる覚者の世界。彼の実在によって死は救いへと変貌した。誰もが死を恐れぬ理想郷では、誰もが幸せにその日を謳歌した。
メメント・モリ。
死を恐れるなとは、つまりいずれ死ぬことを自覚し、日々を精一杯生きよとする教えである。
だが、この場合はまた異なる意味を帯びた。
死は救済であるのだから、好きに生きてよいのだと。
それが、この世に現れた天国であった。
そして人々が好きに生きた結果、僕の義妹は、伴侶は、壮真楓は――命をうしなった。
死んだ。
殺された。
聖母は人の手によって屠られた。
そこで初めて、僕は過ちに気が付いた。
過ちは、糾さなければならないと、気が付いた。
だから神に、こう望んだのだ。
「僕をあの瞬間にまで戻してくれて」
我が子に、神に、壮真守斗に、そう願ったのだ。
彼はそれを了承した。
僕が過去の世界で何を為すか、その結果、どんなひどいタイムパラドックスが生じるか、未来が変わってしまうか、それを認識したうえで、彼は認証した。
もしも壮真守斗が偽りの神であったのなら、僕の願いはかなわなかっただろう。過ちを糺せば、それは彼の根幹にかかわり大きな矛盾が生じる。
だが、彼は確かに神だった。
故に、僕は過去へと飛んだのだ。
あの一瞬を、蒼の瞬間をやり直すために――
††
――眼を開ける。
そこは、蒼の世界。
死屍累々のセンターホール。
屍の山の上で、それは声もなく笑っている。
妹。
義妹。
壮真楓が、無言の哄笑を上げていた。
「楓……?」
僕は思わずその名を呼ぶ。
ほんの数日前、墓標に飾られたその名前を。未来の世界で、我が子の構成要素の一つに成り下がった聖母の名を。
ゆっくりと、彼女は振り返り僕を見た。
蒼い眼が僕を見た。
僕は、問うた。
「――神は、何処に――」
彼女は、答えた。
「兄様と……壮真宮人と私の子どもが――神です」
……僕たちは狂っていた。
何もかもが狂っていた。
そう、この瞬間だって狂っていたんだ。
だから僕は、その過ちを糺す言葉を発する。
「――〝否〟だ」
そう、答えは否だ。僕らの子どもは、神ではない。――この瞬間に定義づける。
この時、この一瞬のみが、未来へと分岐するターニングポイント、運命の収束点。
だから僕はもう一度強く、義妹に向かって、未来の伴侶に向かって否定する。
「僕らの間に子供は生まれない――だから、その答えは間違いだ」
「――――」
一瞬の静謐。
その末に彼女は。
壮真楓は。
「……どうして?」
叱られた子供のような、褒めてもらえると思っていたのに叱りつけられた少女のような、今にも泣き出しそうな顔で、絞り出すようにそう言った。
「――――」
僕は告白する。
この胸中で噛み殺し続けてきた想いを、ついに口にする。
「僕は、お前を愛していないからだよ、楓……?」
「――――」
そうだ、僕はお前を愛していない。
神は全知全能――そして何より、無限の慈愛を持たねばならない。
僕、楓、守斗。
この三位一体は、トリニタスは真に〝
元来無一文無尽蔵。
生まれたその時より何も持たず、故にすべてである。
この思想は一つだけ間違っている。
人は、愛を持って生まれてくるのだ。愛されぬものは、愛なき婚姻によって生まれた存在は、到底神になど至れないのだ。
だから、僕は否定する。
否を告げる。
卒業式をやり直す。
彼女の
「楓、僕はお前を愛していない」
「……私は」
「愛していなから、結ばれない」
「私は、違う」
そうだろうね。知っている。よく、これ以上なく、知っている。
彼女が、言う。
「私は兄様がすべてだった。兄様だけがすべてだった。兄様が、他の何より大事だった。そう、この〝家〟より、〝家族〟より。だから、絆の証が欲しくって」
それが〝守斗〟。
……そうして、僕は遅まきながら気が付く。
そうか、楓にとって〝聖櫃〟は〝家〟だったのか。学び合った友は〝家族〟だったのか。
それを犠牲にしてでも僕を、求めてくれたのか。
「それでも否だ」
僕は無情に告げる。
無常に告げる。
未来を、楽園を破壊する。そう、全知全能を証明することもまた、無知蒙昧であることの証明なのだ。
僕は。
彼女は。
「――では」
楓は、僕の義妹は、くしゃくしゃの表情でこう言った。
「兄様の、第二ボタンをください」
僕は答えた。
「あげるのは第一ボタンだ。楓、お前の恋は、片思いだよ」
「――――~~~~~~ッ!!」
決壊する。
妹は泣き崩れる。
未来が瓦解する。
「私を愛して、兄様」
僕のオフィーリアはそう言った。
僕はそれでも、否だと言った。
未来の世界で彼女を愛し、その命を奪ったのは――他ならぬ、この僕だったからだ。
愛するものを護るため、愛していないと突き付ける。
それが僕のストルゲー。
――家族愛、なのだから。
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