血鏡~願いの~
惺(せい)
第1話 鏡
寒さで目を覚ました私は、いつものようにカーテンに手を伸ばし空を見た。
空は白くて小さな何かを降らせている、それが雪だと気付くのに時間は掛からなかった。天気予報でも雪の話をしていたから今日降っても不思議じゃない。
寒さから二度寝したい気分を跳ね除けるように布団から出て、暖房の電源を入れてからベランダ側のカーテンを少し開ける。
「寒いわけだ、辺りが白い。大丈夫かな?積もったら困るんだよね」
窓からはベランダと庭の木に積もった雪が見える、銀世界とまではいかなくても景色は白を増やし止む気配がなかった。静かにユラユラと降る雪は、日常の風景を白く染めていく。
「今日は、車の運転は無理かな。…運転、したくないな」
掴んでいたカーテンを離し、外の景色を遮断する。
雪の日の車は嫌いだ、とても悲しい昔を思い出すから。
私には白でなく赤い雪に見えてしまうからだ。
「おはようございます」
「おはよう平井さん。雪の中の車の運転は大丈夫だった?」
「バスで来たので平気です」
職場のドアを開けると副館長がディスクで作業をしていた。挨拶を済ませて今日の日程をチェックしようとボードを見ていると、別のドアが開き誰かが入って来る、それが館長だと気付いて挨拶をした。
「おはよう平井くん。すまないが、以前に話していた展示物が今朝届いたんだ。そこの箱を2階の東フロアのコレクションギャラリー2に展示して来てくれないか」
「分かりました」
この方は森満館長、私は美術博物館で働いている。さっきの副館長は、森館長の奥さんだ。
この美術博物館は、外と1階中央が美術館で1階通路と2階が博物館になっている。
大きい建物だけど客足は普通より少ない方、それでも地域の方達から愛されている。
ロビーは広くて、イベントがあると いつもより賑やかになる。母の日や父の日になると近くの小学生の絵が並び、クリスマスにはツリーやリースを作る、私が一番好きな場所。
「凄い、和鏡が入ってる。見た感じだと古い時代だよね。館長、何時代ですか?」
梱包されていた1つを壊さないように気を付けて解いてみると、古い鏡が姿をみせる。デザインから和鏡だと分かる。
「よく和鏡だと気付いたね?」
「修復家の方から頂いた本に載っていたのを覚えてたんです」
「平安時代中期の貴族の娘が使っていた鏡らしい。裏のデザインが綺麗だから譲り受けることにしたんだよ」
「はい、可愛いデザインだと思います」
本当に鏡の裏や周りには、草木や鳥の装飾されたデザインが細かく施され魅了された。昔は装飾に色が無いと聞いている、もしあったら色鮮やかで更に綺麗だっただろうと私は和鏡を撫でた。
撫でた時、何かと目があった気がした。多分 気のせいだと思う、自分の目が曇った鏡に映っただけだろう、でも何故か私とは違う誰かと目があった気がして怖くなった。
(昔の女性が使用していた普通の鏡のはずなのに、どうして怖いと感じたんだろ?)
階段で清掃員と挨拶をして2階に着くと、先輩の富岡夏生さんが展示物のチェックをしていた。
「おはようございます、夏生さん」
「おはよう千波ちゃん。その箱は何?」
夏生さんに聞かれ、私は持ち運べる量を箱に入れた美術品を床に静かに置いて、箱の中身を見せた。
「以前、館長が話していた博物館から届いた展示物です。装飾品等が入ってました」
私は手前の彫り櫛とかんざしを出して見せた、こっちは江戸時代に流行った物らしい。
「確か、何処かの美術館が改装するから展示出来なくなった展示物を何点か引き取ることになったんだっけ?メールが届いた時は「展示物が増えると場所が嵩張る」とか言って断っていたのに。何か気に入った品でもあったのかしら?」
「この箱以外にも着物等も届いてますよ」
私が箱の数を言うと、「よく副館長も許したわね」と少し呆れたように笑った。
「ちょっと待ってね、昨日 作成したプレートを預かってたはず。その鏡は、そこの位置に置くみたい。コレがプレートね」
夏生さんから名前と説明が書かれたプレートを受け取り、私は空いているスペースに和鏡を置いた。
「古いけど、とても鮮やかな彫りが入った鏡ね。和鏡って、中期か後期に作られ始めたんだっけ?あれ?流行ったのが中期?」
「…あの、夏生さん」
「な~に?」
聞いてみたいと思った。もし夏生さんが何も感じてないなら、気のせいだと思えるかもしれない。
「この鏡、何か怖くないですか?」
「怖い?どの辺が?」
夏生さんは鏡を見るのを止めて、他の展示物のプレートを探しだす。
「何と言えば良いのか、曰く付き?みたいな」
「そう?普通の鏡に見えるけど。大丈夫よ、戦時の道具じゃないんだから。それに儀式に使用された鏡じゃなくて化粧道具の1つだから怖くないわよ」
「そう…ですね」
夏生さんは笑って心配ないと言うけど、私はどうしても恐怖が拭いされなかった。
霊感があるわけじゃない、それでも鏡の中から誰かに見られている感じがしてならない。
(暫くは、此処のギャラリーに近付くのはやめよう)
夜、眠りについた私は不思議な夢を見ていた。
1人の女性が屋敷の使用人と恋に落ち、おまじないの鏡で一緒になりたいと願った。そして、反対していた父の死によって女性は男性と結婚する事が出来た夢。
それは 私には怖い夢でしかない、女性は父の死を知っても微笑んでいたのだ。
そして女性が持っていた鏡は……。
《貴女の願いは何?復讐?生き返り?》
「…っ…はぁ、はぁ…はぁ……。あれは、今日 展示した鏡?どうして、こんな怖い夢を」
どうしても眠れなくなった私は、窓から見える月を見た。
「明るいと思ったら、今日は満月か」
ただの夢なのに、目を閉じると女性の姿が鮮明に浮かぶ。
とても綺麗な顔立ちで肌が白く、綺麗な着物と綺麗な屋敷、現代の男性なら微笑まれたら恋に落ちそうな女性。その女性が不敵な笑みを浮かべて立っている。
1度も会った記憶の無い女性だからと、これは鏡を不気味に感じたから脳が見せた夢だと、自分に言い聞かせた。
これから訪れる、現実に起きる、悪夢を知らずに。
「だから何度も言わせないでください、私たちは貴方に会いたくありません。……だから家に来たいと言わないで、迷惑です。朝から電話してくるなんて非常識ですよ」
朝食の為に1階に降りてみると、朝から母は誰かと電話をしていた。
内容から誰からの電話か分かる、分かったからこそ聞かない方が良い。母の機嫌を更に悪くさせる気は無いし、今安定している母を刺激したくない。相手が何故会いたがるのかを思い出さなくてもいい、分からないままでいい。
いつも父が届いた手紙を読んでいるのは知っている、その後捨てたか残したかは知らない、多分母に見付からない場所に隠しているんだと思う。
電話の様子だと、相手は手紙の話はしていない。さっきから父は早めの朝食を終え、新聞を読むフリをしてチラチラと母を見ている。
「おはよう、お父さん」
「おはよう」
父に挨拶をして椅子に座る、父も私に気付き挨拶を返す。
いつもと変わらない日常、それに慣れるまで何年も掛かった。そう…何年も……。
本当は慣れてなどいないのかもしれない、それを家族は口にしないだけ。
「今日の朝食も美味しそう」
テーブルに用意されていた朝食を美味しそうだと言ってから一口食べる、これも日常風景。1つだけ別の家族とは違うとしたら、私の横に置かれた誰も座ることの無い席に用意された朝食。それを母に何も言わない。
以前 1度だけ、一人分多いと指摘したことがある。母は「そんなこと無い」と言って取り乱し、暴れ、私に言った。
《まだ寝てるのかしら。千波、起こしに行ってあげて》
微笑む母の目に、私は泣きそうになった。
「お前からしたら、代わり映えしない朝食だろ」
私の横に置かれた朝食から、父は だし巻き玉子を一口食べる。私もサラダからトマトを取って食べた。
「お父さん、ちょっとは空気読んでよ」
「?」
暗い空気を少しでも明るくしたかったのに父ときたら。
しかし いつも通りの父だと思えば、少し安心することが出来た。
「お父さんらしいね」
「最近の若いやつの考えていることが分からないな」
父も少し笑う。父は私が笑う理由が自分だと気付いていない、それが更に可笑しく感じた。
「楽しそうね、どんな話をしていたのかしら?」
通話を終えた母が、笑う二人を見て笑顔になる。それを見て、父も私もホッとする。
「お父さんは、空気が読めないって話」
「失礼な。俺は空気が読めないんじゃない、空気を読むタイミングを逃しているんだ」
「いや、タイミングを逃してるって言葉で完全に空気が読めない人だから」
「まぁ、お父さんに失礼よ千波。あっ、そうそう、忘れるところだった。あなた、真弓くんから今日休みたいって電話があったわよ、体調が優れないんですって」
母はキッチンに戻ると、思い出したように新聞を読んでいる父にバイトの子が休むことを伝えた。
「そうか心配だな」
「私、夕方に1度 様子を見に行ってこようかしら」
「どうして?」
「真弓くん、独り暮らしをしているの。体調悪いなら、食事とか心配でしょ。辛そうなら、誰かが居ないと」
「……そうだね」
独り暮らしだろうと普通は訪ねない、それほど母は彼を誰かと重ねている。
それが誰かとは私も父も言わない、二人だけの暗黙の約束。
母は、たまに真弓くんを千里と呼ぼうとする。
職場に着くと、出勤していたスタッフ達が慌てて館内を速足で通りすぎていく。
足ってはいけない館内にしては、ドタバタと響いている。
「どうしたんですか?」
「豊岡さんが急に倒れて、救急車で運ばれたの」
「えっ?」
詳しく聞いてみると、美術品を管理しているスタッフの1人と夏生さんが団体客の相談をしていると突然、夏生さんが首を抑え倒れたのだと言う。
倒れた夏生さんの首には赤紫の線が浮かび上がり、救急車が到着した頃には消えていて、今も意識不明。
「夏生さんの家族には?」
「連絡はしといた」
「困ったよ。豊岡さんって頼りになるから、開館前に展示物の埃残りがないかのチェックとかしてもらってたんだよ」
1人の男性スタッフが、チェックリストを見せて言った。
夏生さんのフロアリーダーの分だけでも凄い量、考えるだけで今の慌てるスタッフ達の心境が分かる。
「私も。書類の抜けてる部分が無いか見てもらってたんだよね。元館長が怖かったから」
「父が厳しくても、私は大丈夫ですよ。注意はしますがね」
「あっ、館長 おはようございます」
美術の学芸員と話していると、館長がやって来た。館長の手には、夏生さんのだろうチェックリストのボードを持っている。
「豊岡くんが倒れたようだね。富岡くんの担当分の殆どは、私がやろう」
「助かります。こちらも時間があれば、お手伝いします」
「お願いするよ」
館長も心配している、それほど私たちは夏生さんに頼りきっていたことになる。
無事に仕事を終え家に帰ると、両親は出掛けていて家に居なかった。 店を早くに閉じて真弓くんの家に行ったのだろうか?
そう思い母にメールを送ってみると、暫くして父から電話がかかってきた。
「えっ?真弓くん、入院したの?」
『そうなんだ。尋ねてみたら苦しそうにしていてな、医者に聞いてみたら原因が分からないそうだ』
父が言うには、真弓くんの住むアパートを尋ねてインターホンを鳴らしても一向に出てくる気配はなく、携帯に電話をした。
着信音は家の中から聞こえ、心配になった母が管理人に事情を話し開けてもらうと、苦しそうに倒れていたそうだ。
そのあとが大変だったそうで、倒れる真弓くんを見た母がパニックを起こし、叫び、泣き出し、真弓くんから離れようとはしなかったらしい。
母は今 落ち着いて病室で寝ているそうで、携帯に表示された名前が私だと気付いた父は私に電話をしてきた。
「真弓くんの両親には連絡した?」
『したんだが、日本に帰って来れないらしい』
「そっか、真弓くんの両親は海外に住んでるんだっけ」
『それでな…、夕食は適当に食べてくれないか?朝食も』
「うん、分かった」
通話を終え、私はリビングのソファーに携帯を放り投げ、もたれるように座って息を思いっきり吐いた。
聴こえた父の声のトーンから、母は今夜は帰ってこないだろう。もしかしたらカウンセリングに病院通い、酷ければ食事をしなくなり入院だろう。
母は15年前から心を壊してしまっている。
その事を知っているのは父と私だけ、真弓くんは知らない、気付いてはいない、気付かせてはいけない。
「千里、ごめん」
誰も母を救うことは出来ない。
いや違う、私も父も壊れたままなんだ。だから母の行動に見向きもしない、好きなようにさせたままなんだ。
「あの、すみません」
「はい?」
入口のロビーでお客様の対応をしていると、1人の男性に声をかけられた。
年齢は多分上、何か困っていると言うより何かを聞いてもいいのかと悩んでる顔に見える。
「なつみっ…、その…豊岡夏生さんは出勤してますか?」
「貴方は?」
段々怪しい人に見えてきて、私は警戒した。それに気付いたのか、男性は私の警戒に「誤解です」と言って、持っていた鞄から何かを探し始めた。
「ちょっと待ってください」
男性は鞄から1枚のカードを出すと、私に渡した。それが名刺だと分かり受けとる。
「南雲浩と申します。その…元旦那の」
「あぁ、口喧嘩で子供を連れて出ていったかと思えば、離婚届をポストに入れて帰ってこない旦那さん」
以前、夏生さんから旦那さんの話を聞いていた。まるで子供みたいな人だと聞いていたけど、この人が…。オドオドしているから夏生さんのストーカーかと思った。
「もしかして、同僚の皆さんは知ってるんですか?口喧嘩の理由」
「いえ、私しか知りません。口喧嘩の理由も詳しくは聞いてませんし、夏生さんからは喧嘩をして引き下がれなくなって出ていった旦那としか」
「そうですか」
初めて会った南雲さんは聞いていたよりヘタレ感満載で、出ていきそうな人には見えない。何が原因で南雲さんは出ていったんだろ?
「聞いていたイメージとは違いますね」
私の言葉に今にも泣きそうな表情になった、泣かせたいわけじゃ無いんだけど。
「俺が悪いんです。今は後悔ばかりで、何故 離婚届なんて送ったんだろ。…それより、夏生を見ませんでしたか?今日は息子に会わせたくて約束をしていたんですが」
「その夏生さんは……」
私達は連絡先を知らないのだから、南雲さんが知らないのは無理もないだろう。でも夏生さんの両親には話してあるのだから、連絡しているものだと思っていたから驚くしかない。
夏生さんが入院したことを話すと、南雲さんは驚き入院先を聞いて紙にメモをした。
「あの…、孝を頼んで良いですか?」
「たかし?」
「息子です。今日は園児の体験学習で来ていて、彼処にいる男の子がそうです」
指をさした方を見ると、縄文土器模様体験で来ていた幼稚園児達が見えた。
「あそこ」にと言われても、誰が孝君か分からない。
南雲さんは先生らしき人に説明すると、そのまま走って博物館を出ていってしまった。
「館内を走るなんて、まるで子供みたい。あっ、確かに夏生さんが言った通り、子供みたいな人だ。それにしても、まだOKもしてないに孝君を預けるなんて意外と行動力はあるってことだよね。アレが離婚のキッカケだったりして」
私は仕方ないと、園児のいる体験ルームに向かった。その孝君が どの子なのかを確認するために。
体験学習の園児たちは現地解散だったらしく、外に出てみると親御さん達が待っているのが見えた。
「それでは、南雲孝くんをお願いします」
孝君は先生から聞いていたのか、そんなには嫌がらなかった。でも涙目で見られると辛い。
「はい、お預かりします。初めまして、孝君。私の名前は平井千波と言います。君のお母さんの友達だよ」
「ママ?」
孝君は笑顔になると、キョロキョロ首を横に振り夏生さんの姿を探した。
しかし 居ないと分かると暗い表情になり、泣くのを我慢するように裾を握り下を向く。
「ごめんね。お母さん忙しい御用があって、今日は孝君に会えなくなったんだって。お父さんが戻ってくるまで私と居ようね」
「パパは何処に行ったの?」
「急な用事だって。待てる?」
たかし君は、小さく頷いた。
南雲さんが入院している夏生さんの病院に行ったことは黙っていた方が良いだろう、これ以上 孝君を泣かせたくない。
最近 私の周りは泣きそうな人ばかりだな。
「手前にあるのは昔に作られた埴輪を真似て作られたのだから触れるんだよ。その奥のガラス張りの中のが本物の埴輪」
「僕知ってる。レプリカって言うんだよね」
「そうだよ。よく勉強していて、孝君は偉いね」
館長の計らいで、私は孝君に館内を案内することになった。
夏生さんが教えていたのか、いろんなことを孝君は知っていて、笑顔を私にも見せてくれた。
「アレは何?」
コレクションギャラリーに置かれていた明治の化粧箱に興味を持ったのか、孝君は近付いていった。
「孝君、館内は走っては駄目だよ」
孝君が立ち止まったので、注意が聞こえたんだと思った。しかし それは違っていて、私の方に走って戻って来たと思ったらスカートにしがみついたのだ。
どこか怯えている様で、何かをジーっと見ている。
「お姉ちゃん、アレ 怖い」
「どれ?」
子供が怖がる展示物は無いはずだ、だけど 孝君の視線は一定の方向を向いている。
「あのカガミだよ。誰かが覗いてた」
鏡と聞いて、私が怖いと感じた あの鏡だと気付く。
「孝君が写り込んだんじゃなく?」
たかし君は首を横に振って「知らない女の人」と言った。
本当なら近付きたくない、でも孝君を怖がらせたままにする気にもなれなくて、見てみようと近づいてみると少し違和感を感じた。
それはすぐに気付く程で、私は驚くしかない。
「鏡が少し、綺麗になってる」
初めて見た日より鏡の曇りは消え、まわりの装飾が磨かれた様に綺麗になっていた。
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