第55話 どんな時? 1
「何ぼんやりしてんだよ。あいつと喧嘩でもしたのか?」
あの告白以来、瀬戸君はタイちゃんのことを【あいつ】呼ばわりで話しかけてくる。瀬戸君の気持ちに応えられなかった私に対して、何事もなかったように振舞ってくれるのは、ありがたくもあり申し訳なくもある。
「喧嘩ではないけどね……」
昨日、タイちゃんが楽しく電話していた相手のことを、私は訊けずじまいでいた。涼太に訊いてみても、心当たりがないと一刀両断。タイちゃんからは話してくることもないし、その電話について何一つ繋がるような会話も生まれなかったので結局謎のまま。
私の心の中はモヤモヤが一杯で、答えの出ない問題をグルグルと考え込んでばかり。
「ねえ。自分の彼女が目の前にいる時に、瀬戸君へ懐かしい人から電話がかかってくるとするじゃない。で、その場から離れて電話の相手と話すって、どういう時?」
「どういう時って。んなもん、彼女に聞かれたくないから、その場から離れたってことだろ?」
「……だよね」
私に訊かれたくない相手=女の影……元カノ
ああ、嫌な想像が膨れ上がっていく。まさかの元サヤ? イヤイヤ、そんなはずないよね。だって、付き合ってまだ少ししか経ってないし。けど、もしかしたら散々待ってやっと付き合ったけど、いざ付き合ってみたら、案外そうでもなかった系?
私ってば、雑だし。女子力低いし。にぶちんだし。仕事できないし。ああ、ダメなことしか浮かんでこない。
ガックリとうな垂れていると、瀬戸君が顔をしかめているのが視界に入った。
「あいつのことで悩むのは勝手だけど、お前一体何食ったんだよ。スゲーにんにくクセーぞ」
椅子に座っている私のそばに立っていた瀬戸君は、容赦なくそんな攻撃を落としてくる。
「そんなに臭い?」
恐る恐る訊ねると。
「百年の恋も冷める臭いだ」
呆れた溜息を残し去って行く瀬戸君は、昨夜食べた大量の餃子が放つにんにく臭に渋い顔をしていた。
瀬戸君からの痛い指摘に、私は早速マスクを着用。もちろん、口臭予防のタブレットも服用したけれど、いかがなものか。自分では、よく判らない。
餃子、美味しかったんだけどなぁ。そういう問題じゃないか。
喉が渇いたお昼前。ビルの一階に設置されている自販機で、マスク姿の私は飲み物を買っていた。エントランスでは受付嬢のお姉さまが、なんとも素敵な笑顔で待機している。来客の姿もちらほらで、忙しなく行き交う社員たちの姿もある。みんなのその姿を他人事のように眺めながら、自販機に小銭を流し込んだ。社員割引価格にでもなっているのか、自販機の値段は外で買うよりも若干安くてお得だ。
「どしたの? 風邪?」
どこかへ出かけていたのか、外から自動ドアを潜り抜けてきた橋本さんが声をかけ近づいてきた。
「あ、橋本さん。お疲れ様です」
ぺこりと頭を下げて、ついでにガコンと鈍い音を立てて落ちてきたペットボトルに手をのばして拾う。
橋本さんとは、篠田先輩の一件以来。仲良しというか、顔を見ればにこやかに話しかけてもらえる関係になっていた。昔の壁バンが、嘘のような良好な関係なんだ。
私が瀬戸君に渋い顔で指摘されたにんにく臭のためにマスクをしていることを橋本さんに説明しようとすると。
「違うんです。実は、昨日食べた――――……」
私がそこまで口にした瞬間、眉間にしわを寄せた橋本さんが私から一歩。いや、二三歩退いた。そのまま自然と手を鼻の辺りにもっていく。
なんてわかりやすい。
「そんなに強烈ですか?」
私の問いかけに、黙って一つ頷いた。
次にタイちゃんと餃子を作るときには、もう少しにんにくの量を減らさなくちゃ。
二三歩離れた距離を保ったまま、私たちは少しだけエントランスで立ち話をする。
「あのー。例えばなんですけど。橋本さんの直ぐそばで篠田先輩に電話が来たとしますよね」
「うん」
橋本さんは、まだ少し顔を渋くゆがめたまま一つ頷いた。
「で、篠田先輩がメチャクチャ嬉しそうにして、その電話に出たまま橋本さんから離れて会話を始めたら、どう思いますか?」
「そんなのどう考えても女の匂いしか感じられないわ。まずは、ボディーに一発でしょ」
えっ……。
何の躊躇いもなく言われた言葉と力強い右手のグーに、私の気持ちが二三歩退く。
「冗談よ」
私の表情を読み取って、橋本さんがクスクス笑っている。
えっと、少しも冗談に聞こえないのは気のせいですか?
「篠田の場合。そんなのは、日常的なことだからね。寧ろ、電話だけで済むならまだいいほうよ。その後に約束取り付けて逢ってみたり。イチャイチャしてみたり。うん、間違いないわね」
橋本さんは、うんうん。と一人頷いて納得している。どうやら、脳内にははっきりと篠田先輩が浮気をしている図が浮んでいるようだ。
そうだよね。篠田先輩なら、完璧アウトだよね。
逢ったり、イチャイチャか……。
タイちゃんがそんなことをする図は想像できないんだけど。でも、タイちゃんだって男なわけだし。一パーセントも可能性がないとは、言い切れないんだよね。
「なに? 彼氏が浮気でもしてるの?」
ずばり訊かれて、思わず口篭ってしまった。
「まー、電話してただけならね。西崎さんの彼が篠田みたいな男じゃないなら、少し様子をみてみたら?」
そうだよね。篠田先輩じゃないし。あの電話でアウトっていうのもね。スリーアウトまで待つか? って、野球じゃないか。
とりあえず。
「ありがとうございます。そうしてみます」
全うなアドバイスに頷きをかえしたあと、橋本さんはエレベーターで、私は階段で、それぞれのフロアへと戻った。
にんにく臭には、気を遣うのです。
就業時間も近づいてくれば、いい加減にんにく臭も形を潜め始めていた。朝一発目から渋い顔を向けてきた瀬戸君が、普通の表情でちゃんと向かい合って話をしているのだから間違いない。
「そろそろ、マスクをはずしても大丈夫かな?」
瀬戸君と仕事の会話が済んだ後、付け足すようにして訊いてみたら。
「まだ、やめておけ」
あっさりと却下。どんだけ臭いんだって話。ご愁傷様な私。ちーんっ。
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