とけい

前半戦)


『紀美子を起こす時間じゃないか? 目覚ましは鳴ったのか?』


 荻田和男は、トースターから取り出したばかりのパンにバターを塗り付けながら訊ねた。


『昨日の夜に紀美子と話したわ。「目覚まし時計が有るから心配しないで」と言われたのよ。難しい年頃だし、しつこいのは駄目よ』


妻の祐子は言ってため息に似た小さな呼吸の後、砂糖抜きの紅茶を啜る。


和男は、その甘い香りに小さな苛立ちを感じて、腕に巻いた苛立ち緩和装置付きの朝食時計の硝子面を、指先でコリコリと掻いた。


『紀美子は、もう18歳に成ってるんだぞ。 有田式目覚まし時計なんかじゃ足りないんじゃないのか? って事だ』


和男の尖った声色に、祐子は本格的な溜息で答える。


『何だよ? その溜息は? 意見が有るならハッキリ言え!』


和男は、祐子の態度に更に語気を強めてから後悔した。正論では、祐子に勝てない事は解りきっている。


『何だよじゃ有りませんよ。有田式が、主春期の女の子の目覚めに最適なのは、有名な話しよ? アナタが、町田型の目覚ましが絶対だ。 とか、頑固だったから紀美子はずっと有田式を我慢して来たのよ。 少しは、娘の事を考えたら?』


確かに、心地よい目覚ましに関して有田式を超える物は無いだろうと思う。


だが、有田式の優しい音色や見た目は、何かが足りないのも事実だ。


所詮、有田式は子供騙しの玩具に過ぎないとさえ和男には思えるのだ。


二人に、自分の趣味だと言われれば何も言えないが、親が子供に提案しているのだ。


何が悪い。


強要では無く、提案なのだから何も悪くは無い。


和男は深呼吸をしてから祐子を見詰めた。


『有田式じゃ……』


言い掛けた時に、出勤時間を知らせる通勤時計の、けたたましいアラーム音が室内に響いたので、和男は小さな舌打ちを残し仕方無く腰掛けていた椅子から立ち上がり寝室に向かった。


今日の会議は外せない。


長年暖めていた呪術式飛び出す時計の発売が決まるかどうかは今日の会議次第だ。


和男は急いで身なりを整えると鏡の前に立ち、会議時計を巻いた左腕を染々見詰めた。


『ニタニ……やはり……高いだけの事はある』


呟きながら文字盤に刻印されたニタニの文字を更に見詰める。


美しくしく無駄の無いフォルムに大人の味わいを感じる。


大衆化した量産モデルには無い無骨な手造り感が良い。


何故、妻や子供は見た目ばかりに拘るのか。


本物を身に着ける悦びを知らないのだ。


しかし、それは強要して身に付けるものでも無い。


和男は諦めて壁に掛けた出勤前時計を見て、更に舌打ちすると玄関に向かった。





後半戦)


『この時代に、呪術なんて古臭いと思いますよ』


隣に座る新井田源次郎が得意気に言うのを、憎々しい面持ちで和男は見詰めた。


『やっぱり、部長の推してるデジタル時計が良いと思うけどな』


和男を無視して、新井田が続けた。


その発言に会議室に集まった全員の視線が、テーブル中央に設置してある1メートル角のデジタル時計に集中する。


薄緑に発光する文字が、音も無く時を刻む。


和男は、ため息を吐いてテーブルを叩いた。


『部長! 確かに、部長のデジタル時計は素晴らしいと思いますよ。 思いますが、こんな時代だからこそ本物を皆が欲しがるとは思いませんか?』


熱が入り、テーブルを何度も叩く和男を、机上炸裂音妨害機能付きの腕時計で、遮りながら室内の全員が睨む。


『君! 冷静に話をしなさい。 君が興奮すれば皆が困るだろ?』


和男の怒鳴り声より更に増した声で、デジタル時計の発案者である新小岩部長が叫んだ。



そうだ!



そうだ!


君が興奮すれば困るだろ!


落ち着きたまえ!


次々に声が続く。


和男は、その声を無視して再度溜息を吐くと右手と左手を顔の前で合わせた。



『あ――あ! あ――あ! あ―――あ!』


和男は、苛立ちを隠そうともせずに叫んだ。


合わせた手を上下に大きく揺すりながら叫んだ。



叫び続けた。


『ほら見ろ! 荻田式和男時計は、良く働くが壊れやすいと言ったじゃないか!』


新小岩部長が言うと、申し訳無さそうに、隣に座っていた新井田が和男の後頭部にある開閉式起動スイッチを切る。


『やっぱり、ニタ二製じゃ無いと使えないな……』


和男は、新井田のその声を訊きながら静かに目を閉じた。



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