第261話 vs運がない少年

『く、はははははははははっ!』


 笑いを堪えようとするも、ノアは耐えきれずに爆笑していた。

 探索開始から僅か数分。

 最初に開けた扉の中でいきなり標的と遭遇してしまったのだ。

 わざわざ迷宮化したというのに、なんとも呆気ない。

 いや、少年の運が悪すぎるだけだろうか。

 どちらにせよ先にスバルを見つけたのはノアだ。

 彼女はスバルを発見した金色の鎧に命じる。


『はっー、トゥロス。早速だけど、挨拶しようか』


 笑い終えて一息つきつつも下された命令に対し、トゥロスは異議を唱えない。

 思考は最初から取り除かれている。

 あるのは命令通りの仕事をこなすという『労働意欲』だけだ。

 金色の大男が身構える。

 対してスバルは尻餅をつきそうなのを堪えるのが精一杯の状況だった。


「ひ、ひ……」


 見えない何かが覆い被さり、スバルを押し倒そうとする。

 死という名のプレッシャーだ。

 目の前に明確な死神の姿を見て、スバルは身体を動かすことができずにいた。

 トゥロスが一歩を踏み出す。

 ずしん、と床が揺れた。

 その振動でスバルはとうとう尻餅をつき、腰が抜けてしまう。

 絶体絶命であった。


「あ、う」


 喉の渇きを意識しつつも、周りを見渡す。

 彼にとっての最大の不幸は周囲に仲間がいないことにある。

 これまでスバルを守り続けてくれた新人類達が、という意味ではない。

 少年の他に戦士と呼べる人間がいなかったのだ。

 と、言うのも理由がある。

 この格納庫は反逆者たちの機体を優先に回しており、その他の機体はあくまでおまけとして受け持っているに過ぎないからだ。

 要するにスバル達以外、殆ど使わない状況だったのである。

 当然と言えば当然だ。

 超特急で修理することになったとはいえ、先日のエクシィズの暴走に巻き込まれてスクラップも同然だったものばかり。

 人手が足りなくなった今、敢えて修理が追いついていない機体を使うパイロットはいないのだ。

 もっとも、そのお陰で担当メカニックたちは特定の機体の修復を済ませることができた。

 それが追いつめられた少年に残された幸福である。


「クァ!」


 ペン蔵の号令で、部下ペンギンの数羽がブレイカーの遠隔ボタンを作動させた。

 固定されていた鳩胸の関節部が解き放たれ、無人のままカタパルトへ繋がれていく。


「え?」


 自動エスカレーターによる稼働音を耳にし、スバルが振り返る。

 鳩胸が発進体勢に入っていた。


「鳩胸ぇ!?」


 誰が、という疑問は湧かなかった。

 寧ろやってきたのは別の疑問である。


「なんでよりにもよってソレなんだよ!」


 量産機愛好家に喧嘩を売りかねない台詞だった。

 鳩胸はこの格納庫に収められているブレイカーの中ではもっともコスパがよく、性能が控えめである。

 例え相手が生身とは言え、もっと良い機体を用意した方がいいのではないかというのがスバルの主張だった。


「クァ、クァー」


 だがしかし、ペン蔵はスバルの意見をクチバシで笑い飛ばす。


「クァ!」


 勢いよく手羽先をトゥロスに対して差し向けると同時、カタパルトから鳩胸が吐き出された。

 その直線状には、構えたままの金の鎧がいる。

 彼は首を傾げることもないままスバルを凝視しており、鳩胸の発進にはまるで気づいていない。


「あぁっ!」


 ここでようやくメカニックたちの意図に勘付いたスバルが、反射的に歓喜の笑みを浮かべた。

 半分涙目になりながらなのは中々にカッコ悪い姿ではあったが、今はそんなことを気にしている余裕はない。

 それだけ怖かったのである。


「よし、いけぇ!」


 現金にはしゃぎ始めるスバルを余所に、トゥロスは動かない。

 兜から伸びる雄々しい角をスバルに向けたまま微動だにしなかった。

 鳩胸が体当たりを仕掛けようとしても姿勢が変わる事はない。


『嘗められたものだ』


 状況に対し、ノアは肩を落とす。


『私の鎧だぞ。そんな鉄の塊が突っ込んできたところで、どうだというんだ』


 まったく面白くない。

 耐久テストなら随分前に済ませているのだ。

 今更そんなものを持ち出してきてほしくなどない。

 やるからにはもっと強力な物を出して来いと言いたいものだ。


『トゥロス、わからせてやるんだ』


 言葉が脳に響き渡る。

 操縦者の意思が浸透していくと、金の鎧は丸太のような太い腕を振るう。


 接触。


 振るわれた拳が、鳩胸の足を抉り取った。


「げぇっ!?」


 刈り取られた足があらぬ方向へと吹っ飛ばされ、壁にぶち当たる。

 残された鳩胸は格納庫から飛び出し、そのまま外へと放り出されていった。

 トゥロスはまったく疲れた様子も見せないまま、再びスバルを見やる。


「あ、えと。す、すごい特技をお持ちで!」


 混乱の余り、自分でも何を言っているのかよくわかっていない。

 ただ、状況が不味い方向へと向かっているのは何となく理解できた。

 ペン蔵に視線を向ける。

 見事に顔を逸らされた。

 早くも万策が尽きたことを少年は察する。


「え、えっと……えーっと」


 起き上がり、また転がりそうなくらい不安定な足取りで後ずさる。

 あまりに情けなさすぎる動きなのだが、トゥロスは全く意に介する様子も見せずに歩いてきた。

 徒歩である。

 走って行けばすぐに終わるのは目に見えていた。

 それをしないのは、一重に鎧の操縦者の趣味の悪さであると言えるだろう。


『ほらほら、どうするんだい』


 実際、ノアは笑いながらスバルを追い詰めていた。

 少年を守る物は何もない。

 ここで彼を殺すことなど、わけもないことだ。

 だからこそ、ノアは待つ。


『調整した鎧のバトルステージなんだ。早くブレイカーに乗るなりすればいいのに』


 ノアは最初からスバルを殺すつもりなどない。

 どちらかと言えば真の標的は彼の周囲にいる新人類達、あるいはブレイカーに搭乗したスバルだ。

 いかんせん、彼らは金魚の糞のように行動を共にしていることが多い。

 だからこそ、その中心であるスバルを狙えば必然的に良い実戦データが得られると考えていた。


『君はカプリコに勝ったんだろ。他の連中も、鎧を止めるだけの力量があった。早くデータを取らせてくれよ』


 ノアの頭の中には新人類王国の名誉など片隅にも置かれていない。

 彼女の目的は常に自分の作品の進化であり、その為には手段を惜しまないつもりでいる。

 王国への参加もその為の物だ。


『早く戦いな。折角ゆっくりとしてあげてるんだから』


 だが、いかんせん見つけるのが早すぎた。

 襲来をかけたのはほんの数分前。

 余計な邪魔が入りにくいように迷宮化を仕掛けたのは更にその少し後である。

 すぐに見つかったこの少年も運が悪いが、自分も相当に運が悪いと思う。


『やれやれ……』


 少年はびびりすぎて、愛機に乗り込むのも困難な状況だった。

 敵ながら見ていられない。

 なんというか、起こす為に手を貸してあげたくなる。


『仕方がない』


 起こしてやろうか。

 ノアの脳がそんなことを呟くと、トゥロスはそれを実行せんとスバルに近寄り始める。

 それも速足で。


「うわあああああああああああああっ!」


 想像してみて欲しい。

 敵だとわかっており、尚且つ自分を何時でも殺せるような巨人が速足で近づいてくる。

 恐ろしい事この上ない光景だ。

 以前カイトから言われた『鎧に背を向けるな』という教えを背き、スバルは逃げ惑い始めた。


『やれやれ。これじゃあ落ち着くのも無理な話だな』


 仕方がない。

 こんなつまらない結末は不本意だが、彼には消えてもらおう。

 その方が彼の付き人達も怒って、良い展開になるかもしれない。


『殺せ』


 遂にその命令が下された。

 焦らされ続けた金の鎧は拳を構え、少年の背中に向けて突き出す。

 瞬間、真横から衝撃が走った。


『うん?』

「え?」


 ばちん、と何かが弾けた音が聞こえた。

 トゥロスが右腕を眺める。

 僅かに焦げ跡がついていた。

 それに、少々感覚が麻痺している。


『電流か』


 あらぬ方向からの電気ショック。

 こんな真似ができるのは、敵側だとあのふたりか。


『第二期の方が来たようだ』


 トゥロスが敵の方角を見定め、見上げる。

 前髪で顔を覆っている少女が、右手をこちらにかざしていた。

 上半身から流れる紫電が唸りをあげ、威嚇する。


『運がいいなぁ、少年。土壇場で助けが来てくれたよ』


 くっくっ、と笑いつつもノアは次の命令を下す。


『標的変更だ。第二期を始末しちゃおうか』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る