第12話

 「あぁ…。」

ポロポロと…、本当にポロポロと涙が落としていくお爺ちゃん。

カズちゃんは部室で聞いた時よりも衝撃的だったのか、口を開けたまま微動だにしない。

意識がどこかへ吹っ飛んでいるような感じ。


「ご清聴、ありがとうございました。」

私はそう言って深く頭を下げる。

そして、頭を上げた時の顔は満面の笑みだったと思う。


「歩!凄いぞ、歩!」

オーちゃんが、本心なのかどうかは別にして感想を言ってくれた。

その声で二人は我に返った。


「あ…、あ…、歩ちゃん!最高だったよ!マジで、いやマジでマジで!!!」

カズちゃんは珍しく興奮していた。

「どうですか!?翔輝さん!!これが歩ちゃんです!!!これが本当の歩ちゃんの姿なんです!!!!!」

お爺ちゃんの両肩を持って揺すっている。

当の本人はそれどころではない様子だった。

止まらない涙と格闘していた。


「お爺ちゃん…。」

私はギターを置いて、お爺ちゃんの前で膝をつく。

「お爺ちゃん、私、どうだった?ちゃんと歌えたかな?」

「あぁ…。最高だ…。ギターは最低だったけどな…。」

両手で顔を覆い、何とか気持ちを落ち着かせようとしていた。


「良かった。観客が感動してくれて。」

「そうだ、その気持が一番大切だ。今の気持ちを忘れるな。」

「はい!」

「翔輝さん、宣言通り、歩さんをもらっていきますね。」


「それは駄目だ。」

「え?」

てっきり合格かと思っていた。

だけどお爺ちゃんはストップをかける。

「どうしてです?歩さんの実力は本物でしょ!?」

「歩の問題じゃない。他のバンドメンバーの問題だ。」

「えー………。」


なんと、今度はそっちに白羽の矢がたった。

だけど、これはむしろ好都合とも言える。

何でもいいから音楽の世界に興味を持ってくれている。

今はそれが重要だと思うの。


「じゃぁ、今度はバンドの音を聞いてくれますか?」

「いいだろう。あれだけ大口叩いたんだ。さぞかし俺を満足させてくれるんだろうな?」

これはまたハードルが一気に上がった。

カズちゃんはチラチラと私の方に視線を送りながらヘルプサインを出していた。


「明日も練習あるから、お爺ちゃんも来てよ。いいでしょ?」

「よし、分かった。楽しみにしておこう。」

そう言って重い腰を上げると自室へと向かっていく。

「晩御飯出来たら呼ぶからね。」

去りゆく背中に声をかけた。

お爺ちゃんは軽く右手を上げて答えてくれた。

ダイちゃんが後を追っていった。


「上手くいったの…かな?」

私はカズちゃんの顔を覗き込む。

彼と目線が合うと、ガバッと抱きつかれた。

「最高だったよ歩ちゃん…。本当に…、本当に心の底から感動した…。」

「ありがと…。私もちょっと感動しちゃった。」

カズちゃんはそっと離れる。


「自分の歌声で感動したのかい?」

「あれ?ふふ…、それって可笑しいね。」

私は苦笑いした。

カズちゃんは私の顔を覗きこんで、そして急に立ち上がった。

「と、取り敢えず、今日は帰って皆に報告するよ。」

「うん、わかった。じゃぁね。」


彼は来た時と同様に、ドタバタと帰っていった。

何だか不自然だったけど、この時はあまり気にしなかった。

ギターをケースに片付けて、晩御飯の準備にとりかかる。


ふふふ…。人前で歌ってみるのも、楽しいね。

でもお爺ちゃんとお婆ちゃんは色々と苦しんだんだよね。

楽しいばかりじゃない。


よく、趣味を仕事にすると後悔すると聞く。

それはつまり、楽しいばかりじゃ仕事にならないって意味だと思うの。

そうじゃなきゃ、歌う為に生まれてきたようなお爺ちゃんが、歌を辞めて30年ぐらい経っているけど、未だに歌によって苦しめられていることなんて無いはずだもん。


 翌日。

土曜日で休講ってこともあり、キャンパスは学生が疎らだった。

私はギターを片手に、そして隣にお爺ちゃんを連れて大学へやってきている。

「いやー、それにしても大きいなぁ…。」

お爺ちゃんは純粋に驚いていた。


迫力のある校舎は、色んな学部を抱える総合大学としての威厳を放っている。

「ささっ、早く中に入ろ!」

二人は校内へと入っていく。


外とは打って変わって凛とした空気が漂う。

へーとか、ほーとか言いながら終始落ち着きがなかった。

そんな時だった。

職員室や校長室がある一角の廊下を歩いていると、やたらと威圧感のある学校長に出くわした。


「お爺ちゃん、あの人校長先生だよ。」

小声て伝えておく。

何も無いと思うのだけど、言っておけば対処しやすいしね。

すれ違う瞬間、校長先生は私達に視線を送ってきた。

なんだろ…。


「あのー、すみません。」

低くて渋い校長先生の声に呼び止められた。

「はい、何でしょうか?」

私が対応する。

叔父と校内を歩いていても特に問題はない。

孫の学校に興味を持ったから見学に来たとでも言えば、あながち嘘じゃないし咎められる筋合いもないしね。


「いえ、そちらの方です。」

私じゃなくてお爺ちゃんの方に声をかけたみたい。

「どうかしましたか?」

お爺ちゃんは冷静に受け答えした。

大丈夫そうだね…。でも、いったい何で呼び止めたんだろう?


「どこかでお会いしましたか?」

何と、校長先生はお爺ちゃんを知人じゃないかと疑っている。

そして私は、今更ながら気が付いた。

私のお爺ちゃんは、あの伝説のシンガー・ソングライター、内藤 翔輝だと言うことを…。


校長先生ぐらいの年代なら、誰もが知っているよね…。

迂闊だったよ…。

「さぁ、他人の空似でしょう。」

お爺ちゃんは慣れた感じで校長先生の言葉を受け流した。


「そうでしたか、失礼しました。」

「いえいえ…。」

お互い軽く頭を下げて再び歩きだした。


「危なかったね…。」

また小声でつぶやいた。

「なぁに、こんなのは今までもしょっちゅうあったからな。」

あ、そうか。そうだよね。


同年代の人に合えば誰もがアレ?と思ってきただろう。

その度にお爺ちゃんは今のように交わしてきたんだね。

こういったちょっとした事が大変な人生だったんだなぁ…。


階段を上がり少し歩いて、ようやく目的の部室に到着した。

トントンッ

ノックしてから扉を開けると、緊張した面持ちの部員の3人が一斉にこちらに注目した。

あはは…。緊張し過ぎだよ…。


「今日はよろしくお願いします!部長の緑川と申します!ドラムをやっています!」

「うむ、よろしく。」

「わ…、私は…、いや俺はベースの田村。よ…、よろしく!」

「はい、よろしく。」

「昨日は突然済みませんでした!ギターの藤原です!」

「あぁ、もしかして藤原さんところの…?」

「はい!そうです。両親がいつもお世話になっています。」

「いやいや、こちらこそ。だけど、それとこれは別問題だ。何せ…。」

お爺ちゃんはジロリと3人を見渡す。

「俺の孫をくれと言ってきたのだからな。覚悟は出来ているだろうな?」

相当なプレッシャーを感じた。


本気だ…。あの内藤 翔輝が本気で音楽を聞こうとしているのだ…。

もしかして…。

部員の3人はお爺ちゃんのファンだよね…。


あー…。案の定、3人はガチガチに緊張したあげく、伝説の男を前に震え上がってしまっていた。

それにファンの人に会えたという感動も入り混じり、もう訳がわからなくなっているようだった。


「おい、お前ら。そんなに緊張していて演奏出来るのか?」

そう指摘するお爺ちゃんに、椅子をだして座ってもらう。

腕組をしながら鋭い視線を部員に対して送り続けている。


「正直に言います。俺は翔輝さんの大ファンなんです。美里さんから無理を言ってレコードを貸していただきデジタル化していつも聞いてます。それに、あの伝説のチャリティーライブのポスター、あれも3年がかりで入手して部屋に飾っています。もう、こうして俺達の音を聞いて貰えると言うだけで…、いや…、その…、感動してしまって…。」

カズちゃんの言葉にお爺ちゃんは深い溜息をついた。


「ファンだというのは素直に嬉しいが、伝説だとか、そんな幻想に振り回されるな。上を見る時は蹴落とす時だ。今は足元を見ろ。自分達の、等身大の実力をしっかり把握しろ。」

意外にもお爺ちゃんは、冷静に彼等を分析し、駄目なところを指摘している。

ちょっと驚いたかも。


「は…はい!すみません!」

「謝る必要はない。俺はただ、歩が欲しいとほざいた奴の実力を見に来ただけだ。」

「………。」

私達は絶望した。

幻想なんかじゃない、本物のレジェンドを目の前に舞い上がらない方がおかしい。


だけどそのレジェンドは私達の実力を見に来ている。

あぁ、これはまずい…。

小さな失敗は想定内だけど、大きな失敗は、それこそこの計画の終わりを告げることになる。


私は何とかしないといけないと直感で感じた。

パン…パン…パン…

手拍子を始めると、3人の方を向きながら一人ずつ視線を交わしていく。

私はこの状況を打開すべく大きく息を吸い込んだ。

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