一枚綴りのメモ用紙

 三角形が幾つも連なって円形を形作っているその黒い影は、人の形をした何かを逆さ吊りにして浮いていた。方やベッドの下から伸びる手招きする右腕。どちらも絵的にちょっと怖い。でもまだベッドの手招き右腕の方がましか。


 有花はベッドから飛び降りて日差彦の手招きする右手を掴み、ぐいっと引っ張るようにしてベッドの下に細い身体を滑り込ませた。


「見つかったかな?」


 日差彦が有花の腕を引き寄せて言った。ベッド下にうつ伏せのままこっそり外の様子を窺う。ドローンの飛行音はまだ遠いが、確実にこちらに近付いてきていた。


「誰によ」


「空飛ぶジョイだよ。ドローンに何か黒いのぶら下がってたろ?」


 確かに有花は大型ドローンに逆さ吊りにされた人の上半身のシルエットを見た。両腕をだらりとぶら下げてゆらゆら揺れる黒い影。


「あれがジョイちゃん?」


 有花は息を殺して小声で囁いた。


「うん。接客ロボット達のボス的な奴だ。普通と形が違う機体が四機だけいるって話だ」


「本で読んだ事あるけど、あれがそうなの?」


「たぶんそうだ。俺も実物は初めてだよ」


「うーん、見たいような、見たくないような」


 ジョイとトコの事なら何でも知ってるつもりのロボットマニアの有花でも知らない四体のボス機。噂通りに実在するのなら、是非とも見てみたい。触ってみたい。対話してみたい。分解してみたい。


 しかし今はまずいか。日差彦が不審買い物客としてマークされているかも知れない。そんな状況でボス機との接触は避けたい。あっという間に接客応対ロボット群に包囲されて、攻勢接客の集中砲火を食らうだろう。また無駄なお買い物をしてしまう。


「ちょっとだけ見てもいい?」


 やっぱり見たいかも。


「やめてくれると助かるけど」


 日差彦がうつ伏せのままベッド下の周囲を見回し、虫が囁くような小声で言った。大型ドローンが発する重い飛行音はぐんぐん迫ってきている。


「サーチアンドデストロイの量産型トコ、ハックアンドスラッシュの隊長機ジョイ。あいつらの接客と違って、四体のボス機は特別な任務を遂行してるって噂だけど……。あれ、なんか、変だな」


 日差彦は不意にそわそわとしだした。腹這いの姿勢のまま右を向き左を向き、そして足元を、ベッド下の後方を振り返った。


「今度は何よ」


「寝床の住人達がいない」


 また新たなホームセンター用語が出てきたわ、と有花はホームセンターの床材にぐったりと突っ伏してしまった。


「寝床の住人って誰よ」


「文字通り、寝床の住人だよ」


 日差彦はどこか得意気に小さな声で語り始めた。


「ベッド下ってさ、引き出し収納タイプの奴は下に潜れないけど、こういう脚のしっかりしたスペースが空いてる奴はいい寝床になるんだ」


「ベッドの下にさらに寝床かいっ」


「うん。寝袋一つあれば充分快適な隠れ家になる。脚がバランスボールのトコはしゃがめないからベッド下を覗き込めないし、監視ドローンは床上三十センチなんて低空飛行出来ないからな」


「見つからなければいいって訳ね」


 接客応対ロボットの鋭敏なセンサーの前ではいささか無謀な隠れ家ではあるが、なるほど、観測データ上では発見されていても、接客応対ロボットやドローンのカメラアイには姿が映らないので攻撃的接客行動に晒される事もない。


「カラーボックスとか工作してベッド下収納を偽装すればお掃除ロボットもスルーできる。ほぼ完璧な隠し寝床なのさ」


「ベッドを見に来たお客さんが寝心地を確かめてる下で、ホームセンター生活者がひっそりと息を潜めてるのね」


「意外と気付かれないらしいよ」


「寝たっきりってのが気になるけど、隠し部屋としては悪くないかも」


 有花は涅槃仏のように片肘をついて横向きになり、すぐ近くにある日差彦の横顔に向き直った。小柄な有花が横向きに寝っ転がってもまだベッド枠まで空間は余っている。確かに、ベッド下の隠し部屋はなかなか居心地が良さそうだ。


「で、その寝床の住人がいないってのが何か問題でも?」


「ヤバイ問題って訳じゃあないけど、何か変だ。目の届く範囲に誰も隠れていないんだ。普段なら誰かしらが寝てる売り場なのに」


 「今朝の緊急売り場区画変動であぶり出されたんじゃない?」


「そうだといいけど、うわっ」


 日差彦が横たわる有花の向こう側を見て目を剥いて、慌てて口を塞いだ。


 黒塗りの球体関節をしなやかに軋ませて、まるで黒色のドレスグローブを身に付けた淑女のような細い腕が有花の身体のすぐ側に降り立った。甲虫の腹を思わせる球体関節だらけの手のひらが床材を撫でて、そしてしっかりと踏みしめて、もう一本の機械の腕がまさしく歩みを進める人形のようにゆっくりとベッド枠を掴んだ。


 接客応対ロボットの上半身を逆さ吊りにした黒い大型ドローンだ。いつの間にか静音モードで日差彦と有花が隠れるベッドへ忍び寄っていたのだ。


 やっぱりすでに見つかっていたのか。もう手遅れだと知りながらも、有花も小さな手で自分の口を覆って息を潜めた。


 逆さまの水平線から禍々しい黒い太陽が昇るように、少しずつ少しずつ、ジョイ型の黒いフェイスマスクがベッド下を覗く。そして有花の丸眼鏡にジョイの漆黒の顔面に穿たれた二つの白い光点が映り込んだ。


『タガヒサヒコ様。見つけました』


 逆さまの黒いジョイが言った。


「あ、はい」


 と、返すしかない日差彦。


『ツァイ・メイユゥ様から商品のご案内があります。どうぞ』


「メイユゥから?」


 黒いジョイはフェイスマスクの口のパーツを少しスライドさせて開き、まるで舌を突き出すように一枚の紙片を差し出してきた。日差彦は有花越しにその紙片を摘み取った。何やら細かい漢字がびっしりと書き込まれている。


『確かにお渡ししました』


「あ、はい」


 やはり、そう返すしかない日差彦。


「ね、何それ?」


 自分の仕事を終えて、ベッドから離れようとした逆さ吊りの黒いジョイを有花が呼び止めた。せっかく強制接客なしで立ち去ってくれそうな気配なのに、と日差彦は内心やきもきする。


『当店ではお探しの商品を見つけ出せないでいるお客様に対して、私どもがお客様に成り代わって目的の商品をお探しするお買い物代行サービスを提供しております』


「それ知らない。面白いサービスね」


『しかし、お客様は自分で商品を探す方が楽しいから、とあまりご好評をいただけておりません。残念です』


「そりゃそうよ」


 何を仲良く話し込んでいるんだよ、と日差彦のやきもき度合いが増す。


『今お渡し致しました卓上メモ台座替え用紙一枚綴りは、メモ用紙売り場に埋もれて大変見つけにくい位置にありまして、お求めのタガヒサヒコ様へ、ツァイ・メイユゥ様からの商品譲渡依頼が出ておりました。お支払いはツァイ・メイユゥ様がすでに済ませています』


「そのサービスが、あなたの、その特別機であるあなたのお仕事?」


『いいえ、私の仕事と決まっている訳ではありません。どの巡回ドローンでも承っております。私がたまたまツァイ・メイユゥ様の近くにおりました』


 もういいから早くどっか行ってくれ、と日差彦のやきもき具合ははち切れそうになる。


『では、私は通常業務に戻ります。引き続きお買い物をお楽しみください』


 逆さ吊りの黒いジョイはフェイスマスクに笑顔を浮かばせて、ひょいとベッド下から頭を消した。よし、日差彦は心の中で小さくガッツポーズ。


『ところで』


 黒いジョイ、颯爽と再登場。日差彦のガッツポーズは取り消し。


『お二人はここで何をなさっていたのですか?』


 有花と日差彦は見つめ合う。うわ、どうする? ほら、どうするんだよ? 逆さ吊りの黒いジョイはベッド枠をがしっと鷲掴みして、フェイスマスクを鋭い角度で傾けて有花に迫る。


「あ、あのね、私達の部屋にこのベッドを置いたら、いざという時にベッド下に隠れられるかって確かめてたの。その、隠れ具合を」


『なるほど、それは大事ですね。では、存分にお隠れ具合を確かめてくださいね。ご購入の品が決まりましたら、お声掛けください』


 ひとしきり対話を終えると、黒色の接客応対ロボットはやって来た時と同じように静かに飛び去っていった。後には遠くに響く重低音の飛行ノイズだけが残った。


「隠れ具合って、何?」


「ごめんなさい」

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