第264話 vsデスマスクさん

 彼女と始めて出会ったのはネットの掲示板だった。

 正直に第一印象を言ってしまうと、暗い子の一言に尽きる。

 文脈はちょっと控えめで、ブレイカーズ・オンラインのオフ会に初参加する時も『始めてですが大丈夫でしょうか』とか『妹も同伴しちゃいます、ごめんなさい』などとひたすら腰が低かった記憶がある。

 そして本人と顔を合わせた時、イメージは確信へと変わった。

 『デスマスクさん』ことカノン・シルヴェリアは他人との距離の取り方が下手糞な人間で、恥ずかしがり屋で、そのくせ人工声帯がないと碌に喋れない、ちょっと暗い女の子だった。

 女にならすぐに手を出すことに定評のある赤猿ですら、彼女の放つ不気味オーラにびびっている。

 隅っこに座っている癖に、どす黒い存在感だけが際立っていたのはいい思い出だ。

 そんな彼女との距離が縮まったきっかけは、きっと彼女自身が勇気を振り絞ったあの言葉にある。


『あ、あの! サインくれませんか!?』


 蛍石スバル、当時15歳。

 生まれて始めて、他人にサインを書いた日だった。

 尚、これ以降他人にサインを書いたことはない。

 ただ、今考えても自分が彼女にサインを書くのはお門違いな気がする。

 当時は知らなかったが、デスマスクさんは自分が考えているよりもずっと稼いでいて、ハードな仕事をこなしているスーパー少女だった。

 未成年の癖にクレジットカードなんか持っているのがいい証拠だ。

 深く彼女の事を知っていくと同時に、どうして自分に懐いたのかと不思議に思った。

 しかし、それはそれで居心地のいい空間だったのは事実だ。

 初対面は不気味ちゃんでも、今となっては師匠と呼んでくれる彼女の存在が好ましいと感じる。

 アキハバラの時は励ましてもらって、トラセットの時は駆け付けてくれて、王国からの脱出の時には命がけでカメラを無力化し、ゲーリマルタアイランドでは仲間を裏切ってまで助けれくれた。

 自分がどれほどのことを彼女にしてやれたのかは、わからない。

 サインをあげたこともあるし、一緒にゲームをしてテクニックを伝授したこともある。

 だが、彼女がくれた物と比較して、それは価値がある物なのだろうか。

 胸を一突きにされ、動かなくなった弟子の亡骸にそっと手を置く。

 長い前髪の奥にある瞳が、苦しげに見開かれたままになっていた。

 そのままにするのは、あまりに忍びない。


「うぐっ……」


 そっと瞼を降ろしてやる。

 最後に見せた視界が自分の嗚咽混じりの情けない姿なのは、勘弁してほしい。

 熱い何かが目頭に浮かび、どうにかなってしまいそうなのを必死に堪えているのだ。

 これを解放するのは全部が終わってからだと心に決めている。


「スバル!」


 トゥロスがこの場を撤退し、10分ほどが経過。

 エイジたちがようやく少年の姿を確認するも、彼の無事を喜ぶことできなかった。


「カノン……」


 シデンが僅かに目を背け、エイジが拳を震わせる。

 アーガスは空に十字架を刻み、小さく黙祷をとった。

 各々が感情に整理をつけ終わると、エイジがスバルの肩を叩く。


「まだ、やれるな?」

「うん」

「鎧か?」

「……うん」


 鼻水を啜り、スバルが目元を擦る。

 アウラに至っては俯いたまま言葉を発さず、黙ってそれを見守っていた。


「王国から逃げる時に出てきた、金色の鎧だった」


 辛うじて報告すると、エイジとシデンは顔をしかめる。

 彼らが戦った鎧だった。


「くそっ!」


 エイジが鉄拳を振りかざし、床にあたる。

 金色の鎧は彼のクローンであり、脱出戦では彼が動きを抑えていた。

 あの時になんとしてでも倒しておくべきだったと、強い後悔が蝕んでいく。


「そいつはどうなった?」

「逃げた。カノンが最後に、包丁を突き立てて……」


 最初から最後まで弄られたも同然だった。

 しかし、彼女は最後にしっかりと爪痕を残していったのだ。

 その証でもある、へし折れた刀を手にしてスバルが言う。


「他の鎧は、どうなってるの?」

「幸か不幸か、ここに来るまでは遭遇してないよ」


 シデンが説明すると、スバルはゆっくりと立ち上がった。


「外のサムタックも、今は動く気配はないね。迷宮も一時的に解除されたのを見るに――――」

「ノアの奴が、金色の鎧の修復をする為だろうな」


 そう考えるのが妥当だろう。

 でなければノアが迷宮を解除する理由がない。


「わかった。じゃあ、それまでの間は時間があるんだよね」

「そういうことになるな」

「他の鎧も、今は回収されている可能性が大きいね。自分の手の届かないところに鎧を置くのは、ノアも嫌だろうから」


 一時的な休息の時である。

 この間に体勢を立て直し、一気にサムタックを攻め立てるべきだろう。


「俺はこの機にサムタックへ行く」


 真っ先にそれを考えたのはエイジだった。

 彼は鋭い眼光を外の巨大要塞に送りつけると、一方的にガンつける。


「いい加減、あの画鋲みたいなのが目障りだ。こんなんじゃ日常生活で画鋲を見る度にイライラしちまう」


 その気持ちはなんとなくわからないでもない。

 胸の中に漂うこの苛立ち。

 捌け口を求めるそれをなんとかしなければ、きっと無関係な物に当たり散らすことになる。


「ひとりは危険だ。私も行こう」

「オメーは此処を頼むぜ」


 立候補するアーガスを制止させ、エイジはアウラを指差す。


「怪我人もいるんだ。誰か治療にあたれる奴がいる方がいいだろう」

「え、アーガスさんって治療できるの?」

「勿論だとも! もっとも、マリリス君ほど万能ではないがね」


 アーガスが掌の中から黄色の薔薇を出現させる。


「すまないが、傷口を見せてくれたまえ」

「んっ」


 アウラが腹部を見せると、その上に薔薇がそっと置かれた。

 夥しい出血が治まり、傷口が徐々に塞がっていく。


「暫くはそれを持っておくといいだろう。完治まで2時間はかかる」

「もっと早くいけませんか?」

「逸る気持ちはわからんでもないが、今は少し我慢してくれたまえ」


 真面目に何時間も傷が治るのを待つ必要はない。

 イルマに送り届ければそれで済む話なのだ。


「一度、山田君の部屋に戻ろう。コラーゲン中佐にも話しておかなければなるまい」

「今、アーガスさんが凄い頼りになる人に見えるよ」

「ふははははははははっ! そうだろう!」


 褒めた途端これである。

 これさえなければ本当に頼れる大人なのだが。


「よし、じゃあ決まりだな」


 アーガスが方針を決めると、エイジがスコップを肩に担ぐ。

 彼の隣ではシデンがスカートの丈を調整し、何時でも攻撃できるよう整えていた。


「俺とシデンはサムタックへ。アーガスはイルマの所に合流してくれ。早くこっちの応援に来てくれると助かる」

「任せておきたまえ。山田君を叩き起こして向かわせるつもりだ」


 そこでスバルは気づく。

 カイトは先日の戦いからまだ目を覚ましていないのだ。

 すぐにでも起こすべき状況なのだが、どうなっているのだろう。


「カイトさん、まだ起きないの?」

「……ゼッペルを任せた手前、あまり大きな事は言えないのだがね」


 ウィリアムによる新人類抹殺計画。

 それを止めたのは、ほぼカイトだ。

 道中で現れた敵のレベルの高さは、これまで出てきた連中が赤子に見える程に手強い。

 だがそれ以上に彼の身体が弱っているのも原因のひとつなのだろうとアーガスは予想していた。

 神鷹カイトの再生能力の品質低下。

 鍛えあげられた新人類の才能が劣化するなど、アーガスは聞いたこともない。

 あの怪物の目玉が彼の身に何かしらの影響を与えているのは確かだ。

 とはいえ、それをこの少年に話すのはまだ早い。

 なんとか平常心を保とうとしているのはわかるが、マリリスの一件から彼の心はどんどん荒れていっている。

 余計な不安要素を話す必要はない。


「あの戦いにおける山田君の負担は、これまでの戦いでも群を抜いている。彼にとっても味わった事のない、美しくない負担がかかっているのだろう」

「……そっか。そうだよな」


 ワシントン基地がほぼ機能停止にまで追い詰められたのだ。

 どれだけ激しい戦いが展開されたのか、意識がしっかりしていなくても理解できる。


「……俺が、カノンの分も頑張らなきゃ」


 弟子の形見を握りしめ、スバルは少女の腰から鞘を抜き取る。

 大きな鞘だ。

 よくこんな物を携えて、あれだけの運動ができたものである。

 まったく、自分には過ぎた弟子だった。


「アーガスさん、妹さん。ちょっと、戻る前に頼みがあるんだけど」

「なんだね」

「寄り道、させてくれない? たぶん、今やっておかないと不味いだろうから」

「何する気なんだよ」


 訝しげにエイジが見やると、スバルは迷いなく言い放つ。


「逃がす。彼女がここにいる理由、もう無いと思うから」

 

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