第6話「敵対しない方が良いですか?」

 PCのヘルプデスクをやっていて、多いトラブルのひとつが「マルウェア」関連です。


 マルチな問題を扱うヘルプデスク部でも、やはりその割合は多いのです。


 しかも、サポート対象が1,500人以上もいると、それは頻発に発生します。


 今日も、やはりマルウェアが発生しておりました。


「ふふふ。わたくしの推理によれば、犯人はヤスですわ!」


 感染報告を受けた悠が、使用者を言い当てました。


 それはもう自信満々で、自信より豊満な胸を張っております。


 しかし、そんな彼女を見る夢子の目は冷ややかです。


「上空さん……。推理も何も、マルウェア通知メールに対象PCのホスト名もあれば、ログオンユーザー名もあるじゃないですか。総務の安田さんですよね?」


「あら、花氏さんったらおバカさんね。そこに書いてあることが、真実だという証拠はあるのかしら?」


「入社2日目にして先輩をバカ呼ばわりしたくありませんが、『犯人はヤス』と言ったのは、どこのおバカさんですか?」


 悠は胸が大きい美人なのですが、非常に残念な娘です。


 対して胸が残念な夢子は、大きくため息をつきます。


「……で、安田さんの対応は私がやってもいいですか?」


 パソコン関連ならお手の物の夢子は、すでに手順マニュアルも読んでいましたので、この程度の対応ならばひとりで簡単にやってのけます。


 しかし、悠はそれを許しませんでした。


 自分の対応を見ているように言うと、どこか嬉しそうに犯人・安田に電話をかけ始めます。


〈……はい。安田です〉


「ヘルプデスクの上空ですわ。お疲れ様です」


〈げっ! 上空……さん……。お疲れ様です〉


 今、電話の向こうで一瞬、ものすごく嫌そうな「げっ!」が聞こえました。


 モニタリングしていた夢子にも、はっきりと聞こえました。


 それはもう確実に聞こえたはずなのですが、悠は表情も変えずに話を進めます。


「あなたのPCからマルウェアが発見されていますの。LANケーブルをすぐ抜いてくださいな」


〈えっ!? 本当に!?〉


「……このわたくしが、嘘をつくとでも?」


〈あっ、すいません。すぐ抜きます!〉


「……まったく。失礼ですわね」


 ついさきほど、コーヒーこぼした事件で、夢子に嘘をついた事実はどこにいったのでしょうか。


 悠の堂々とした物言いに、一点の曇りも感じられません。


 夢子はこの時、心の中で悠を「この人だけは信じてはいけない!」と認定しました。


〈抜きました! それでマルウェアって……〉


「トロイの木馬タイプですわね。一応、駆除は完了しているみたいですが、すでにレジストリを変更されている可能性もありますので、クリーンインストールすることになりますわ」


〈うわあぁ……めんどくさいなぁ~〉


「とにかく、IT部に連絡しておきますので、初期化してもらってくださいませ」


〈……でもね、駆除完了してるんでしょ? なら、いいじゃないですか。その間、仕事ができなくなって困るんですよ!〉


 突然、相手は作戦を変えて強気に出ました。


 いわゆる開き直りで、「仕事ができない」をかさに着てわがままを通そうというわけです。


「マルウェア感染の恐れがあるPCをそのまま使い続ける方が困りますわ。レジストリ改変でセキュリティホールができているかも知れませんし」


〈でも、そういうのを調べてくれるのがIT部とかなんでしょ? 入れ替えとなったらデータのバックアップとかで、今日は仕事にならないじゃないですか〉


「IT部の方々も、変更箇所をいちいち探して修正するほど暇ではございませんわ。入れなおした方が早くて安心ですしね。それにもともと自業自得ですわよね?」


〈自業自得って、別におれはなんもしてないですよ? ウィルスだから勝手に入ってきたんでしょ?〉


「ウィルスとトロイの木馬は違うんですのよ。それに何もやっていないわけではあませんわよね?」


「……なにがです?」


「あら。言ってよろしいのかしら?」


 悠の口角がニョーンと歪みました。


 そりゃあもう、本当に嬉しそうな表情です。


 嬉しそうを通りこして、むしろ悪そうな顔でした。


「昨夜、なかなか楽しそうなサイトをご覧になっていたようですわね」


「おっ、覚えはないけど……」


「ジェニファー……ってどんな女性ですの?」


「なっ、な……なんのことかな?」


「あなたが昨夜、怪しげなサイトをご覧になっていたことは、あなたのブラウザの履歴とキャッシュで判明しているのですよ」


「……し、しらん!」


「あなたがダウンロードした、すごーく過激そうな『Jennifer_scatol.mov.exe』というファイル、動画ファイルに見せかけた、いわゆる偽造ファイルですわね。ここにトロイの木馬が仕込んでありましたのよ」


「き……記憶に……ない……」


「深夜の1時24分……せっかくワクワクしながら、ダブルクリックしたファイルでムービーは見られたのかしら?」


「うぐっ……」


「しかし、こういう趣味とは思いもしませんでしたわ、安田さん。わたくしには理解できない趣味ですが……」


「……し、しらな――」


「ああ、でも安田さんの奥様は、この趣味をご存じなのかしら。確かお名前は、美代子さんでしたかしら?」


「なっ! なんで妻の名前を知ってる!?」


「中学生になる娘さんもいらっしゃいましたわよね。美奈ちゃんでしたっけ?」


「こっ、子供は関係ないだろう!?」


「こういうこと知られたら、奥さんと娘さんはどう思われるのでしょうか……。他人事ながら心配でなりませんが、一方でどうなるのか好奇心もございますわね」


「き、貴様……」


「あら、いけない。話がそれましたわ。……それで安田さん。誰が悪くて、これからどうすればいいのかわかっていただけましたかしら?」


「…………くっ。わかった……」


「あら。ちゃんと言ってくださらないと。誰が悪くて、どうするのですか?」


「うぐっ……。お、おれが悪くて、ちゃんとIT部に頼んで初期化の処理をする……それでいいんだろう!」


「はい。よくできました」


 どこか恍惚とした面輪を見せながら、悠は受話器を指先でつまんで元に戻しました。


 そして、艶のある「ふぅ~」というため息をもらしてから、ニコリと微笑んで夢子を見ました。


「いかがです? これが心理学を応用した対応方法ですわ。勉強になりまして?」


「…………うん、わかった。私、あなたは敵に回さない」


 恐怖で震える体を抑えながら「やっぱりコイツだけは信用しない」と、夢子は改めて思ったのでした。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


■用語説明


●マルウェア

 悪さするソフト全般のことです。ウィルスソフトもマルウェアの一種です。

 日本語的に「○」ウェアだと良いソフトに思えますが、どちらかというと「×」ウェアです。


●「犯人はヤス」

 解説はいりません。

 犯人はすべてヤスです。


●悠は胸が大きい美人

 悠のバストトップは110cmであるとの噂です。


●「げっ!」

 悠は一部で有名人のようです。

 社内には、支援派と嫌悪派がいるようです。


●「LANケーブルをすぐ抜いてください」

 マルウェアに感染したら、まずLANケーブルを抜いたり、無線LANを切ったりしましょう。

 少なくともそれにより他の部分被害が拡散したり、データが抜きだされて送られたりしなくなります。


●トロイの木馬タイプ

 マルウェアの一種です。

 感染能力はありませんが、気がつかれないように好きな女の子の家に忍びこみ、ベッドの下に潜んでいろいろと悪さをするストーカーみたいなものです。

 侵入後は好き勝手なので、パンツを盗んで売ることも可能です。


●クリーンインストール

 「もうダメ。元に戻ることはできないの。すべてなかったことにしましょう」とPCに別れを告げることです。


●レジストリ改変でセキュリティホール

 上記のストーカーが合い鍵を作るような物です。

 これで出入りが自由になり、パンツを売りに行きやすくなります。


●「ウィルスとトロイの木馬は違う」

 一番の違いは感染能力の有無です。

 トロイの木馬は、基本的にはユーザーが招き入れているはずです(例外あり)。

 ウィルスは感染経路が確保できないといけないので、最近はトロイの木馬タイプのが多いでしょう。


●悠の口角がニョーン

 悠の口角はよく伸びるようです。


●『Jennifer_scatol.mov.exe』

 「.mov」という動画の拡張子に見せかけて、その後ろに「.exe」という実行プログラムの拡張子がついているという騙しです。途中までしか見ないと気がつかなかったりします。

 というか、こういう感染ファイルを見つけて、役職のある50過ぎのおじさんを問いつめなければならない、こちらも気まずいんですよ、本当に。

 単に感染経路などをハッキリとして報告しなくてはならない立場ですから、素直に白状してくれれば、それで終わりなのに。

 とぼけるから、そこまで問い詰めなければならなくなるのです。


●「ダブルクリックしたファイルでムービーは見られたのかしら」

 見せてくれる優しいマルウェアもあります。


●「心理学を応用した対応方法」

 脅迫と言います。

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