結婚しよう

 「——俺たち、結婚しないか?」


  花火大会の夜、俺は優にそう言った。

 色気も素っ気もないが、つまりプロポーズだ。


 男性が女性に、花束とエンゲージリングを贈って、記憶に残る演出をして…という和やかな状況とは、根本的に違った。全然違った。


 俺も優も、男だから。

 だからなおさら、俺は「結婚」という事実を欲しいと思った。



 優が、勤務先の上司から手酷いセクシャルハラスメントを受けた。

深刻な事態には至らずに済んだが、俺はこの時の自分の無力さに苦しんだ。

何一つ、優のために動くことができなかった…彼を守ることができなかった。


 社会の中でのこんなトラブルを経験して——俺は、もっと強力に優を守っていきたいと感じた。

……「夫」、という立場で。


 見かけだけでは限りなく曖昧な俺たちの関係を、守ってくれる何かが欲しかったのだ。



 俺の申し出に、優は一瞬驚いた顔をしたが——静かに答えた。

「うん。——僕も、そうしたい」


「……ほんとに?」

「うん」


  ——やっと、穏やかに優を抱きしめることができた。

 今まで必死でしかなかった思いが、柔らかく解ける。


 この世で何よりも大切なものを包むように、優しく抱きしめた。



 唇を重ねようとして、優の素朴かつ鋭い疑問に阻まれた。

「でも…僕たちの場合、『結婚』ってどうやるんだろうね?」


「…それがまだよくわからないんだが…」

 何だかロマンチックもへったくれもない。



「——それでも、一緒ならきっと幸せになれる」

優は、穏やかな声でそう呟く。

「……うん。幸せになろう。絶対」


今度は、ちゃんと唇を重ねた。

優の腕が、俺の背を強く抱きしめる。


生まれてからずっと、ひとりきりだった優。

彼と、これからは一緒に人生を歩む。

俺は、優の初めての家族だ。



一緒なら、どんなことも乗り越えられる——こうして繋いでいる手を離さない限り。


 

 花火大会のフィナーレを飾る打ち上げ花火の花開く音が、いつまでも続いていた。



      *



  8月も終わりに近づいた土曜の夜。

 全員揃った食卓で、俺と優は花絵とヒロさんにこのことを報告することにした。


 その夜はたまたま、花絵が自分の勤務する百貨店で人気のスパークリングワインを買ってきていた。

「美味しいのよーこれ!」

そう言いながら、フルートグラス4つに美しく発泡する液体を注ぐ。

「花絵のスパークリングワインに合わせて、ラタトゥイユとペスカトーレ作ってみたわ。あとアンティパストにブルスケッタね」

ヒロさんも、いつになくゴージャスなメニューを完璧に仕上げていた。

「すごい…」

俺と優のリアクションも毎度おなじみだが…

なんという素晴らしいタイミングなんだろう。以心伝心ってやつだろうか。


「じゃ、これからもずっと仲良しな私たちに乾杯ー!」

それぞれワインを口に含み、その味を楽しむ。



「あのさ、実は…報告があるんだ」

俺と優は、ちょっと目を見合わせてから切り出した。


「俺たち、結婚したいと思ってる」



「…………」

二人は顔を見合わせてから、無言で俺たちをしげしげと見る。


……ん??

予想してたリアクションと違うような…?


「…なんか、ステージを横からいきなり奪われた気分ね、ヒロ?」

「いや…実は私たちも、今日言おうと思ってたのよ。——結婚考えてるって」

彼女たちは、いろんな感情の入り混じった笑顔でそう答えた。


 ……このメニューは、やっぱりお祝い用だったらしい。


 それは半端じゃないシンクロぶりだった。

一瞬静まって——俺たちは思わず4人で吹き出した。





「とりあえず、乾杯!!」

ワインを新たに注ぎ、仕切り直しの祝宴となった。

「…でも、僕たちみたいな場合、つまり具体的に何をしたらいいんだろう?」

優が、気になっていることを口にする。

「私たちも、いろいろなことをよく知りたいと思ってる。男女なら結婚式やって婚姻届出して…って感じが当たり前だけど…」

花絵も曖昧な言い方になる。

「こういうのって、誰に聞けばいいんだろうね?」

「……これ、結構難しい問題じゃないか?」

祝宴というより、ミーティングに近くなってきた。

ワインばかりが減っていく。


「……やっぱり、奥の手使ってみるか」

ヒロさんがそう呟いた。

「なに?なにかいい考えがあるの?」

花絵が目をキラキラさせてすり寄る。

「うちの兄がね、横浜で弁護士をやってるのよ。もしかしたら、そういう方面のアドバイスを聞けるかもしれないと思うんだけど…いつも忙しそうだし…ちょっと迷ってたのよね。

 でも、こんなに大勢で悩んでるんだから…みんなで相談に行ってみようか?」

「お願いします!ぜひ!!」

一斉に懇願する。

「ヒロのお兄さんが弁護士っていうのは聞いてたけど、ちゃんと会うのは初めてだわ」

「私に似た長身のイケメンよ。性格も似てるかもね」

「弁護士って、ちょっと憧れたんだよなぁ…僕もぜひ会ってみたい」

「うん。いろいろ聞けるといいな」


「ひとつ、確認なんだけど…

みんな、自分たちの関係を身近な人たちに話すことは、どう思ってる?

——要するに、カミングアウトってやつね。

 周囲のひとに事実を話そうと思う?…それとも、ずっと隠していたい?」

ヒロさんが真剣な顔でそう問う。


「当然みんなに知ってもらうわ。第一、なんで隠さなきゃいけないのかが分からない」

花絵はさらっと答える。いかにも彼女らしい意見だ。

「僕も…隠す気はないし、知らせるような身内とかもいないけど——拓海は…?」

優が少し心配そうに俺を見る。


「うん……俺も、誰にも隠したくない」


 優が会社内のトラブルで悩んでいた間、俺はずっと自分を強く嫌悪していた。

自分の事実をオープンにする意思を持てず…優のために何もできないでいる自分自身に。


 ——これからは、誰にも隠したくない。

 大切な人の存在も。自分自身の気持ちも。



「……全員、同じ気持ちみたいね」

ヒロさんは、ちょっとほっとしたような笑顔で言った。

「なら、できるだけ早く兄に連絡してみるわ」



 セクシュアリティか…。俺自身も、それは時々考えていた。

俺は、優に会うまでは、恋の相手は女の子だった。…というより、あまり自分から「恋心」を動かしたことはなかったかもしれない。

何となく告白されたり、心理的にお互い近づいた感覚がきっかけだった。

同性に愛情を抱いた、という意識は、優以外ないのだが…敢えて言えば「バイセクシュアル」…なんだろうか?


「……要は、ヒロを愛してるってことでいいのよね?セクシュアリティなんて難しいこと言わなくても」

花絵が、俺の気持ちを読み取ったように、要点をズバリとまとめてくれた。


「…そうだよな」


 うん。それでいいんだ、きっと。

 人間の限りなく曖昧な感情を無理やり線引きする必要なんて、本当はないのかもしれない。



 仲間がいると、難しい状況も大丈夫な気がしてくるから不思議だ。



 そして、これからとんでもない悪戦苦闘が待っていることもまだ実感できないまま——祝いの宴は賑やかに盛り上がっていったのだった。

 



 

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