第五章 過疎VRMMOの住人

 こんなに死に物狂いで走ったのはいつ振りだろう。無理矢理リレーのアンカーにされた小学五年の運動会以来じゃなかろうか。


 周囲を見回し、地獄の果物ナイフ使いが追って来ていないのを確認した俺は、カジノに辿り着いた訳でもないのに道端で中腰になり、ハァハァと息を切らしていた。というか現実世界じゃないのに、この息切れと疲労感はなんだ。こんなところにリアルさなんかいらないよ!


 いつの間にか日も落ち、辺りは暗くなりかけている。ログアウトが一瞬脳裏を過ぎったが、レオナさんはあんなに必死で俺を逃がしてくれた。今、離脱するのは流石にちょっと失礼な気がする。とにかくカジノでギンジさんに会って話を聞くまでは頑張ろう。それにしてもカジノって何処だ? 結構走ったが、それらしい建物は見当たらなかったように思うが、


 ――って、痛っ!?


 ようやく人心地付いた途端、急に左手が痛み出した。かなり深く切られたらしい。いまだに手の平から血がポタポタと地面にしたたり落ちている。


 うわっ、もう生々しいなあ! だからこんなリアルさ、いらねえってんだよ!


 イライラしつつ、俺は右手でポケットをまさぐった。左のポケットには銀貨が入れてあった。ならば、きっとアレも初期装備として持っている筈だ。


 右ポケットから、ヨモギの葉のような草を取りだして、俺は「よし!」と小さく声を上げた。


 ははっ! やっぱ、あると思った『薬草』! ふぅ、助かった!


 最近のVRMMOで、やり慣れたように、回復アイテムを人差し指でチョンチョンとダブルタッチ。アイテムの効果を発動させて傷を治そうとしたが、薬草はいくらタッチしても、光り輝いたり、ドット化したりして、効果を発動する気配はない。


 それでもタッチし続けると、つつき過ぎたのか、薬草は何だかシンナリとしおれてきた……。


 そ、そんな! まさか、コレを使うのも現実みたいにするの? えっ、何? 薬草ってどうやって使うの? 貼るの? それとも煎じて飲むの? い、一体どうすれば? 


 その間にも、血はポタポタポタポタ。痛みもジンジンジンジン。


「使い方、分かんねえ!! それから血も止まんねえ!!」


 焦りと腹立ちが混ざり合い、そう叫ぶと、


「ひっひっひっひ」


 背後から男の下卑た笑い声がした。


 や、ヤバっ! 追われてる身なのに大声出しちまった!


 ゆっくり振り返ると、髪の毛はボサボサ、着ている服はボロボロ、片手には酒瓶、顔は赤い――いかにも酔っぱらいなNPCがいた。猫背の酔っぱらいは淀んだ目で俺を見上げると、


「手から血ィ出してやがる。オメー、おもしれーNPCだな。初めて見た」


 そう言って、また笑った。


「いや俺、NPCじゃないし!!」


 ツッコんだ後、すぐに気付く。リアルを売り物にしたこのVRゲームでNPCがプレイヤーに対して、そんな冗談を言ってくる筈がない。ってことは、つまり、この人……。


「あ、アナタがひょっとして、もしかすると……ギンジさん?」


 酔っぱらいは眉間にシワを寄せて俺を睨んだ。


「あぁー? このNPC、なんで俺の名前知ってんだあ?」


 よ、よかった! カマをかけたら当たった! カジノに行く前にギンジさんに会えるとは、ツイてるな俺!


「えーと、だから俺、NPCじゃないんですって! 俺もリアルプレイヤーなんですよ!」


「そうかあ。お前、プレイヤーなのかあ」


「はい! レオナさんに言われてギンジさんのこと、探してたんです! このゲームのこと、アドバイスして欲しくて! ホント、ずいぶん詰んじゃって!」


 ギンジさんはウンウンと頷いていた。


「そうか、そうか。見たところ若けぇのに、こんな古くせえ過疎ゲーやって……ホントに人生詰んでんなあ」


「!? 詰んでるのは俺の人生じゃなくてゲームですよ!?」


 ギンジさんは俺の訴えを無視し、ただ俺の手をジッと見詰めていた。


「ってか、お前よう。薬草とか持ってねえの?」


「あ! 持ってます! でも使い方分かんなくて……」


「そんなのも知らねえのか。貸してみろ」


 ギンジさんは傷口に薬草を押し当て、布で巻いてくれた。ああ、なるほど! 傷口に押し当てて使うのか!


「ありがとうございます! これですぐに治るんですね!」


「そんな訳ねえだろ。今、手当したところだから傷の深さ考えりゃあ二、三日は痛むんじゃねえか」


 二、三日も掛かるんかい! 普通の傷の手当てかよ! 薬草の意味ねえな!


 このゲームの不条理さを再認識していると、ギンジさんは、ヨタヨタと歩き出した。


「此処で話もなんだ。付いてこい。カジノでも行くべ……」




 ギンジさんの後をしばらく歩くと、屋根の半壊した廃墟のような家が見えてきた。


「え。こ、此処がカジノ?」


 思わずそう口走ってしまう。訝しげにその家を眺めると、傍らに木の立て看板が。汚い字で確かに『CASINO』と書かれている。うーん。これは一人だと気付かなかったな。道端でギンジさんに会えてマジでよかった。


 立て付けの悪い木の扉を開くと、六畳くらいの狭い部屋。だが、その隅っこに地下へと通じる階段があった。なるほど。地下にカジノがあるのか。なんだか非合法な感じだ。


 カジノに沢山の人がいるのを予想し、俺はフードを目深に被って、地下への階段を下りた。




……テッドの町のカジノは俺の想像していたカジノとは全く違った。だだっ広いが華やかさがまるでない。バニーガールがいないのはもちろん、電気がなく、明かりといえばロウソクやランプがあるだけなので、かなり薄暗い。カジノというよりは賭博場といった感じ。薄暗い地下室で十数人の男があぐらをかいてカードゲームなどに興じていた。


 ふと、レオナさんのことが頭を過ぎる。


 それにしても遅いな。カジノの場所は知ってる筈なのに。ま、まさかアリシアにやられて? ……ってコレ、ゲームだもんな。そんなに心配しなくてもいいか。


 俺は俺の前を歩くギンジさんに話かける。


「ギャンブル、好きなんですね」


「つーより俺はただ一人が嫌いなんだ。騒がしいところが好きなだけだ」


 そしてギンジさんは四人がけの空いたテーブルに座った。きしむ椅子に腰掛けると、ギンジさんは、どこから取り出したのか、グラスを差し出し、酒瓶から茶色の液体を注いでくれた。


「まぁ飲めよ」


「で、でも俺、まだ未成年で、」


「ひっひっひ。コーラに近い味覚だ。酒じゃあねえよ」


 そ、そうなんだ。えっ、じゃあ、アンタ、なんでコーラで酔っぱらってんの? へ、変な人!


「それで俺に話って何だ?」


「え、と。ギンジさんも昔、マーチンを殺してしまったとか」


「マーチン? 誰だそりゃあ?」


「えっ? 親友のNPCですよ? ホラ、最初いきなり出てくる……」


「ああ。親友はプレイヤーによって名前が違うんだ。俺が殺ったのはエンリケよ」


「そうですか。そ、それで実は俺も親友を、その、こ、殺してしまいましてですね、も、もちろん事故で、ですけども、」


「事故か。ひひっ。よく言うわな」


「ほ、ホントに殺す気は、」


 すると、急に。ギンジさんは明後日の方向を睨んだ。


「ったく。おいおい。今、人と喋ってんだろう?」


「……は?」


 俺は意味が分からない。でもギンジさんは「ひっひっひ」と笑いながら、何もない空間に向けて首を横に振っている。 


「だからよう。その質問の答えは分かんねえって言ってんだろう。あの日からずうーーーっと、よ」


……そして俺は気付く。俺とギンジさんしかいない筈のテーブルには、飲み物を入れたグラスが『四つ』置かれていた。


 背筋がゾッとした。


 な、何コレ……何か怖いな、この人。ま、まぁこんな過疎ゲーにいまだに常駐してる人だから変わってるのは間違いないんだろうけど。


 ギンジさんのことを『この人、絶対リアルじゃニートだな』なんて思っていると、ようやく俺に視線を向けた。


「ああ、悪い。十年間ずっと現れやがるもんでな。それも毎回ランダムな時間に」


「な、何がですか?」


「オメーもすぐに分かるさ。すぐに、な。ひっひっひっひ」


 不気味に笑うと、ギンジさんはグラスを一気に傾け、空にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る