放浪王子の竜退治



 放浪王子の竜退治#1 革命の後



◆1



 北方の小国で革命が起きた。贅の限りを尽くした国王は捕らえられ、街中で公開処刑となる。王政は打破され、民衆の政府ができた。魔法使いの属する魔法院と、市民の属する民衆院の二院制政府で、人々は手放しで喜び祝福した。

 国王には18になる王子がいる。今回は彼の話である。


 王子は処刑の場にいた。特等席で父の死ぬ姿を見ていた。国王が最後に言った言葉は、王子の中に深く刻み込まれる。


「我が人生に悔いなどない!」


 王子の人生には、悔いしかなかった。死にゆく父が羨ましくさえ思える。落ちた首は、誇らしげに笑っていた。


 そして、処刑から1週間が過ぎた。馬に乗って荒野を進む王子。誰もいない、草もほとんど生えない、石ころだらけの平野。風は冷たく、ボロボロのマントを被る王子に吹き付けていた。


「悔いは、どうやって消せるんだろう」


 いまだに父王の言葉は頭の中に残り続けている。


 王族はみな追放され、王子もまた、当てのない旅に出ざるを得なかった。最低限の旅行装備と、護身用のナイフだけ。食料はたったの3日分。

 故郷から東に、北壁山脈を目指していた。王子の左手から進行方向へ向かって斜めに、巨大な山脈が壁のように立ちはだかっている。これが北壁山脈だ。


 灰色の空の下、青く銀に輝く氷河の山脈。荒野にはいくつも雪解け水の地下水からなる小川が流れており、馬の足を濡らした。猛禽が空の上で弧を描いて飛んでいる。


「餌はあるのか……いや、鳥の餌より自分の餌の心配だな」


 まずは村を見つけ、労働の対価に金を貰うしかない。


 これからのことを考えながら馬を歩かせていると、その足音が増えたことに気付いた。誰かが後ろから追いかけてくる。ゆっくりとした速度で、のんびりと。

 振り返る王子。後ろには、馬に乗ったマント姿の小柄な旅人が見える。


「やぁ! あなたも旅人かい?」


 王子は馬の足を止めて旅人を待った。暗殺者かもしれないが、何の価値もない王子をわざわざ高い依頼料を支払って殺すものもいないだろうと考えた。


「同行させてください。女の一人旅は不安なので」


 なるほど、旅人は小柄な女性であった。


「名乗るのが先でしたね。わたくしはリミアイ」

「よろしくリミアイ。たぶん僕のことはもう知っていると思うけど……」

「もちろんご存知ですとも。王子様♪」


 二人は馬を並ばせて荒野を歩く。曇り空はいつしか晴れ、巨大な積雲シルフが風を吹きながら二人の頭上を通り抜けた。


 同郷の者というのは服装や訛りですぐに分かる。


「いいのかい、僕は悪逆非道の王族だよ」


 冗談めかして言うと、リミアイもまた笑って返した。


「大丈夫ですよ。これでも剣の腕には自信があります」


 そう言ってマントをめくって、腰の馬上剣を見せた。柄には印章が彫られている。


 王子はその印章をどこかで見た気がしたが、思い出せなかった。


「俺だってちょっとは自信がある。なにせ、これから猛獣を倒しに行くんだからね」

「猛獣というと?」


 リミアイは不思議そうに尋ねる。王子は武器も鎧も持っていない。王子はにやりと笑って言った。


「竜退治だよ」



◆2



 王子とリミアイの二人はやがて寒村に辿り着いた。茅葺の掘っ立て小屋が並ぶ、こぢんまりとした村だ。純血のインペリアル・コーラル人である王子は白い肌と赤い髪の毛をしているが、この村に住むのはエシエドール人の一種らしく、浅黒い肌と、艶やかな黒髪をしている。


「竜ですとな」


 古風な喋りをする村の若者。明らかに胡散臭い目で見る。無理もない、インペリアル人とエシエドール人の対立は根深いのだ。この二つの種族は子をなしても、その子供は生殖能力を持たない。それほどまでにかけ離れた種族。


「竜などとんと見たことはないが……いや、先日……」


 若者によると、山脈のある場所で、巨大な生き物が動いているのを遠目で見たという。そのときは危うきに近寄らずということでその場を去ったらしい。


「ありがとう、恩に着る」


 場所を詳しく聞き村の外に出た。仕事をして金を貰いたいが、まずは慣れさせて警戒心を解きたい。


 村の外には針葉樹林が広がっており、リミアイはそこで待っていた。彼女もまたインペリアル人であり、魔女と間違われるのを予防して外に待機する。


「手っ取り早く交渉しないの?」

「信頼を手に入れるには金か時間が必要だ。どちらかが欠けてもダメだよ」


 王子は雑草を漁る。


 やがて手ごろな枝と蔦、石を加工してフレイルを作り上げる。釣り竿の先に可動する石が付けてある形だ。


「それで竜を倒すのね」


 リミアイは王子の傍らで作業を眺めていた。薄暗い針葉樹林に、石を振り回す音が響く。王子という肩書に似合わない、強靭な筋肉。遠くで狼の遠吠え。


「ひ弱な王子様かと思ったら、バイタリティあるじゃない」

「父に何度も言われた。ひ弱な王子にだけはなるなってね」


 魔法もなく、剣もない。手には原始的な鈍器だけ。それでも、王子は竜とされる生き物に全力で立ち向かおうとしている。


「理由があるんだ、聞いてくれるかい?」


 王子は静かに語りだした。王家の歴史。そこには、闇に葬られた影の一族がいた。王家を守るためだけに殉じた一族。彼らは日のあたる場所にすら出られず、王家を影から守っていた。名前すらない。ただ「影」と呼ばれている。


「あるとき、当時の王が彼らを解放した……」


 王子の言葉は誇らしげだった。


「王家はそのときようやく一人立ちしたんだ。自分の身は自分で守る。影たちには新しい名前と、新しい仕事が与えられ、各地に散らばったという。いつかこんな日が来ると思っていた。とうとう王家は革命で国民からも離れ、完全に自立したんだ」

「一人立ち……か。わたくしの助けはいらなそうね」

「もちろん! 僕の王権は与えられるものじゃない、この手で勝ち取るものだ。そして現代の影たちに誇りたい……もう王家は守られる存在じゃないってね」


 古来より竜を倒したものに王位が与えられる……そんな古臭いしきたりがあった。


「僕はこの手で竜を倒し、その血を浴びて本当の王になるんだ」


 フレイルが近くの針葉樹に当たり、上から古い鳥の巣が落ちてきて、王子の頭がゴミだらけになった。


「見ろ、王家の冠だ」


 それを聞いてリミアイは肩をすくめたのだった。



◆3



「竜の足跡だ」

「竜ってこんなハンバーグみたいな足跡なの?」


 王子とリミアイの二人は、村の青年から教わった地点に立っていた。確かに、巨大な生き物の足跡が残されている。


「足跡がハンバーグなんじゃない。僕が竜をハンバーグにするんだ」


 そう言って王子は斜面を見下ろす。足跡はなだらかな斜面の下の方に向かって続いていた。さらさらと湧水が流れ、コケや地衣類がびっしりと岩にへばりついている。

 岩だらけの世界だ。辺りは霧が深く、大きな植物などは見えなかった。


「斜面の上に僕たちはいる。地の利を得たぞ」


 意気揚々と斜面を下る王子。肩にフレイルを乗せて、本当に竜を倒すつもりだ。


「何も竜なんか倒さなくたっていいし、王権なんて取り戻さなくていいのに」


 ちょこちょこと歩いて追いかけるリミアイ。


「示さなくちゃいけないんだ。僕には宿命がある」


 どこか寂しい横顔だった。


 霧が濃くなっていく。山の天気は変わりやすいと言うが、王子の想像以上の速さだった。迷わないよう注意しながら歩く。


「僕は考えた。王でない僕が王へと変わるために何が必要か? 僕自身の努力だけでは限界がある。僕の周りの世界も変わらなくてはいけない」

「世界は変えられないよ」

「いや、世界は変えられる。実際に僕は世界を変えた。以前の僕は皆に守られる世界にいた。そして僕はいま、竜と殺し合う世界にいる」

「ああ、そういう意味ね」


 リミアイは歩きながら、時折立ち止まって足元の石を並べ替えている。


 王子は不思議そうに見ていたが、やがて合点がいった。霧が深く殺風景なので、迷わぬよう石で目印をつけているのだ。

 ただの旅人にしてはやたらと場慣れしている。


「とにかく、僕は王権を掴んでみせる。そのためには竜とだって殺し合う」

「そこまでして、王になりたいと思うの?」


 リミアイの疑問ももっともだったが、王子もまたどこか迷いを抱えていた。


「父王は満足していた。贅の限りを尽くし、何でも思い通りにした。処刑されても、未練が無いほどまでに」


 砂利を踏む音にかき消されそうな、不安定な声。若い王子は、まだ幸せや充足が何なのか知らない。


「王権を手に入れれば満足できる気がする。父王と同じ景色が見たい。ただ、暴君にはなりたくないけどね……古来、竜を倒したものが王権を手にしたという。きっとそれは凄いからではなく、竜を倒して満足したから王になれたんだ」


 その言葉は彼自身を補強し、声に自信を取り戻させた。


 それから二人は黙ったまま、小川の流れる斜面を下っていった。やがて目の前を横切るように幾分か大きい川と、川が削ったであろう谷底が姿を現わした。川は左手に流れていき、行き先は霧に沈んでいる。

 王子が何かに気付き、静かにのジェスチャー。


 二人は近くの岩に身をひそめる。視線の先には巨大な丸い背中。白い毛が生えた巨獣。背丈は2メートルほど。こちらに背を向けて、川を覗き込んでいた。


(よし、あれが竜だな……)


 王子は確信した。チャンスは一度だけ。彼は巨獣に向かって、そろそろと忍び寄っていく!




 放浪王子の竜退治#2 巨獣との死闘



◆1



 一言でも発したら、一つでも物音を立てたら、全てのチャンスは奪われるだろう。幸いなことに、川辺は白い砂が積もっていた。砂の上にはハンバーグのような足跡。その先に、巨獣の背中。


(大丈夫、敵は猛獣じゃない。ハンバーグだ)


 そう自分に言い聞かせる。


 背中にリミアイの存在を感じる。しかし、気配は全く感じない。まるでテレポートか何かでその場を離れたかのように、何も感じない。それは好都合だった。元より戦力として当てにしているわけではない。ただ、その存在だけが彼を勇気づけていた。


(僕の背中には影がある。僕を見守る影が)


 魚か何かでも探しているのだろうか。巨獣は水面をじっと見つめて、頭を左右に振っていた。視界に入らないように、真後ろから接近する王子。


(影の一族は王権を失った王族を失望しただろうか? 僕は証明したい。影が名の通り影のように、ただ後ろに佇むだけでいいような世界を)


 釣竿をキャストするようにフレイルを構えた。遠心力を最大に利用し、重力さえも利用して、巨獣の後頭部にフレイルの石を振り下ろす計画。


(チャンスは一回だ。それで世界が変わる。守られる世界じゃない。影を守る世界だ。何故、脚が震えているんだ……)


 息を止めて、フレイルを勢いよく振り下ろす。


(変われ……)


 鈍い音。それで巨獣が気絶しなかったら困る。困るのに、ゆっくりと巨獣が振り向く。平たい顔は威嚇の表情。


(変われ……)


 朦朧としているのか足取りはふらついているが、その鋭い爪には殺気が宿る。


 時間がゆっくりに感じる。


(僕は変われないのか)


 震えた脚を必死に曲げ地面に膝をつく。頭上を大きな腕が通り抜けた。


(変わらない……? 筋肉は……信じられる!)


 脚に力がみなぎり、巨獣の顎に向けて拳を突き上げる! 全身をばねにした衝撃は、再び巨獣を朦朧とさせた!


 フレイルを振る。右から弧を描いて石が巨獣にめり込む。再びフレイルを振る。左から弧を描いて、石が巨獣にめり込む。

 子供の喧嘩のように何度も何度もがむしゃらに、フレイルを振り落とす。何も考えられない。巨獣が動かなくなっても王子は止まれなかった。


「世界、変われた?」

 霧の向こう側に浮かぶ太陽。それを後光にして、リミアイが隣に立っていた。そこでようやく王子はフレイルを止めた。リミアイはしゃがんで巨獣の息の根を確かめる。巨獣は確かに絶命していた。


「僕は……死ぬところだった。運が良かっただけだ」


 膝に手を付き、肩で息をする王子。口だけではなくそれなりに鍛えていたが、それ以上の力を発揮したような疲労感があった。


「これじゃあ、僕は変われないかもな……でも、勝利は勝利だ」


 さわやかな笑顔で巨獣の死体を見る。


「王子様、まことに申し上げにくいのですが……これ、竜じゃないですよ」

「え……?」



◆2



 王子は死体を調べる。白い砂地を赤く染めた死体は、大型の獣であり、王子の知識に無いものだった。白い毛皮、平たい顔、長い四肢、鋭い爪、体重は重い。


「王子様これは雪熊です。鍛えるだけではなく野生動物のことも勉強すべきでしたね」

「そんな……」


 霧が次第に晴れてくる。


 竜でないのならば、王権を証明することはできない。


「ただの田舎の腕自慢だ、これでは……はは」


 力なく笑い、谷を横切る川へとふらふら歩いていく。川の水で顔を洗った。水は冷たく、身を切るようだ。両手を川底について、深くうなだれる。


「世界は変わってなんかいなかった。僕は変われなかったよ……」


 風がそよぎ霧を吹き飛ばしていく。山の天気は変わりやすい。いっそのこと雨にでもなってくれれば悲劇に浸れると王子は思ったが、逆に日差しが強くなっていく。

 振り返るとリミアイが後ろに立っていた。にこりと笑いかける。


「悔いはありましたか?」


 リミアイはただ佇むだけだ。太陽を背にして、影が濃く彼女の表情を塗りつぶしていく。けれども微笑んでいることは、声の調子から分かった。


「悔い……悔いってなんだろう」


 ふと王子は考える。成果は生きて帰っただけ。何も失わず、何も得ていない。


「僕は雪熊を倒した。そこに悔いはない。上出来だ。上出来すぎる結果だ。けれども、竜じゃないんだ。僕は証明したかったのに。最悪の結末は避けたのに、一歩も進んでいない……どうして竜じゃなかったんだ」

「悔いはないんですよね。それでいいじゃないですか」


 ナイフを抜いたリミアイは、雪熊の毛皮を綺麗に剥いでいく。手際の良さは目を見張るものがあった。


「信頼を手に入れるにはお金か時間が必要……もしかしたら、世界を変えるのにもお金と時間が必要なんじゃないですか? 丁度いいところに、こんなお金が落ちていますよ」


 確かに綺麗な白い毛皮は高く売れた。二人は村で雪熊の肉と毛皮を売り、当分の旅支度ともうすこしまともな装備を手に入れることができた。いま、二人はさらに異郷の地を目指し北壁山脈を行く。

 コバルトブルーの山並みをまばゆい太陽が照らしていた。


 二人は馬に揺られながら並んで旅を続けている。王子はリミアイに尋ねた。


「竜を倒さないことには、僕は国には帰れない。長い旅になると思う。それこそ、お金と時間がたくさん必要だ……君はどこに行くんだい?」


「わたくしの旅は行く当てのない旅ですゆえ」

「僕も似たようなものだね」


 竜にももちろん人権があり、街で平和に暮らしている竜を殺すことはできない。何らかの罪で権利を奪われ、隠れ住んでいる孤独な竜を探さなくてはならないのだ。その竜の目を見たとき殺せるかはまだ分からない。


「わたくしと旅をしましょうよ、二人で気ままにね」

「いいのかい、僕は猛獣かもしれないよ」

「雪熊を倒した猛獣ですもんね。食べられちゃうかもしれませんね」


 王子は変わった娘だと思った。不意に覗いた剣の柄の印章が、古い記憶と突然繋がる。それは王城の暖炉の影に彫られた謎の印章と、なぜか瓜二つだったのだ。



 放浪王子の竜退治(了)


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