若き名将と罠を張る女
若き名将と罠を張る女#1 決戦前夜
◆1
都市国家ギェスには希代の知将が存在し、ギェスを幾度となく勝利に導いた。彼は見た目麗しい青年であり、若くしてその才能を発揮し、北方の異民族を退けてきた。そんな将軍の傍にいつも控え、支えてきたのが女官のフレイメアであった。
今日もギェスには戦車が凱旋する。
「ありがとうございます、セリル将軍」
フレイメアは将軍の隣に座っていた。黒い服を着て、顔にはヴェールを被っている。個性は主張しない女官の制服だ。
セリル将軍は車の後部座席に座り、群衆に向かって手を振る。彼の車を囲む戦車。
「どうしたフレイメア、礼なんか言って」
「これほどの勝利、セリル将軍でなければなしえなかったでしょう」
セリル将軍は野戦での部隊指揮に天賦の才能を持っていた。先日は北方の魔法使いたちを撹乱し、大損害を与えたうえで後方の砦まで撤退させた。
凱旋パレードはやがて要塞に戻り、セリルは自室でようやくくつろぐ。
フレイメアは言われなくともグラスとワインボトルを用意し、ヴェールの奥で優しく微笑みかけた。
「勝利の記念に、ワインを開けませんか?」
「ああ、ありがとう……ただ、飲みすぎないようにしなくてはね……最近酔うのがやけに早いんだ」
「お疲れになっているせいですよ、きっと」
封を切られ、グラスに注がれるワイン。セリル将軍はゆっくりとワインを飲んだ。すぐにめまいを覚えて顔を伏せる。吐きはしない。
「ダメだ……酒の強さには自信があったのに」
「勝ちすぎて毎回お酒を召しているせいかしら、今日はお休みになられては?」
「ありがとう、そうするよ」
「いつも感謝している。君がいなければ勝てない戦いだった」
「そんな……私をあまり褒めると奥様に悪いですよ」
「ハハ、あいつの嫉妬深さはお前も知っていたな……」
そして自宅へと帰っていくセリル将軍。フレイメアはその後姿をいつまでも見送っていた。
一方、撃退させられた北方のインペリアル人の陣営は悲惨だった。戦車の砲撃を受け手足を失った者、銃撃を受け高熱を出しているもの……魔法による防御をもってしても、防ぎきれない損害を受けた兵士たちが防衛陣地のそこらじゅうに横たわる。
蠅を追い払って現れたのは麗しい女魔法使い。
血なまぐさい戦場に似合わない妖婦だ。下着すらまとわぬ全裸に、暗い赤のマントを羽織っている。目は爛々と輝き、魔力の風によってマントは常に揺れ動く。
惨状を視察していた中年の司令官が彼女に気付き、嫌味を言った。
「噂に聞く戦闘魔術師の力をもってしても、この程度か」
「お言葉ですが、正面からぶつかって勝てない相手にはどう頑張っても正面からでは勝てません」
戦闘魔術師……裸になることで、空気中に存在する魔力を全身から皮膚呼吸し、常識では計り知れない魔力を扱うことを可能にした魔術流派。
「閣下はわたくしの魔法で敵を吹き飛ばすことをご所望で? 残念ながら戦闘魔術は殴り合うことだけが全てではございません。作戦の指揮をわたくしに任せてください」
「敗戦の責任は俺にもある。次は全て任せよう、期待するぞ」
それを聞いた妖婦……ギリは目を一層強く光らせたのだった。
◆2
都市国家ギェスの空気は次第に重くなり、緊張感が高まっていった。理由は数日にわたって繰り返される殺人や破壊工作だ。
「どこからか分からないが……敵が侵入している」
執務室でセリル将軍はくまの深くなった目をつむった。
机の上には事件の起こった箇所に赤い印のつけられた地図。体力と睡眠時間を削り対応に当たった。普通の事件なら警察の仕事だろう。ただ、今回は敵軍の侵入が予想された。軍を動かし、街に厳戒態勢を敷く。
フレイメアは心配そうにヴェールの奥からセリルの横顔を見る。
「どうやって侵入したか、考えはあるか? フレイメア」
「すぐに答えは出ませんが……」
「俺には仮説が一つある。トンネルだ。敵陣地があの丘に作られてから1ヶ月、その間作業を続け、こちらの街の下までトンネルを掘ったんだ」
フレイメアは驚いて手にした書類を落としそうになる。
「トンネルと言いましても、かなりの距離がありますよ」
「奴らは陣地を構築し、ひたすら守りに徹している。こちらが攻めようとすると迎え撃ってきて損害を覚悟してこちらの勢いをそぐ。トンネルのためだと思えば理屈が通る。魔法の力には土を掘るものもあるという」
そこまで言って、セリルは椅子に座ったまま大きく伸びをした。直後、貧血を起こしたのかゆっくりと身を丸める。
「いかがなされました……? はやり過労が……」
心配するフレイメアだったが、セリルは笑顔を見せた。
「寝不足かもしれん」
フレイメアは自分の机から立ち上がると、お茶を用意してセリルの机に置いた。
「どうぞ。少し休憩しましょう」
「ありがとう……」
セリル将軍は机の上の地図を畳み、お茶を飲む。
「働きすぎかもしれない。心配かけたな」
その日はまだセリルに元気が残っていた。次の日になる。フレイメアはある情報を聞いた時、執務室に入るのをためらった。
「失礼します」
返事は無かった。セリルは自分の机に座り、肘をついて深くうなだれていた。
「……」
若き将軍は目を合わせることなく、顔を伏せたまま。窓の外、太陽を雲が隠す。
「君は優しい。深く問い詰めたり、悲しいことを説明させたりしない」
「私はあなたの隣に」
静かに顔をあげ、フレイメアを見上げるセリル将軍。すでに涙は無かった。
「独り言だけ言わせてくれ……妻と子供が殺された。いけないな……今の俺は、冷静さを欠いている」
セリルは仕事をしようとしたのだろう。机の上の書類を手に取って眺める。しかし、目が滑ってしまうようで、何度も同じ紙を見ていた。
フレイメアはゆっくりと彼の傍に寄り添い、静かに話す。
「後のお仕事はわたくしにお任せくださいまし」
「ありがとう……本当に助かる。今日は仕事にならないな……ハハ、だめな男だ……」
その後姿を見送って、フレイメアは警備の手配の仕事に取りかかった。
◆3
セリル将軍の部下たちに噂が流れる。将軍は決戦を望んでいるらしい、という噂だ。ギェス近くに存在する敵の陣地を壊滅させ、この地域から完全に敵を追い出すというのだ。
ギェスの戦力は戦車12両。都市国家にしては十分な戦力である。当然フレイメアの耳にも噂は入ってきた。
「閣下、よくない噂が流れていますね」
それとなくセリルに聞くフレイメア。セリルは否定も肯定もしなかった。
「俺は何も言っていない……皆の想像力の結果だ。ただ、悩みの元が絶てるなら、それに越したことはないな……」
セリルの顔は蒼白だった。
精神から、そして肉体から。セリルは追い詰められている。フレイメアは変わり果てた彼の姿を見るのが辛い。
(閣下……あなたは復讐したくてたまらないはず。断罪の鉄槌を振り下ろしたいはず……いま取るべき行動はトンネルと内通者の把握なのに、目を逸らすほどに……追い詰められている)
やがてそのときは来た。歩兵3000人、戦車12両の部隊が敵陣地目指して行軍する。都市国家ギェスの軍勢はこれが限界だ。他の都市国家から援軍を貰えればこれほど苦労しないし、みすみす目と鼻の先に陣地を築かれることもないのだろう。
いま世界中が戦乱の渦に巻き込まれている。
インペリアル人大攻勢。科学国家群エシエドール帝国を切り崩す刃が最初に狙ったのは都市国家間の同盟関係だ。
戦闘魔術師のギリはインペリアル人の陣地の物見台で風を受け、燃えるような赤の髪を揺らしていた。相変わらずの全裸。
「情報通り攻めてきましたね」
中年の司令官は隣で望遠鏡を覗きながら言う。
「ほう、確かに城攻めはあらゆる戦術の中で最も愚策だとは言うな。ただ、戦車がいるぞ。損害を恐れず突撃されたら、砲撃でいくらでもこちらの陣地は破壊される」
「もちろん、誘い出しただけで勝てるとは思ってません」
続いて司令官は自分の陣地の様子を見下ろす。塹壕や有刺鉄線が張り巡らせてある。ただ、1ヶ月の急ごしらえなのでとても多数の戦車の突撃に耐えられるようには見えない。
「む、防衛隊の数が少ないぞ。例の作戦のためだろうが……大丈夫なのか」
「もちろん、最低限の人員は確保しております」
ギリは夜の松明のように目を光らせる。マントは魔力の風で揺れる。彼女に恐れや不安などなかった。
「どうせ十分な人員を用意しようとしても、あれだけ来られたら正面から叩き潰されるんですもの、無意味ですよ。そうはならない方法を、わたくしはお教えしました」
再び敵陣の様子を見る司令官。遠くの丘に戦車の影。敵はまず砲撃を行い、戦車を突撃させて鉄条網と塹壕の陣地を破壊し、兵士を突入させるだろう。
こちらの陣地は敗戦続きで士気が低く、暗い顔をした兵士たちが魔法の準備をしている。魔法は感情で動く。砲撃は耐えられそうにない。
歩兵に守られた戦車。砲が仰角を取り、狙いを定める。
「来るぞ。では、作戦の通りに」
轟音。ギリと司令官は物見台から降り、地下の作戦室へと向かっていった。
若き名将と罠を張る女#2 戦いの行方
◆1
戦車隊の砲撃が始まった。北方蛮族軍には重質量飛来物防護の魔法があり、それらは半球状の盾となって陣地を覆っている。
空中で轟音を立てて砲弾が爆発し、跳ね飛ばされて、明後日の方向へと飛んでいくのが分かる。ここまでは想定通りだ。
ギェス軍は安全圏内に歩兵と戦車隊を展開し、歩兵は待機させている。敵には長距離攻撃手段が無く、戦車に対抗するには決死の覚悟で肉薄して魔法を炸裂させるほかない。いま北方蛮族軍が戦車隊に対抗しようと兵を出すと、この防衛隊の数では歩兵の銃撃を受けて無駄死にしてしまうだろう。
そして重質量飛来物防護の魔法はいつまでも続けることはできない。魔法は大きく感情の力を消耗させ、肉体に疲労感を与え、空腹を感じさせる。北方蛮族軍の防護魔法隊が限られた資源であることは明白だ。
今までは迎撃できていたが、今回ばかりは陥落は免れない。そう誰もが思った。
そのときであった。ギェス軍の後方で突如爆発が発生した。歩兵の射程外、補給線が狙われていた。もちろん護衛はいたが、それ以上の軍勢が丘の麓に突然出現したのだ!
「どこから!」
先陣で指揮をとっていたセリル将軍は珍しく取り乱した。
後方に控えておいた物資がことごとく破壊され、敵は波が引くように退却していく。それも、敵陣とは関係ない森の方向へとだ。
「トンネルだ……」
セリル将軍は察した。トンネルはいくつも掘られていたのだ。街の中や……こういった侵攻ルートの近くにまで!
予想通り、森を警戒すると反対側の崖から敵部隊が現れ、防御の薄い場所を攻撃する。こうなってしまっては砲撃どころではない。
「いつもの俺なら、気付けたはずだ……」
侵攻計画を知られていたとしか思えない。情報は筒抜けになっていたのだ。
すぐさま丘の上に円陣を組み、防御陣形を取る……が、それも予想されていたのだろう、地面が陥没し、戦車と歩兵の一部が飲み込まれる。魔法か爆発物でわざとトンネルを崩落させたのだ。
「こんな戦術に後れを取るなんて……俺はただの馬鹿な人間にすぎなかったよ」
蒼白な顔で、地面に膝をつくセリル。
「全軍撤退だ……俺は退路を守る」
地面の穴からやっとのことで戦車が這いあがる。ここで戦車を失うわけにはいかない。補給が絶たれ包囲された以上、一刻も早く生還させることが重要だった。力なく銃を取る彼に寄り添うものが一人。
フレイメアだ。軍服を着て、手には小銃。
「わたくしも共に、最後まで戦います」
撤退していく戦車隊。そして歩兵。精神、肉体共に疲弊し無様な撤退戦を晒す知将の姿に、ついていくものは少なかった。それでも必死に戦い、魔法使いたちに包囲され……。
被弾覚悟で突っ込んできた魔法使い。魔法の射程に入ってしまい、麻痺毒の雲が襲い掛かる。銃撃の層が厚ければ発動前に防げただろう。だが寡兵にそれを防ぐことはできなかった。
そしてセリル、フレイメア、数十人の兵士は、そのまま生け捕りになってしまった。
◆2
戦闘魔術師のギリは静まり返った丘の上へとやってきた。血なまぐさい匂い。蠅の飛ぶ音。辺りには兵士の死体。それは両軍のものだが、ギェス軍側の方が多く思える。戦車の破壊は1両、完全な勝利と言えよう。
ギリは満足げに捕らえられたセリル将軍を見下ろした。
「セリル、あなたともあろうものが、こんな初歩的な包囲戦術に対応できないなんてね。買いかぶりすぎたかしら?」
返事はない。自尊心と冷静さを砕かれ、セリルは完全に何も考えられなくなっていた。そもそも、最初から冷静な状況ではなかった。
この場に連れてこられた女官が一人。フレイメアだ。
「ご無事……でしたか」
縄で縛られ、いつもの静かな声が悲哀に歪んでいる。
「何か言いたいことがあるようだぞ」
ギリはそう言ってフレイメアに台詞を促した。フレイメアは地面に膝をつく。
「お願いです。わたくしの命をかけます……どうか、セリル将軍を助けてください」
それを聞いて、セリルは焦りの表情を浮かべる。
「そんなことはするな! 俺には何の価値もない……」
セリルとフレイメアは見つめ合う。確かな信頼があるのだろう。ギリは冷めた目で見ていた。
「セリル将軍は価値のあるお方です! 今回は、ただ……状況が悪かっただけです。あなたのせいではありません。どうか、どうか生き延びてください……」
「フレイメア……ありがとう……そこまで俺のことを……」
ギリは静かに、二人の処分を告げた。
「敗戦の将に価値などない。殺すこともないだろう……お前たちを含め、捕虜は釈放してやる」
「ありがとうございます!」
「感謝する……」
涙を浮かべてセリルに寄り添うフレイメア。ギリはため息をついた。
セリルとフレイメアは拘束を解かれ、しっかりと抱き合った。
ギリは見た。セリルからは見えないフレイメアの笑顔。命が助かった嬉しさの表情でも、セリルを救えた安堵の笑顔でもない。自らの汚い欲望が叶えられた笑顔だ。
「どこへでも行け。国には帰れないかもしれないが」
肩を寄せ合い去っていく二人を見送った後、ギリは陣地に帰還した。満足げな司令官が出迎える。ギリは結果を報告し、骨と皮で作ったかのようなみすぼらしい椅子に座る。
地下の作戦会議室には司令官の吸う煙が充満していた。ギリの巻き起こす魔力の風が、煙を渦のように動かす。
「なるほど、確かに正面から戦うだけではなかったな」
「あの将軍はもう再起不能ですね、完璧に叩き潰してあげましたもの。それに、国に戻らないように言ってありますし、そこまでが契約ですから。後の都市攻略は幾分か楽になりました」
ギリは得意げに言う。
「それで幾分か予算が欲しいと言っていたのは何の話だ?」
司令官はふーっと煙を吐いて、上機嫌に言う。ギリは煙を巻き上げて竜巻を作って遊んだ。
「なぁに、ただの謝礼金ですよ。あの女に当面の暮らしの分のお金を渡しておきませんとね。契約ですから」
若き名将と罠を張る女(了)
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