赤い朱いミルカ

第11章『赤い朱いミルカ 1』

 個人が他者に対して攻撃行動をとる理由は、大きく分けて4種類ある。


 自己の防衛。味方の擁護。罰せらるべき者への制裁。そして、被害者による加害者への報復。

 言い換えるならば仕返しや復讐といったその行為は、道徳的な側面から見れば許させざるものではあるが、実際のところ、そのような扱いを受けることはあまりない。国家に反逆するテロリストが報復を受けると国民に賞賛されるように、復讐が肯定されるケースも少なからずあるのだ。


 肯定される復讐とそうでない復讐。両者の違いは、報復される側が客観的に見て“悪”か否かという点である。大多数に“悪”と認識されている“共通の敵”に対しての復讐心、それは民衆にとっての総意であり、大義に成り得るのだ。


 勿論、そのような例外的なケースがあるからといって、やはり殺人や復讐といった行為は、社会的には認められていない。法的にそれが認められてしまえば、社会の安寧が損なわれるのだから、当然である。あくまでも殺人は、処刑や戦時中などの例外を除いて、常に禁忌であり続けなければならないのだ。


 しかし、所詮は理屈の物差しだけで測りきれないのが、人の感情というものである。一方的に被害を被って、己の良心が抑えきれなくなったその時、人ははじめて怨念を抱く。一度そうなってしまった人間は、やがて禁じられている復讐という行為に手を出す事さえ出来てしまうようになるのだ。


 やられたらやり返す。人の中でも最もシンプルな感情である。ともすれば動物の反射と大差ないようにすら聞こえる幼稚な響きではあるが、それだけに、ヒトの根底に根ざした動物的な本能でもあるのだろう。

 幸か不幸か、人はなまじ知性などというものを持ってして生まれてしまうから、動物として当然の行為である復讐を、倫理や道徳と重ねてしまい、よくないものとして考えてしまう。加えて、復讐の持つ因果関係にも目を向けざるをえないであろう。


 復讐心は人として当然の感情ではあるが、それは同じく人である相手とて同様なのである。こちら側の報復に対して、今度は相手やその関係者がこちらに仕返しをしてくることも十分に考えられるのだ。これが世間体でいう、復讐の連鎖というものだ。


 戦争は何故なくならないのか。その理由の一つとして、やはり戦争と復讐の密接な関連性が挙げられるだろう。ただ利益を求めて戦争を起こす上部の人間はともかくとして、彼らの下で動く末端の兵士達は、しばしば報復や復讐を掲げて武器を手に取る。それが国家規模であれ個人規模であれ、人は戦場という殺人が合法化された舞台の上で、負の感情だけで他者を殺せてしまう生き物なのだ。

 一応、復讐の連鎖を止める方法は存在する。それは連鎖の中にいる誰かが復讐心や怨念といった感情を抑え込み、墓まで持って行くことである。報復を望む本能に、理性がブレーキをかけるのだ。されど、これは被害を一方的に被った上で、己の感情すらも踏み躙って、泣き寝入りをするということである。そして、人の器はそれを受け止められるほど丈夫ではないのも事実なのだから、そういう意味で、この方法はあまり現実的とはいえないのかもしれない。国家間規模の復讐の連鎖である戦争ならば、尚更だ。


 誰かが“犠牲”にならなければ、戦争はなくならない。されど、人は復讐の中に心の拠り所を見つけ、それを求め続ける。


 結局のところ、人は戦争を止める気など、実は微塵もないのかもしれない。



 『ダーク・ガーデン』の一角に佇む病院。その最奥に、この研究室は存在した。

 隠蔽する為か、ご丁寧に隠し扉まで設けられ、そこを潜ると今度は非常灯すら点っていない真っ暗な地下階段を進む羽目になったが、そこにあった研究資料に目を通すなり、研究室を訪れていたフロッグマンの鬱憤や憂鬱はすぐに吹き飛んだ。


「アッヒャッヒャッヒャ! やべェよ!! 事実は小説よりも奇なりたあ、この事だなァ! ……ン、まてよ。この世界はそもそも小説だからこれでは誤用か……?」


 “タッドポール1”……アフマドは、忙しく表情をコロコロと変えているフロッグマンの側まで近づくと、礼儀正しく報告を始めた。


「“タッドポール1”より報告。E-57を追跡していた“タッドポール2”の信号がロストしました」

「そう……」


 報告するアフマドに対して、興味がないように空返事をするフロッグマンであったが、一拍おいて突然に目を見開く。


「えっ……死んだァ? メスブタちゃんが? ハハハッ。冗談だろ、天パ君……嘘だろォォウ!?」

「……? え、ええ。“タッドポール2”の盗聴記録から、現在バハムートはE-57と行動を共にしているものと思われます」


 意外にも仲間の死に取り乱し始めたフロッグマンに、アフマドも内心驚いてしまったが、すぐに平静を取り戻して淡々と報告を済ませた。


「その、盗聴記録というモノはいずこに?」

「はっ、こちらに」


 言うと、アフマドは手に持っていた記録端末をフロッグマンに手渡した。受け取ったフロッグマンがいい加減に再生スイッチを押すと、若干ノイズが交じりつつも聞き取れない程ではないくらいの会話が聞こえてきた。やがて激しい銃声のような騒音が連続で鳴り響いた後、そこで音源はプツリと途切れてしまっていた。


「一連のやりとりから察するに、連中はおそらく宇宙港に向かっているかと……」

「いんや、街はずれの工房だネ」


 自らの推測を述べるアフマドを、フロッグマンが遮った。


「工房? それは何故に……?」

「何故でもよ! 自慢じゃないわけじゃあないが、ワタシの勘は結構当たるからねえ」


 何だ、いつもの勘か。とアフマドは渋々納得した。

 フロッグマンは部下に対して必要最低限の情報すら語らない。しかし、彼の勘が間違っていた例は、不思議な事に一度もなかったのだ。

きっとフロッグマンの中では、結果へとつながる数式が成り立っているのだろう。ただ、途中式を述べずに正解を語るのみ、というだけ話だ。そして、今のアフマドはフロッグマンの所有物なのだから、ただ持ち主の意向に黙って従ってさえいればよい。


「……了解しました。では、工房に部隊を回します」

「いや、工房にはワタシも向かおう」

「はっ……? 司令塔自らが……?」


 思いがけぬフロッグマンの発言に、アフマドはつい聞き返してしまった。


「バハムートがそこに居るというのに、ワタシが直接引導を渡さないでどないするねん」


 フロッグマンはいつものへらへらとした調子で言う。相変わらずこの男の考えている事は読めない、とアフマドは思った。


「てなわけで、ワタシはちと工房に行ってくる。お前も来るかい?」

「はっ、ご命令とあらば」


 まるで人形のように、アフマドは礼儀正しく敬礼をした。



「よお、アルテッラさん。少し場所を借りるぜ」


 だだっ広いガレージに到着するなり、突然の来訪者に文句を垂れるアルテッラに構わず、ナットは手近な壁に気絶しているバハムートをもたせ掛ける。パウリーネもガレージに到着するなり、すぐにバハムートの応急処置に取り掛かるため、エリーやミリアに濡れタオルの用意などを促している。

 しばらくすると、こちらに気付いたデフとミランダも近寄ってきた。


「……? お前ら、その格好は……」


 デフとミランダは無骨なつなぎ姿だった。それだけでなく、服のあちこちに塗料が付着している。


「キメラ・デュバルの塗装作業を手伝わされてたんだよ。ったく、あの人ってばよぉ、人使いが荒いってもんじゃないぜ」

「キメラ……?」

「あいつのことさ」


 疲労に嘆きつつ、デフはハンガーに佇む一機のDSWを示した。ダークグレーに塗装されたその機体は、外見からギム・デュバルをベースにしていることが伺える。しかしそれだけではなく、装甲などの外装部分の大半はソリッドのものが使われており、本機がU3Fとインデペンデンス・ステイトの両陣営にとっての主力量産機のミキシングビルドからなる機体であるということが明らかであった。その歪な外見や生い立ちは、まさしく“合成獣キメラ”そのものである。


「あの機体、動かせるか?」

「今は乾かし中だよ。まさか、あーしの機体でドンパチやろうってんじゃないだろうねぇ?」


 会話を遮られるとともに、後頭部に何か固く冷たい感触があたる。ナットが振り向くと、そこにはレンチを構えたアルテッラが、呆れたような表情でこちらを見ていた。


「この騒動を鎮めるためだと……、そう言ってもか?」

「駄目だ。たかがDSW一機で、状況が変えられるものか」

「状況が状況だから、俺が何とかするって言ってるんだろ! そんなに俺の腕が信じられないかよ……!?」

「いや、そうではないが……」


 フロッグマンを原因とした騒動については、当然ながらデフやミランダ、アルテッラの耳にも入っていた。しかし、十数機もの自家製DSWを抱えるアルテッラが、依然として反旗を翻さないのには、やはり自分たちの生活が脅かされている事を恐れていたからであった。テロリストに抗ってしまったがために平穏が壊されてしまうなど、誰だって御免である。


「落ち着いてナット。人に当たっている場合じゃないわ」


 ピリピリと張り詰めた空気を感じ取ったミルカが宥め、ナットはようやく我にかえる。彼女の言う通り、自身の苛立ちをアルテッラにぶつけたところで、事態が改善される筈もないのだ。至極当たり前の事ではあるが、そんなことを忘却してしまうくらい、今のナットは焦っていた。


「……そうだな。すまなかった、アルテッラさん。ミルカ」

「あの……あなたは?」


 緊張の糸が少しだけ解れたタイミングを見計らってか、ミランダがミルカに対して訪ねた。そういえば、ミランダやデフからしてみれば、ミルカとは初対面である。


「ミルカ=ローレライ。『ダーク・ガーデンここ』の住民なんだけど、色々あってここに来る事になっちゃったの」


 初対面だと言うことを差し引いても雑すぎる自己紹介をするミルカではあったが、


「そっか……、お前も色々あったんだなぁ……」

「もう安心して。私たちがついてますから」


 デフとミランダはそれを聞くなり、しみじみと頷いていた。

 思えば、彼らも一ヶ月ほど前までは普通の民間人であり、理不尽に巻き込まれる形で今までの生活を捨てることを余儀なくされ、コスモフリートの乗組員となったのだから、ミルカの置かれている現状も理解に難くないのだろう。


「……あー、コホン」


 妙に温まりつつある空気に居心地の悪さを感じたのか、アルテッラはわざとらしく咳払いしてから、ナットに訊ねる。


「とりあえず、まずは事情説明をしてもらおうか。お前たちの船長が伸びているのにも、何かワケがあるんだろう?」



 かくしてナットは、これまでの経緯を可能な限りアルテッラたちに話した。

 モルモットチルドレンのこと。一連の騒動の首謀者がフロッグマンである、またはその可能性が高いということ。かつての仲間であったシェリーが敵となっていたこと。病院で騒動があったこと。下水道にてシェリーとの戦闘があり、バハムートがやられてしまったこと。事実だけを淡々と述べた。

 アフマドとの確執については言及するのを避けた。言ったところで余計な同情を買うだけであるし、何よりも、自分の決意が揺らいでしまうことを恐れてしまったからだ。


(俺はもう決めたんだ。次に逢った時は、迷うことなくアイツを撃つって……)


 かつての友に銃口を向け、引き金を引く覚悟ならとうに出来ている。悲しい覚悟であるのはナットとて承知しているが、そうでもしなければ、もしもという時に大切なものを守れやしないのだ。たった今、バハムートが深手を負ってしまっているのが、何よりの証拠だった。


「なるほど、な。それで宇宙港へと殴り込みってワケか」


 全てを聴き終えたキムは、神妙な面持ちでガレージ中のDSWたちを見渡した。数十機のDSWたちがハンガーに眠るこのガレージは、まさに巨神達の神殿といっても差し支えない光景であり、ともすればここにあるDSWたちでテロリストたちを一掃できるかもしれないと思えてしまう。

 が、それは自惚れであると、アルテッラは心中でその考えを制した。


「全く、無茶な話だ。下手に刺激をするだけでも何があるかわからんというのに、よもやあーしのDSWを使って大打撃を与えようなどと……」

「……いや、その無茶をすりゃ、あるいは何とかなるかもしれねーぞ」


 忌々しげに吐き捨てるアルテッラの言葉を、キムが遮った。


「……何?」

「連中の裏の裏をかく。そいつはやっぱり……そういうことだろ?」


 キムの視線の先。そこには、DSW運搬用の二台のトレーラーがあった。



 止まない雨はない。明けない夜はない。

 自然界においては常識にして絶対の法則ではあるが、人工の大地であるコロニーにおいて、それは適用されない。

 たった今『ダーク・ガーデン』の街を包み込むスプリンクラーの雨は人の手でしか止める事は出来ないし、シリンダー内を照らす人工太陽もまた、人が火を灯さない限りは輝くことはない。

 要するに、何もしないままではずっと現状のままなのだ。この“雨”に限って言えば、延々と降り続けていればいつかは止むかもしれないが、それはコロニーから水が消える事と同義である。それは現実的ではない。


「……なあ、辺りはまだこんなに暗いというのに、本当に行くのか?」

「夜道のドライブは嫌いじゃない。行くぞ」

「……なあなあ、道路がこんなにも濡れているというのに、本当の本当に行くのか?」

「スリップして死んじまうようじゃ、所詮そこまでの奴らだったって事さ。だが俺たちはこれから、それ以上の無茶をしようってんだ。怖気づいてないでさっさと行くぞ」


 言って、キムは強引にアルテッラをトレーラーの運転席に押し込むと、自らも鎮座しているもう一台のトレーラーの方へと乗り込む。

 時刻は既に3時過ぎを回っているのにもかかわらず、『ダーク・ガーデン』の街は未だ夜闇に包まれており、スコールのように激しい勢いで降り注ぐスプリンクラーの雨も一向に止む気配がない。これから運転をしようという時に、これほどバッドコンディションな環境もないだろう。


『いっそもっと大胆に強行突破をしちまおう』


 そう発案したのは他でもないキム自身であった。

 曰く、敵は民間人の手すら借りねばならぬ程の人員不足なのだから、当然ながらその守りも手薄である。だからこそ、回りくどい手を打つよりは大胆なカードを切ってしまった方がいいとの事らしい。

 連中に対して下手な刺激を与えることをよしとしなかったアルテッラは特に反対していたが、かといって他に代案が出なかった為、結果としてキムの作戦が採用された。

 その作戦内容は極めてシンプルで、DSWを搭載した2台のトレーラーを宇宙港へと向かわせ、電撃的に管理局を占拠し返すという単純明快なものであった。

そういう経緯もあって、現在キムが運転席に座っているトレーラーにはナット、エリー、ミリア、ミルカ、バハムート、そしてピージオンが。アルテッラの運転する車両にはデフ、ミランダ、パウリーネ、アレックス、そしてキメラ・デュバルがそれぞれ載せられている。

 キムはシートベルトを着用すると、ハンドルの感触を確かめるように握る。


「キムさん。トレーラーの運転も出来るんですか? なんか小慣れてますけど」


 助手席に座るミリアがそんなことを訪ねてきた。


「もともと俺は自動車の整備工でな。若い頃は仲間たちと夜の峠なんかを攻めたりしたもんさ」

「攻め……? キムさんってもしかして元走り屋じゃ……」

「さて、行くか」


 何か嫌な予感がして青ざめているミリアを意にも介さず、キムはアクセルペダルを思いっきり踏み込んだ。



「あちゃー、一足遅かったかぁ……」


 テールランプが尾を引きながら過ぎ去ってゆくトレーラーを見つめながら、フロッグマンが残念そうに肩を落とした。


「あの方向は間違いなく宇宙港へ向かっているでしょう。追跡しますか?」

「そだネ。とりあえず宇宙港へのルートには包囲網を展開するとして……ムムッ!?」


 アフマドの発言などお構いなしに、フロッグマンは唐突に工房内のガレージへと入り込んでいった。


「うっわぁースッゲェ! なんなんですかこのDSW達はッ! 僕チンの男の子回路がビンビン刺激されちゃいましゅうううッ!!」


 腰を振りながら絶叫しているフロッグマンを見て、アフマドはこめかみの辺りが痛むのを感じつつも、冷静に対応する。


「工房の主が造ったハンドメイドですか。それも“武装は一切搭載していない”ときた。この機体達の開発者は大層小賢しい気質の持ち主であると伺える……」

「こらこら。会ったことのない人の悪口を言うもんじゃないぞ……っと!」


 フロッグマンは前方に佇む黄緑色のDSWの足元まで駆け寄ると、ハンガー傍にあるリフトを起動させる。


「い、一体何を……!?」

「天パ君も適当な機体に乗りたまえよ! こいつでトレーラーの跡を追いかけるのだ!」


 リフトが機体胸部の高度にまで達すると、フロッグマンは手元の開閉スイッチを操作し、コックピットハッチを開け放つ。操縦席に乗り込んでハッチを再び閉じると、眼前のモニターが表示された。


「A’sHM-63<destroyer>……“アリゲーター”ねぇ……」


 モニターに浮かび上がる文字列を読み上げながら、フロッグマンは各コンソールを慣れた手つきで操作する。無用心にも、機体のパスコードキーはコックピットに挿しっぱなしだった。


「なかなか面白い機体じゃないの、これは」


 青い三つ眼に光が灯り、黄緑色の鉄巨人は重々しくその一歩を踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る