白の牡丹百合

絆アップル

皐月に咲く花

 屋上から見上げる曇天は今の私の心よりずっとどんよりしていた。私は今どちらかというと気が重くなっているというよりは、少々の戸惑いと少々の高揚感に包まれていた。何かを期待するような、ドキドキが胸から背から爪先へ伝わって立っている足が痺れてくる。屋上の柵に手をかけたサキは機嫌よさそうに鼻歌を歌い、歌い終わると、

「私と付き合えると思う?」

と言った。

 私は咄嗟に返事ができずしばらく黙り、サキはそれを気にもしないようにという調子で柵にもたれてグラウンドを見下ろしていた。

「よく分からないな。女の子と付き合ったことないし」

「女の子と付き合えるかじゃない、私と付き合えるかよ」

「付き合うって具体的にどうするの」

「そうねえデートしたり、遊びに行ったり、カラオケに行ったり…」

「それって全部デートだし、友達ともできる」

「じゃあキスをしましょう」

 じゃあキスをしましょう?この子は唐突に何を言い出すんだ、と私の頭は混乱し始めた。そもそもこの屋上に呼び出されたのだって「告白したいから来て」と言われて引っ張ってこられて…じゃあ「キス」というのは別におかしなことではないのか。

サキが私を好いていて、それは恋愛感情で、じゃあキスしたいなんて普通のことだきっと。あれ。でも私まだサキにその「告白」をされていない。

「えっと…サキは私をすき?」

「うーん。まず付き合えるかを聴きたかったの」

「どうして」

「フられるのは嫌だから」 

 それはすきってことなんじゃないのか…。私は頭を抱えたくなった。告白する前から告白している。それもこんなに気軽そうに。私にはサキが緊張しているようにも見えないし、切羽詰まっているようにも見えなかった。昨日の晩御飯を聴くテンションだ。笑顔はないけれど、しかめっ面でもない。

 サキは明るい髪色のゆる巻きのボブを風になびかせながら、セーラー服のスカートもはためかせていた。私の足元も同じ紺のスカートが風に吹かれている。サキは十五歳で私も十五歳。サキの誕生日は四月で私の誕生日は五月。今日は六月十八日木曜日…。

 

 私はサキの顔がすきだ。中身だってすきだ。去年初めて友達になった日から、サキの言動のひとつひとつが何故か気になってその日した会話をほとんど覚えているような感じだった。サキについてもっと知りたくなったし、サキのすきな物にも興味が湧いた。すきな小説本や漫画本を貸しあい、ノートに落書きをし合った。同じクラスになった去年から一年と二か月、そんな調子で過ごしてきた。喧嘩をしたことはない。誕生日にはプレゼントも贈ったし貰いもした。

 十二月のある日私は夢を見た。サキとキスする夢だった。抱き合ってそれから唇を重ねた。夢の中なのに感触があり、気持ちよくて、温かくて、目が覚めるともうそこにサキがいないことが寂しくて仕方なくなった。その日登校してサキに会ってもまさかそんなことは言えず、私はずっと黙っていようと思った。フツーの友達になら笑い話として言えるかもしれない。ゲラゲラ笑える話だ。でもサキには。サキが相手となると無理だった。その時くらいからだ、サキのスカートの裾から覗く素足が気になるようになったのは。


 サキは屋上の柵に足をかけた。

「危ないよ」

「だーいじょぶだって」

 それ以上乗り越えようともせず、でも身を乗り出しているサキを見て私はようやく気が付いた。サキは楽しそうにしているのではなくって身を持てあましているのだ。どうしていいかわからなくなって、適当に鼻歌を歌ったり危ない真似をしてみたりしている。全部全部誤魔化しているのだ。多分きっと恥ずかしさや不安を。

 私はサキの元へ近づいていってセーラー服の裾をつまんだ。落ちないで欲しいそんなところから。

「付き合えるよ」

 小さな声で私はそう告げていた。サキは慎重に柵から足を外し、ずるずると座り込むと柵に背を預けた。

「落ちちゃうかと思った」

サキが顔を手で隠しながらそう言った。

「落ちたら困る」

「いやだって…」

「サキ」

 小さな声でサキを呼んでずっと触れてみたかったその髪に触れた。頬を撫でた。ずっとこうしてみたかったからそれが嬉しくて仕方がない。緊張の方が勝っていてそれどころでもないのだけど。

「サ、サツキ…」

「まずキスをしましょう」

 キスなんてしたことがないからやり方が分からず、いつ目を閉じていいのかもわからず、目を開けたままのサキに私も目を開けたままキスをしていた。恥ずかしくて視線は逸らしたし、ほんの少し触れただけですぐ離れる。柔らかかったとか、なんかいい匂いがしたとか言いたいことは色々あるけれどそれより!

「すきだよ、サキ」

「さ、さっちゃん…」

「さっちゃん?」

「付き合えたらそう呼ぼうと思ってて…」

「そうなの?」

「そう…なの」

 私はサキの手を取って手の甲に唇をつけた。見る間に真っ赤になっていくサキを見ながらこれって幸せだなと思った。

「さ、さっちゃん…」

「何」

「そういうのは、そういうのはなんかずるい…」

「瞼にしたっていい」

 私がそう言いながら真っすぐ見ていたのはサキの太ももだったのだけど。

「サキ」

「わわわ」

 私はサキをぎゅっと抱き寄せて髪の匂いを嗅いだ。できることならずっと吸い込んでいたい香りだった。

「私のことすき?」

 今更だけどちゃんと聴いておきたかったことを静かに聞いてみる。サキは私の体のどこを掴もうか迷ったらしく、手をもそもそと動かした後にそろそろと背中に手を回しながら、

「…すきだよ」

と消えちゃいそうな声で言った。



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