第97話 vsイルマ・クリムゾン ~私はあなたの所有物編~
神鷹カイトとイルマ・クリムゾンの両名の名誉にかけて言わせてもらうが、これはお互いの意地をかけた戦いである。
はっきり言って馬鹿らしいと思うかもしれない。現にスバル達は全員白けていた。
しかし二人は大真面目である。
カイトは部下が欲しくない一心で。イルマは仕えなければならないという一直線すぎる使命感が、この血の流れない戦いに無駄な油を注いでいた。
そしてカイトから放たれた一撃が、コレだ。
「では、まずここでゴリラのモノマネをやってみろ」
偉そうに指を突き付け、カイトが言った。
周りの友人たちは揃って訝しげな視線を向けるが、本人とイルマは至極真面目な顔である。
「了解」
するとイルマ。しゃがみこんだと思いきや、上半身を前かがみにして拳を作った。小さな両拳はイルマの身体を支え、少しずつ前進する。
「ウホッ! ウホホッ、ウホーイ!」
大統領秘書のセリフであった。
真顔で言うあたりがなんとも言えない。しかしながら、周りを囲む友人たちから見れば『よくやるよ』の一言に尽きた。
この行動だけでも拍手を送りたくなってくる。だが、カイトは納得しない。
「貴様はゴリラだ。ゴリラはゴリラらしく、ドラミングをしてみろ」
「ちょっと」
結構な無茶振りであるようにスバルには聞こえた。
見れば、後方で様子を見ているマリリスも無言で抗議の視線を送ってきている。
「仮にも相手は女子だよ。もうちょっと手加減してあげたらどうなの」
「女子だから手加減?」
信じられない、とでも言いたげな顔でカイトは振り向いた。
今にも殴られるんじゃないかと思えるような怒気に満ちた表情が、スバルを硬直させる。
「お前はシンジュク以降、どんな女に絡まれてきたのか忘れたのか」
言われてスバルは思い出す。
メラニー、シルヴェリア姉妹、エレノア、シャオラン、メイド昆虫軍団、タイラント、レオパルド部隊。おまけで六道シデン。
碌な奴がいなかった。少なくとも、彼女にしたいと思える女子はこの中に一人もいない。寧ろ全力で逃げ出したい女子だらけだ。約一名、女子ではない奴が混じっていたが、特に違和感はないので気にしない。
「思い出した」
「女子に手加減は必要か?」
「ないね」
あっさりとした返答である。
早すぎる返答はシデンにエイジ、マリリスを驚愕させたが、真顔で引き下がったスバルに突っ込みを入れることなどできなかった。少年の身体から放たれる哀愁が、それとなく同情を誘う。
さておき、ドラミングだ。
一般的にゴリラのドラミングは己の拳を胸に叩きつけることで相手を威嚇する動作として知られている。
だが、イルマは女性だった。アスリート体系というわけでもなく、外見からして筋肉が目立つボディービルダー系でもない。
寧ろ少女体系と言っても過言ではなかった。そんな彼女にドラミングをさせるのは、非常に心苦しい物がある。
しかしイルマは動じない。
彼女は控えめな胸部をやや前に出すと、激しく両拳で叩きだした。その動きの激しさたるや、まさしくドラムを叩いて音を鳴らしているかのようだ。
「……おい、どう思う」
「いや、どうって言われても」
振り返り、カイトが友人たちへ意見を求めた。
しかし、ゴリラのモノマネを指示したのがカイトである以上、意見を求められても困る。何をコメントすればいいのだ。
「奴の俺に対する好感度は下がったと思えるか?」
「現在進行形で、私はあなたの思考に疑問を抱いています」
「そうか」
マリリスの訝しげな視線に気を悪くした様子も無く、カイトは頷く。
同じ女性である彼女がこうなのだ。恐らくイルマも神鷹カイトと言う男に対して嫌悪感を抱き始めているに違いない。
真顔でドラミングしているので表情から判別できないが、きっとそうだろう。
しかし、こんなものはただのジャブである。
彼女の言う『貴方の所有物』発言がどれ程の忠誠心を持っているのかは知らないが、カイトは真正面からそれを破壊し尽くすつもりでいた。
その為の鍵となるのが、同じ女性目線を持つマリリス・キュロの貴重な意見である。
「止めて良し」
「了解」
唸りを上げるようにして胸を叩いていたイルマが、すっと立ち上がった。
何事も無かったかのような無表情でカイトを見つめ、次の言葉を待つ。
「そのまま俺が許すまで動くな。ぶった斬るぞ」
言うと、カイトはイルマへと歩いていく。
彼は背後へと回り込むと、イルマの長い髪を乱暴に掴んだ。力任せに引っ張られ、イルマの口から僅かばかりに『ん』と声が零れる。
「ああ、カイちゃん! それはダメだよ!」
そんなカイトの動作に猛抗議をし始めたのは同じ女性目線を持つマリリス・キュロ――――ではなく、六道シデンだった。
「髪は女の子の命だって聞いたことないの!? そんな乱暴な手つきで扱うだなんて信じられない!」
過去に例を見ない怒り方だった。
ずかずかと二人の下へと近づいていくと、シデンはカイトの腕を掴み、睨みつける。
「凍らせるよ」
「だが」
「だがもなにもない! 部下を持ちたくないのは分かるけど、女の子の気持ちも分からないような屑が一人前に何かできると思ってるわけ!?」
結構痛い点を突かれた。
思わぬ口撃を受け、たじろぐカイト。一人前云々や女の子の扱い云々よりも、屑呼ばわりされたことがぐさりと心に突き刺さった。
崩れ落ち、俯き始める超人の姿は惨めの一言に尽きる。
ただ、スバルもエイジも女の子の気持ちがわかるわけじゃないので、半ば同情の視線を向けてくれていた。
「イルマちゃん、大丈夫だった? 痛んだりしてない?」
「…………」
心配げにイルマの顔を覗きこみ、シデンは問いかける。
しかし本人からの返答は無かった。それだけではない。口を動かさないばかりか、眉毛をぴくりとも動かさずにいたのだ。
「あれ、イルマちゃん?」
なんの反応も起こさない秘書の態度に疑問を覚え、シデンは何度か彼女の目の前で手を振ってみる。
やはり何のアクションも無い。まるで彼女だけ時間を止められたかのように、静止し続けている。
「ん?」
しかしそこで、スバルは気づく。
つい先ほどのカイトのセリフだ。
『そのまま俺が許すまで動くな』
まさか。
いや、そんなまさか。
猛烈に嫌な予感がした。まさかこの有耶無耶になりそうな雰囲気で、先程の指令を実行し続けているというのか。
スバルは速足でカイトの元へと近づき、彼の耳元で囁いた。
「ねえ、カイトさん。イルマさんが全然動かないんだけど」
「……それがどうした」
声に元気がない。約10年越しの仲直りの後に行われた口喧嘩は、彼の心を大きく抉っていたようだ。思っていた以上にこの男も面倒くさいなぁ、とスバルは思う。
「アンタ命令出したでしょ。動くなって」
「……出したかもしれない」
「出したんだよ!」
こんなにカッコ悪い同居人の姿を見たのは初めてかもしれない。
やる時はきっちりとやる男だった筈だが、こんなにやわだっただろうか。
「取り下げてやりなよ。ここままだと話が前に進みやしない」
「……動いて良し」
小さく呟かれると同時、イルマはまっすぐカイトの横へと移動した。
心配してくれたシデンは完全に眼中になく、カイトの横で話しているスバルを押しのけてから彼女は言った。
「元気を出してください。あなたが元気を出してくれないと、私も悲しいです」
「……勝手に悲しめばいいだろ」
客観的に見ても酷い言い草であると、スバルは思う。
そんなんじゃまたシデンに怒られるんじゃないかと声をかけようとしたが。
彼は見てしまった。
俯き、他の連中には表情を覗きこまれない位置で。カイトが真顔のまま次の指令を送る所を。
「俺のことを想って悲しむのなら、ここで泣いてみろ」
こいつ最低だ。
蛍石スバル、16歳。この時、真剣にカイトとの付き合い方を考え始めた瞬間であった。
女の命を切る指令が失敗したとはいえ、この空気の中まだ指令を続ける辺り、カイトも相当頑固である。
だが逆に言えば、こんな空気だからこそ彼女がどこまでできるのかの意思を確認できるという物だった。
カイトは思う。
自分は泣くのが下手糞な男である、と。
恩人のエリーゼやマサキが死んだとき、素直に泣くことができなかったのは、未だに悔いが残る。だが、それでもこの鉄仮面女に比べれば、自分はまだ感情豊かな方である、とカイトは自負していた。
故に、イルマが自分の不得意分野である『泣く』をクリアできる筈がないと。そう思っていた。
「えぐっ……」
「え?」
ところがどっこい。
イルマがゆっくりと嗚咽を漏らし始めた。
スバルが驚き、彼女を見やる。目尻には既に水が溜まりきっており、何時でも決壊できる状態に仕上がっていた。
「ふぇ……うわああああああああああああああああああぁん! リーダーがぁ! リーダーが苛められたぁああああああああああ!」
カウントダウンするまでも無く、イルマは崩壊した。
先程までの無表情な顔からは想像もできないような大号泣である。瞼から頬を伝い、飛び散る塩辛い液体が床やカイトの身体へと飛び散っていく。
誰がどう見ても苛めているのはカイト以外の何者でもないのだが、勝手に苛めっ子にされてしまったシデンは慌てながらもイルマのご機嫌をとり始めた。
一方のカイト。この時、非常に焦っていた。
そんな馬鹿な。俺でも滅多にできないことを、いとも容易くやってのけるとは。
正直、甘く見ていた。
同時に、ちょっと怖い。
諦めが悪いのか、余程の演技派なのかは分からない。
だがマリリス視点でも十分に嫌悪感を抱くゴリラのモノマネを眉一つ動かさずにやってのけ、ずっと動かず待機し、挙句の果てに泣いて見せた。
なんでここまでしてウィリアムの命令に従い、自分の秘書というポジションに誇示するのか分からない。
思い当たる節は全くなかった。シルヴェリア姉妹のように1から10まで面倒を見ていたわけでもない。かといって、マリリスのように居場所がない為に同行しているわけでもない。
にも関わらず、言葉一つでここまでガチ泣きされてしまうと流石に怖い。
何が目的なんだろう。まさか本当にエレノアに続く第二のストーカーなのではと本気で疑い始めた時。カイトの肩に手が置かれた。
「カイトさん、もういいじゃん」
同居人の少年が、何かを諦めたような表情で語りかける。
「これ以上は流石に不毛だと俺は思うよ」
「……まだ三つだけだ」
「同じだよ。だって今までやったの全部、アンタが出来るとは思えないし」
ぐうの音も出ないとは、まさにこの事だった。
百歩譲ってゴリラのモノマネやずっと制止し続けるのはいい。それくらいなら、多分できる。
しかし最後の号泣ができるか否かと言われれば、首を横に振らざるをえなかった。
神鷹カイト、敗北の瞬間である。
彼はその事実を噛み締めると、イルマへ泣き止むよう命令を出した。
すぐに泣き止むことは無く、徐々に嗚咽が抑え込まれていく。
イルマが完全に泣き止むまでの間、カイトは『なにをやらせてるの君は』と憤るシデンにより、強烈な平手打ちを食らいまくった。
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