第43話 待ち伏せ? 2
「なんて言うか、話しかけ易いんだけど、誘いにくいんだよ。西崎さんは」
先輩は噛みしめるようにしていったあと、届いた焼き鳥を一本私の取り皿へと載せた。
「ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をしてから、置かれた焼き鳥を摘む。ダイニング居酒屋のわりには、まずまずの焼き加減だ。
それにしても、人からそんな風に思われていたなんて少しも知らなかった。客観的な自身の意見を教えてもらえる機会もなかったので、先輩の話してくれる自分の事に興味津々になる。
「俺、何度か誘っただろ?」
「え? 誘ってくれたことありましたっけ?」
「憶えてないし」
全く記憶にない私がきょとんとすると、先輩が少し拗ねた感じで、「頼むよぉ~」と苦笑いだ。誘ったこと自体忘れられていることに、思いのほかショックを受けている様子。
「私、なんで先輩の誘いを断ったんだろう?」
「俺が訊きたいよ」
私のすっとぼけた返答に、先輩がゲラゲラ笑う。
でも、本当に誘われたことなんて、憶えていない。法事かなんかだったんだろうか?
真剣に思い出していたら、先輩がジッと私の顔を見ていることに気がついた。
ん?
「今日は、ちょっと強引だったけど、誘いに乗ってもらえて嬉しいよ」
「強引? こっちに用事があったんですよね?」
「ん? まあ、まあ」
言って先輩はニヤリという感じで笑う。
あれ? 先輩らしからぬ、ちょっとこズルイ顔じゃないですか。
瞬間、瀬戸君の言葉が甦る。黒い噂ってやつだ。だけど、まさかね。だって、篠田先輩だよ。仕事ができて何事もスマートにこなして、後輩からも慕われて、上司からは、将来を嘱望されている。そんな先輩と黒い噂は、やっぱりどう考えても結びつかない。
一瞬過ぎったその考えも、次々と運ばれてくる食べ物とアルコールですっかり蚊帳の外。一瞬、タイちゃんの切ない顔が浮かんだけれど、今はごめんね。とばかりに、私は体内へとアルコールをガンガン送り込んでいった。
「結構、飲むんだな」
「あれ。マズかったですか?」
「いや。惚れ惚れする飲みっぷりだよ」
そういう先輩も既にジョッキをいくつも空けている。
頼んだ食べ物も消化した頃、二軒目行くか? と先輩が私の顔を覗き込む。私は、「はいっ」と右手を真っ直ぐ上にあげて返事をした。学生みたいな自分の行動に、思わずぷっと吹き出し笑うと先輩も笑っている。
あー、酔っ払ってるなぁ、私。自分で判るくらいだから、まだ大丈夫かな。
アルコールに浸された脳内で、そんなことを考えながら立ち上がると足に来た。ふらりと揺れた体を支えるために、思わず先輩のネクタイをガシッと掴んでセーフ。
「にっ、西崎さん。掴まるならできれば肩とかにしてくれないか」
ネクタイを引っ張られて前のめりになりながら耐えている先輩が、私の行動にちょっと引いているのが判る。だけど、いつものフットワークもなく、承知です。なんて怪しい口調で言うのが精一杯。結局、フラフラする体を先輩に支えてもらいながら店を出た。
「家どこ? 送ってく」
「いえいえ。だいじょーぶです。もう一軒行きましょう」
支えてもらっていた手から逃れて、何とか一人で立って言ってみた。
こういう時、ヒールだと余計にふらついちゃうんだよね。脱いじゃおうかな。
自分の靴をじっと見つめてそんなことを考えていたら、先輩にまた腕をとられた。
「少しも大丈夫には見えない。二軒目は、また今度だ。今日は、送ってく。あっちか?」
指をさす方向へ視線を移して頷くと、先輩がゆっくりと歩き出した。
賑やかさも大分無くなった商店街を抜け、先輩に支えられるようにして私は足を前に出していた。少しも軽快じゃないヒールの音が、この夜に僅かな音を響かせる。
「この辺。タクシー通るか?」
おぼつかない足取りの私を気遣ってか、先輩が車の通りをうかがう。だけど、住んでいるマンションはもう直ぐだ。タクシーなんて捕まえてしまったら、運転手さんにとっても嫌な顔をされること間違いなし。この角を曲がれば、住み慣れた外壁が見えてくるのだから。
曲がり角を過ぎたところで、私はブロック塀に手をついた。
「先輩。もう、この先なんで一人で大丈夫です。今日は、すみませんでした」
へなへなと頭を下げると、家まで送って行くと、先輩が壁についた私の手をとりまた歩き出す。少し強引な感じで先輩は私を連れて再び歩き出した。
ほんとに、大丈夫なのに。体はフラフラしているわりに、頭の中は少し冷静だったりするんだ。おかげで、近づく見慣れたマンションを見ながら頭に浮かぶのは、やっぱり瀬戸君の言葉だった。
女関係の黒い噂。先輩に近づくな。
瀬戸君の忠告が、酔った脳内でぐるぐると回る。
先輩のことをそんな目で見るつもりはないのだけれど、時間も時間だし。先輩だって男だし。マンションなんかに行っちゃったら、そのまま家に上がりこまれても文句は言えない。
大人の関係って、やつ? ああ、似合わない。私に大人の関係なんて、似合わなすぎる。タイちゃんが聞いたら、爆笑ものなんじゃないだろうか。
タイちゃん。ん? タイちゃん?
今日もひょっこり現れるだろうか? エントランス辺りで、私のことを待ってたりしない? そしたら、先輩とはここでさよならできるよね? そうだよ。タイちゃん、タイちゃん。
タイちゃんの存在に大いに期待しながら、先輩に支えられるように私は自宅マンションのエントランスに踏み込んだのだけれど、そこは殺風景なもので、人の気配など皆無。
やっぱりこの前のこと、気にしてるのかな。もしかしたら、タイちゃん。もうここへはやって来ないかもしれないよね。
そう思うと、心臓の辺りがチクチクしだす。期待した存在がいないことにうな垂れ俯くと、さっきよりも酔いが回っている気がしてきた。
ああ、ダメだ。体が思うように動かない。出来ることなら、今すぐベッドに横になりたいくらいしんどくなってきた。
そうこうしているうちに、先輩がエレベーターのボタンを押して、箱が静かに降りてきた。
「乗って」
促されるまま。というか、逆らえないまま。先輩に支えられ、足を踏み出し乗り込んだ。二人の体重でわずかに箱が揺れる。
閉まるドアをぼんやりと見送っていたら、体を支えてくれていた先輩が耳元で囁いた。
「鍵、どこ?」
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