第68話 vsメイド昆虫記

 カイトを取り囲む使用人たちが、息を飲む。

 理由は簡単だ。彼の拳を受けて倒れた仲間が、未だに地に伏したまま起き上がった来ないからである。

 僅かながらに呼吸音が聞こえるので、生きている筈ではあるのだが、しかし。

 大樹によって細胞を変化させ、人間の皮膚を遥かに超える強度になり、異形と化して、このダメージ。


「これは、ひとりでどうにかなる相手ではなさそうですね」


 シャウラは思わず苦笑い。

 敵は新人類。それも、かなり手強い部類だ。

 発言から察するに、勇者ともやりあった経験があるのだろう。


「怪我したくないなら、大人しく待っていろ。昆虫女の大群とやりあう趣味はない」

「まあまあ、そこはなんとか」


 しかし、解せない。

 彼がその気になれば、少年を連れてここを突っ走ることも出来なくはない筈だ。

 というか、少年の方は素直に非難をさせておいた方がいい気がする。

 

「彼を高く評価しているのですね」

「……そうだな」

「行かせてもいいのですか?」

「大丈夫だろ」


 特に悩むこともなく、カイトは答える。


「アイツは強いよ。多分、俺よりも」


 それは腕っ節の話ではない。

 シャウラも十分承知だ。


「人間は弱い」


 つい最近、カイトはそれを思い知った。

 だがその弱さを受け入れたのは、間違いなくあの少年だったのだ。

 弱さは恥ではない。

 彼はそれを、カイトに教えた。


「俺は最強の人間になる為に鍛え抜かれた」


 それは義務だった。

 同時に、彼に課されたすべてだ。


「だが、俺は弱い。アイツも、弱い」


 しかし自分は弱い。敵を倒すことはできても、完全な強者でないことを思い知った。

 繋がりを断ったはずの部下との戦いも、友人との再会も。

 あの同居人がいなかったら、きっと今ほど上手くはいっていないだろう。


 自分とスバル少年を比べたとして、だ。

 果たしてどちらが優秀なのかと疑問づけたら、答えは出ないだろう。

 神鷹カイトは蛍石スバルにはできないことができる。

 逆もまた然りだ。

 だからこそ、弱い自分と同列になって彼も弱い。


 だが、それは恥ではない。

 彼がそれを自覚しているのを知っているし、弱いなりになんとかしようと必死になっているのも知っている。

 

「弱いから、人は強くなろうとする。周りに助けを求められる」


 力を求めて大樹のエネルギーを注入することを選んだ彼女たちがいい例だろう。

 客観的に見ておぞましい姿になっても、その道を選んだのだ。

 誰かが醜いと叫んだところで、彼女たちは己の姿を誉に感じるだろう。

 それを咎めることはしないし、咎めようと思わない。


「アイツは俺に出来ないことが出来る。だから、それが出来ればいい」


 カイトは静かに構える。

 伸ばした爪をひっこめ、ただ拳を向けるだけの簡単な構え。


「そして俺は、アイツに出来ないことをするよ」


 言い終えたと同時。

 使用人たちの視界から、彼の姿が消えた。

 代わりに、凄まじいまでの風圧がメイドたちを襲う。


「全員、警戒を怠るな!」


 シャウラが叫ぶ。

 だがその掛け声に応えることなく、何人かのメイドが上空に吹っ飛ばされる。


「なっ――――!?」


 見れば、メイドたちの中心地にカイトは居た。

 しかも彼の踏込により、大樹の床に穴が出来上がっている。

 シャウラは理解する。あまりに強力な踏込の余波で、先程まであの場にいたメイドたちが吹っ飛ばされてしまったのを、だ。

 

 踏込だけで壁に叩きつけられたメイドたちが、それぞれ苦悶の表情を浮かばせながらカイトを睨む。


「意外と頑丈だな」


 先程の一撃で気絶させれると踏んでいたのだろう。

 少々困ったような表情で、カイトは使用人たちを見渡した。


「いいだろう。少しだけその気になる」


 カイトが睨みつける。

 そして挑発するようにして、彼は左手をちょいちょい、と手招きした。


「きな」


 小さく呟かれた一言に、何人かのメイドたちが青筋を立てる。

 だが、すぐに突撃するほど単細胞ではない。各々の武器を形成し、威嚇するようにしてカイトに見せつける。


 ある者はカマキリのような鎌であった。

 また、ある者はクワガタのような大きなハサミを両肩から突き出している。ある者に至っては、蛇のように長い舌をチラつかせている。そこから垂れる涎は床に付着したと同時、強烈な刺激臭と共に湯気が浮かぶ。


 その光景を見たカイトは、思わず苦笑する。


「動物園でも経営した方が天職じゃないか?」


 その一言が、号令となった。

 使用人たちが一斉にカイト目掛けて襲い掛かる。


「もしくは、ファーブルメイド昆虫記とでも命名するか?」


 振り上げられたカマキリメイドの鎌を回避し、彼女の足下へと潜りこむ。

 反射的にスカートを抑えるが、カイトは彼女の下着には目もくれずに背後に回り込み、肘打ちを食らわせた。カマキリメイドの身体がくの字に曲がり、倒れ込む。

 

 そうしている間にも、次の使用人が襲い掛かってくる。

 ハサミを展開したクワガタメイドと、口元がストローのような長い針に変化しているモスキートメイドだ。

 だが彼女たちの武器をカイトは躊躇うことなくキャッチ。


「え!?」

「きゃっ!」


 クワガタメイドとモスキートメイドが、各々驚愕のリアクションを取る。

 それぞれの武器を片手で捕まえたカイトは平然とした表情で、腕に力を加えた。右手で捉えられたクワガタのハサミが、木端微塵に砕け散る。


「ヘレン!」

「余所見してる余裕はないぞ」


 仲間の悲鳴に気を取られたモスキートメイドが、顎に蹴りを受ける。

 綺麗な放物線を描きつつ、蚊使用人は床に叩きつけられた。


「自分の身は自分で守りなさい! 他の者へと攻撃を恐れず、全員でかかるのです!」


 シャウラが号令を出す。

 数人程度で襲い掛かっても彼に勝てないと踏んだのだろう。

 残りの数十人に対し、一斉攻撃を提案する。


「恐れるな! 我らは力を得た!」


 その言葉が、次の襲撃の合図となった。

 雪崩の如く襲い掛かるファーブルメイド昆虫記集団が、各々の細胞を活性化させて力の限り突撃する。


「力を得てゲテモノになるだけか」


 しかし、カイトは一蹴する。

 文字通り、十数人がかりの突進を物ともせず、蹴りの一撃で全員を吹っ飛ばしてみせたのだ。

 その余波は、直接受けていない筈のシャウラにも及ぶ。


「はぐっ!」


 びりびりと空気の振動が伝わってくる。

 直接蹴られた訳ではないにせよ、全身に衝撃が重くのしかかった。踏ん張らないと、どこか遠くへ飛ばされてしまうような錯覚さえ覚える。


「はぁ……はぁ……!?」


 シャウラが受けたダメージは、この程度だ。

 客観的に内容だけ挙げるなら、外傷を受けたと報告するほどでもない。

 なにせ、敵が行ったのはただのキックなのだ。下から上に向けて蹴り上げるだけの、簡単な動作。

 だが、それならばなぜ。自分はこんなにも汗を流し、狼狽しているのだろう。


「どうした。何人か息があがってるぞ。まだやりあってない奴もいるだろう」


 その通りだ。

 事実、シャウラは直接キックを受けたわけではない。

 だが他の使用人も含め、『変化』した者の全員が彼に圧倒されてしまった。空気に飲まれたと、そう表現していいのかもしれない。


「これで根をあげるなら、お前らじゃ俺を壊せない」


 自信に満ちた表情でそう宣告する彼に対して、言い返せない。

 この瞬間、勝敗が決したことをシャウラは悟った。

 大樹の力を注入されても、鍛え抜かれた新人類に勝つことすらできなかったという事実が、使用人たちの肩に重く圧し掛かる。

 その重圧に押し潰されるようにして、彼女たちは崩れ落ちた。


 一方でカイトは考える。

 この程度なのか。

 アーガスやゴルドーが大層な自信を持って新人類王国への反旗の切り札とした物は、予想よりも呆気なく片付いてしまった。

 確かに外見だけでいえば立派に怪物をやっている。だが注入されたばかりの兵でこの程度なら、能力を洗練してきた新人類を相手に戦えないのではないだろうか。その体現者のカイトでこの有様なのだ。他の戦士と戦って、彼女たちが勝ち残る映像が思い浮かばない。


 では、彼らのあの自信はなんなのだろう。

 確実に勝てるとでも言わんばかりに住民を盛り上げた彼らの言葉は、どこに真意があるのか。

 少なくとも、この場で考えるだけでは理解できそうにない。

 カイトはメイドたちを一瞥すると、階段を駆け上って行った。





 アスプル・ダートシルヴィーは長い間、己に存在価値を見出せないでいた。

 相談したことはない。

 言ったところでどうしようもないことだし、評価が変わるわけではないと思ってきたからだ。


 なぜなら、彼の兄は英雄だった。


 偉大なる兄は新人類として生まれ、国の誰よりも強力な戦士として成長していった。

 対して自分は、旧人類として生まれた。兄と比べて特筆すべき点はなく、性格面もどちらかといえばネガティブな部類に入る。

 周囲の人間からの評価は、一目瞭然だった。

 

 そんなアスプルに、兄と変わらず接してきた人間がいる。

 『バトラー』と呼ばれる老執事だ。幼い頃からダートシルヴィーの家に仕えてきた彼は、当主の息子であるアスプルと多く触れあってきた。

 ある時、彼はアスプルの態度に疑問を抱く。

 真顔で机を凝視続ける幼い少年に向けて、執事は尋ねた。

 

「アスプル様。なにをお悩みになっておられるのでしょうか」

「バトラー。人間はなぜ生まれるんだろう」


 アスプル・ダートシルヴィー、8歳。

 早すぎる哲学の時間だった。


「人間は不平等だ。僕がどんなに頑張っても、兄さんのように花は咲かない。買ってもらったサボテンも僕が水をあげて咲かないのに、兄さんが少し近づくだけで花が咲く」


 強いて平等な点をあげるなら、それは一日に過ごす時間が24時間だということだろう。

 それ以外は全て不平等だと思っている。

 今でもこの考えは変わっていない。


「僕は兄さんより凄くなれない。兄さんがいれば、この国は安泰だ」


 だが、それならば。

 

「僕はなぜ、生まれてきたんだ」


 アスプルの肩が震える。

 目尻に涙を浮かべ、徐々に表情を崩していくその姿はバトラーも初めて見るものであった。

 彼は年頃の少年にしては、要求しない上に無表情だったのだ。


「人間はいつか死ぬ。遅くても、早くても。男性でも女性でも。父上でも、兄さんでも、僕もいずれ死ぬ」


 アスプルにはなにもない。

 誇れる特技がなければ、才能があったわけでもない。

 国が誇る芸術もあくまで嗜むレベルだし、文武に至ってはご察しだ。

 彼はからっぽだった。


「なにもないなら、どうして僕は生まれてきたんだろう。いずれ死ぬだけの人生で、空っぽのまま生きていくのは……僕には耐えられない」


 俯くアスプルに、バトラーは優しく肩を叩いてあげた。

 後にも先にも、アスプルが涙を見せたのはこのバトラーだけである。


「アスプル様、例え今はからっぽでも、いつか意味が芽生える時が来ます」

「……僕に、来るのかな」

「待つのではありません。掴むのです」


 バトラーが握り拳を見せる。

 その手は、彼はこれまで見てきたどんな掌よりも大きく見えた。


「貴方の仰る通り、人間はいつか死ぬ。私もいつの日か、皆様とお別れする日が来るでしょう。私も旧人類。このご時世では決して恵まれているわけではありませぬ。使用人としての階級も低いままですしな」


 しかし、


「それでも私は墓に入る時、笑っていることでしょう」

「なぜ?」

「今は無理にわかろうとしないでも宜しい。ですが貴方が大人になる時にはきっと、気付いていると思います」


 願わくば、それまでの間は生きていたいものです。

 バトラーは笑いながらいった。


 そして数年後、彼は帰らぬ人になった。

 新人類軍の侵攻の際、住民の避難を率先して指揮している最中、瓦礫の下敷きになってしまったのだという。

 大勢の使用人と、主人に見守られながら彼の葬儀は行われた。


 だが、アスプルは思う。

 彼は果たして笑っているのだろうか、と。


 決して恵まれたとはいえない人生だった。

 彼にも、もっとやりたいことが沢山あった筈だ。

 それも果たすことが出来ず、中途半端に逝ってしまった。

 

 自分もいずれ、彼のように中途半端なまま死ぬのだろうか。

 なにも残せず。からっぽのまま。

 それはとても悲しくて、虚しいと思う。

 ただ死ぬのを待つだけの人生なんて、いつか来る死に怯えるだけじゃないか。


 そんな疑問を抱いた、ある日のことだった。

 アスプルが屋敷の整理を手伝った際、倉庫の中からバトラーの遺品をみつけたのだ。

 とはいえ、彼は身内がいるわけでもない。

 悲しいことに、天涯孤独の身だった。もしかすると、陰ながら自分を息子のように思っていたのかもしれない。

 兄、アーガスしか見てこなかった父に比べて、彼と話した時間は限りなく長いと言い切る自信があった。


 だからだろう。

 そんな第二の父の為に、贈り物を届けてやろうと思った。

 アスプルは夜中にこっそりと屋敷から出ていき、バトラーの墓地を掘り返した。彼の棺の中に、遺品を収める為だ。

 

 ところが、である。


 掘り起こしてみると、そこには棺が存在せず、ただ巨大な穴ができあがっていただけだった。

 洞窟のように深い穴を発見したアスプルは戸惑いながらも、単身その穴へと入り込んだ。どうせ自分の身になにがあっても、兄がいる。そんな気持ちから、彼は己の犠牲を恐れずに探索を開始したのである。


 だが、その探索も僅か1時間足らずで終わった。

 なぜなら、穴から続く巨大な空洞の奥底には彼の想像を超える物が眠っていたからだ。


「お、おお……!」


 その巨体に、思わず腰を抜かしてしまった。

 持ってきた懐中電灯では逆さまにつられている頭部しか灯すことは出来なかったが、それだけでも十分すぎるインパクトがある。

 

 ソイツは、例えるなら巨大な虫だった。

 恐らく幼虫なのだろう。小さい頃、兄に見せてもらったカブトムシ。その幼虫の頭部に似ていた。

 強いて違うところを挙げるなら、周辺に蠢く無数の根が口部と繋がっていた事だろう。

 まるで入院中の時に使う酸素ボンベのようだった。


『……タ』

「ん?」


 眼前の巨大生物の口が、僅かに開く。

 すると信じられないことに、アスプルの耳に何者かの声が聞こえてきた。


『……オナカスイタ』

「なっ……!?」


 それはまごうことなき、未知の生物からのコンタクトだった。

 やたらと甲高く響いてきたそれは、明確に己の意思をアスプルに示してきたのである。


 そして同時に、この日からトラセットによる逆襲と、アスプルにとって『掴み取るべきチャンス』を巡る日々が始まったのだ。

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