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 何はともあれ朝餉にしましょうとせっつくリリーに従い、ひとまず簡単な朝食を済ませたシュネーは聖判の儀の刻限までを落ち着かない心中で過ごした。リリーの母を手伝い家事などの雑務を着々とこなしているうち、日が天頂に差し掛かったあたりでようやく迎えの村人が現れる。


 わざわざ昼餉前の空腹時を狙って訪れなくてもいいのにと閉口するリリー、保護者として同伴する苦笑気味のリリーの母、案内役の村人に伴われシュネーは村の中心部へと足を踏み入れた。目指すは中央広場、そこに立つ、村に一つの国教教会。

天空神ブロウを最高神と仰ぐ国教教会は総本部、中央協会を王都ネーヴ、末梢教会を各地に置いており、人々の安寧を祈り、迷える人々を伝道する役割を担っている、らしい。


 案内役の説明によれば、魔女は国教教会が指定する「異端」であり、よって魔女あらわしの儀式聖判は教会で行われるのが通例なのだそう。また、大抵村に一つは教会が置かれているとのことだった。


「異端指定を受けている事象は他にもあってね」


 異端という言葉に首をひねるシュネーにリリーはこっそりと耳打ちする。


なんかが有名だけど、覚えてる?」


ふるふると首を振るシュネーに彼女は軽く頷くと、一段と声を落としてささやいた。


「人の怨念や負の感情が寄り集まって害をなすようになったものを厄災というの。厄介なことに生き物に憑依したりするからみんな気を付けてるわ。……この村はやまいぬの領土に近いから、厄災に憑かれた犲なんかがたまに襲ってくることもあってね」


あなたもこれからこの村に住むのだから一応知っておいた方がいいと思って。まあ犲の奴ら、厄災に憑かれてなくても厄介な奴らなんだけど。そう言ってリリーは苦笑を浮かべた。

沿道から注がれる好奇とも警戒ともとれる視線を一身に浴びながらシュネーはただ黙々と歩を進めていく。野次馬は中央広場に近づくにつれてだんだんと増えていったが、いざ教会の前まで来てみれば実にすっきりとしたものだった。門の前には村の重役方が肩を並べ、肝っ玉の小さい野次馬たちはただ遠巻きに眺めているだけである。


「そこの君がシュネー=アルト君かな?」


 居並ぶ重役の中から初老の男性が一歩進み出て温厚そうな眼もとを和ませる。重役というからにはと、もっと厳めしい老人を想像していたシュネーは、意外に思って内心で目を瞠った。

案内役に促されシュネーが前に出ると、彼は肩をずらし教会の中へ道を開けた。


「どうぞ中へ。とうに準備は整っておりますよ」

「かたじけのうございます」


深々と頭を下げたリリーの母に倣ってシュネーもおっかなびっくり頭を下げると、促されるままに教会へと一歩踏み入れた。


かつんと靴音が高く反響する。

(わあ……)

思わず目を瞠るほどのすがすがしさだった。

四方に取り付けられた青を基調とするステンドグラスに昼の陽光が差し込み、教会の内部はまるで海中に沈んだ遺跡の様相を呈している。光の波がゆらゆらとゆらめき、白亜の壁に描かれた神話の一場面が青の燐光に幻想的に浮かび上がる。

向かって奥の壁に取り付けられたステンドグラスから差し込む光が神々しく照らし出す時の女神リーツィア像の傍らに、こぎれいな衣装に身を包んだ村長がこちらを見つめて佇んでいた。


村長むらおさ


咄嗟に呼び掛けたシュネーに対し、彼は鷹揚に頷いてリーツィア像の前に立つよう促した。女神の神像の手前には紗布がかけられた机が据えられており、その上に、古めかしい重厚な金属製の小箱が載せられていた。


「それが聖判の要、魔女の骨と呼ばれるものだ」


シュネーに歩み寄った村長は袂から取り出した精緻な鍵を小箱に差し込み、ややためらいがちにかちりと回す。

開けてみるように言われて恐る恐るふたに手をかけると、思ったよりも重みがあった。


(この中に……100年前の魔女の骨が)


僅かに力を込めてふたを持ち上げ、日の光にそれが浮かびあがる。小箱の中を覗き込んだシュネーは思わず驚愕の声を漏らした。


が!?)


「驚いたかな?ご先祖様も骨をそのまま保管するのは気が引けたと見えてね、こんな形に作り替えたのだよ」

「これは……ぎょく、ですか?」


シュネーの後ろから一緒に覗き込んだリリーも目を瞠っている。

臙脂色をした小箱のなかにぽつんと入れられていたのはくすんだ色をした玉だった。片手の中に納まりそうな大きさのそれは骨というにはあまりに形状が違いすぎる。

村長は箱の中の玉をてらいもなく取り出すと日に透かすようにして持ち上げ目を眇めた。


「手に入れた魔女の骨を粉々に砕き、玉の中に閉じ込めたのだよ。どうやったかは知らないが、よくよく見れば玉の中に筋が見える。大方穴でも開けて流し込んだんだろうね」

(骨を…砕く!?)


予想外の爆弾発言に背筋がぞっと冷えるのを感じた。

 気が済むまで矯めつ眇めつ玉を眺めた村長は、もう一度玉を箱の中に戻すと神妙なまなざしでシュネーに向き直った。


「天空神ブロウの御名のもとに君に問おう。シュネー=アルト、君は魔女か?」


こちらをまっすぐに射抜くその視線の中に、どこか薄ら寒い疑念を感じ取る。魔女というものに対する軽蔑や嫌悪といったものが質量を持って襲い掛かってくるような錯覚にとらわれた。


「いいえ……覚えていませんが、違うと思います」


震えそうになる声を押しとどめながら紡いだ言葉に村長が軽く眉根を寄せる。あいまいな物言いが引っ掛かったのだろう、シュネーは慌てて記憶がないので、と付け加えた。

ああ、と得心が言ったように村長が頷く。

 村長の指示に合わせてリリーと母親が一歩後ろに下がり、いつの間にか入ってきていた重役の幾人かが村長の脇を固める。リーツィエ像に向き直った村長は大仰に両手を広げると何事かを朗々と奏上し始めた。


(―――…)


無意識のうちに胸元をきつく抑え込んでいた。

握りしめた掌にこつんと硬いものが当たる。一瞬何かと思ったが、


(……ああ、ペンダントか)


村に流れ着いた時には首にかかっていたという青金石のペンダント。涙形をしたそれを、シュネーはぎゅっと握りしめた。


「―――麗しきリーツィエ女神、あまねく世を統べる大神ブロウの名を以て、ここに公正なる裁きの天秤を」


最後、手にした杯から聖水を振りまき一礼して、村長は振り返った。


「神々の名において裁きの場は成った。シュネー、小箱の中のものを取り出しなさい。お前の言葉に偽りがなければ我々は新たな同胞を得、もしその言葉に嘘が紛れていたならば、忌むべき花紋が顕現することだろう」

「―――…」


もう一度ペンダントを強く握りしめ、ごくりとつばを飲み込んで小箱へ手を伸ばす。

居並ぶ重役方やリリー達の食い入るような視線を痛いほどに感じる。緊張できゅっと腹の奥が締め付けられ、揺れて思うように動かしにくい右手を叱咤し、そしてとうとうシュネーは小箱の中に手を突っ込んだ。

肌に触れるひやりとした感覚。

この期に及んだものと意を決してシュネーはそれを掴みとり――


「―――」

「―――……」


居合わせた者達がじっと息をつめ―――

やがて口火を切ったのはリリーの母だった。


「……何も、起こりませんわね」


魔女の証も、玉の反応も何も起こってはいなかった。

ほっとした安堵はすぐさま水文のようにあたりに伝播していく。

重役方が詰めていた息を吐き出し、リリーが明るく吐息をついた。村長はじっと玉とシュネーを凝視していたが、やがて緩みかけた空気を仕切りなおすようにぱんと手を打つ。


「聖判は成った!本日この時よりシュネー=アルトは我々ザフ村の一員である!」

「……!」


玉を手に持ったままシュネーは目を瞠った。

(乗り切った、の?)

よくはわからないものの、どうやら自分は「魔女」ではないと認められたらしい。


「よかった!シュネー、これからもよろしくね!」


リリーが満面の笑顔でシュネーの背中に飛びつく。

まだ状況が理解しきれないシュネーはふいをつかれて前によろめいた。そんな少女たちの姿を村長も緊張を解いた柔らかな眼差しで穏やかに見つめている。

やはりこちらも気を張っていたようで、リリーの母も心底安心したように息をついていた。場に満ちていくほっとした空気にシュネーもぎこちないながらも微笑み――

(よかった……のよね?)

もちろんシュネーの胸中には圧倒的な安堵が去来していた。

ただ、これは村の一員と認められた安堵というよりも、―――

微かに覚えたにシュネーが笑顔を凍らせ、そして。


「――――――ッ!!」


一筋の鋭い悲鳴が教会をつんざいた。

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