2015 1月のメモ

勉強をする意味とは

テスト前日になって思う。テストのために僕は勉強をしているのだなぁと。結局、その場凌ぎ、というだけであって勉強を楽しんでいたりだとか学問を究明したいといったような知的探究心、自発的好奇心はどこにもない。ただ、明日出るであろう答えを只管インプットして、明日の作業的なアウトプットに備えるのである。これが学校、そして今の勉強だということは全く否めない。自分なりに考えて、やはり勉強とは自分のために、自分の投資としてやるべきなのであって、強制されてやるべきではないものだと思っているのだが、現実的にそう簡単にはいかない。なんのために?と言われれば正直に(当たり前にといってもいい)大学に入るため、である。多くの人がそうであるように、大学に入らなければ将来就職先が不安定になるので、出来るだけ良い大学に入る為に、もしくは家庭に負担をかけたくないがために国立や奨励を目指して勉強する。それで間違ってるというつもりは全くないし、それがマジョリティーな風潮だろう。僕も今のところそんな動機で勉強をしている。確かに自分から、というわけではない。しかし、国立の方が学費が安いから。勉強の動機としてそれだけではいけないのだろうか。寧ろ十分じゃないのか?

勉強を楽しむには好きになるしかない。自分が「これは面白い!」と思った学問を見つけられれば勿論それが一番だが、そう簡単にも行かない。普通なら、自分を偽らないのならば、ゲームや音楽、漫画、動画、映画など文化的、趣味的なものを好きになるのが道理だろう。僕もそうだから、というか僕がそうだからこんなことが言えるのだと思う。

自分は高校に入ってから自分が学びたいといったことを学べただろうか?いや、どうだろうか。まず、高校に入る前に、具体的に「これが学びたい!だからこの高校に行くんだ!」

といったものは無かったと思う。だから学びたいと思ったことは学べなかったんだろう。そりゃそうだ。なぜなら単純明快に、「学びたいこと」自体がなかったからだ。

大学は違うだろう、と思ってもいいが、僕自身は高校でも出来なかったことが大学でも出来るとは思えない。つまり、僕はまた大学でも学びたいことなしに入学して日々学びたいことなしに学んで今みたいなことを繰り返して言うだろう。

そして、それは特別僕だけの経験でなく、大体の周りの友達もそんなことを言っていることから、大半がそんな思いを抱いているだろう。

さて、ここで僕は提言する。

「しかし、それが正解とも言えるだろう」、と。

それで合っている、間違ってないということである。大体、無理やり自分の意思、興味をでっち上げたところでなにが出来るだろうか。ハリボテの趣味や興味で本当の意味で楽しんで仕事を選び、仕事をこなしていけるだろうか。今までの人生で自分にあったものが見つけられなかった。

「それはお前が日々をただただ生きてたからだろ」「自分から動こうとしなかったからだ」そんな言葉がどんな意味を持つだろうか。だれがなんと言おうと、見つけてないものは見つけてない。それが偽りない自分なのだから。しかし、いつかは見つけなければいけないのも事実。

そこで、高校の経験がひょっこり芽を出してくるのだ。

「社会の授業でやった経済学はすんなり頭に入った」「英語だけじゃなくほかの言語にも興味を持った」

そんなひとつひとつの「種」が、自分の進路を決める情報になり決め手になり、強みになってくる。

だから、さっき高校で学びたいことはなかったというのも、高校で見つけられたことだけは誰にしも少しはあるのだから、それだけで十分だ、と。受身だけの高校生活でも十分得るものがあるのが今の学校だ、と僕は言いたい。

そして、大学でも同じ事が言えるのだ。目標がなかったからと言って、大学をあきらめる必要は全くない。

入ってからでもたくさんの経験、分岐点、選択はあるのだから。それからでも遅くないと思う。

だから、大学に行っても今のように自分の興味の向かない勉強をやることになるのだから、就職でもしよう…若しくは宝クジ的な職業、漫画家やギャンブラー、漫才師で一発当てようという考え方は後後危ないことになる事が多いと思うし、それを選ぶこと自体が、自分のあるのかないのか分からない信用性のない才能に頼って楽したいがために選んだ「甘えの選択肢」であるとも言える。

高校生活のように、ある程度の制限の中でどの方向にも道が伸びていているシステムで、自分というものを更に探求し、磨いていけばいい。

だから、その勉強する手だけは止めないでいれば、いつかは報われる時が来る。

高学歴でも就職出来ない人がいる、高卒でも卒業した人がいる、そんな情報もあり、事実かもしれない。

高卒で成功した人のことを考えると、今やっていることが馬鹿らしくなるかもしれないし、大学いっても就職先が見つかるかどうか分からないという現状では、今やっている勉強にも自信がもてないかもしれない。

しかし、どう足掻いても高学歴の方が平均的に、一般的に考えて成功する可能性は高いのである。

大人になってから「勉強しておけば良かった」と言う声はちらほら聞くが、勉強しておいて損なことは何もない。確かに大変だ。苦労だ。疲れる。しかし、そんな苦労が今まで身を救ってきたことを思い出して欲しい。それは事実で、逆に怠惰や楽しようと思った行動が後悔を招いた経験も少なからず思い出せるだろう。

最後にもう一度だけ。その筆を進める手を止めてはいけない。歩を歩み続けてきたものにしか見えない景色がきっとある。「意味」をうんぬん考えるのはこれで終わりだ。その意味を考えている間に、その意味を飲み込んで悟ったもの達が次々にその頭に知識や教養を叩き込んで今も着々と大学に入るための力を蓄えている。

大学に行ってから見つけられるもの。しかし、大学に行かなければ見つけられないこと。それは今でこそ分からないが10年後の自分にとってはきっとあの時にこの進路を見つけられて良かったと思えるようなかけがえないものになっていると思う。未来のことは誰にも分からない。

でも未来に投資しておくことは誰でも出来る。「とりあえず」で十分。意味が分からず勉強してても「とりあえず」自分のためには確実になっていることは間違いないのだから。

夢を語るよか夢に近づこう。

さぁ、今からがその第一歩だっ!!!

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