5.竜

 夜半。暗い静かな泉のほとり。下草の青い香りがたちこめている。

 狼と竜がそこに対峙していた。

 竜は疲れていた。狼との話し合いは、いつも平行線なのだ。彼女は事情を考慮することも、歩み寄ることも一切ない。ただ、森のことだけを考えている。それが人の犠牲の上であっても。

「――あの若者も村から奪ってきたのであろう。哀れな」

「哀れ、ですって。笑わせるわ。いい、森の平安を保つことが何より不可欠なの。私は貴方がやらない汚れ仕事を被っているのよ。感謝されこそすれ、非難される覚えはないわ!」

 狼は噛みついた。竜は首を深く落とす。

「貴方、そういえばあの娘と上手くやっているの」

 その口調に若干の下卑た臭いを感じながら、竜は考える。

 竜は首を持ち上げて狼をまっすぐにとらえた。

「狼よ。わしはもう潮時だと思っておる」

「な」

 狼は絶句した。

「わしは……あの娘の命を奪ってまで、子を残したいとは思わん」

「それは仕方のないことよ。どんな丈夫な人間でも、竜の子供を身ごもったらその体は砕ける。それは尊い犠牲よ。あなただってそうやって生まれてきたじゃない。宿主を食らいつくしながらさあ」

 それに、と狼は続ける。

「それにあの娘は子供を産めないのよ。たとえ竜でも子供を宿すことが出来るのなら、本望じゃない?」

 竜は静かに首を振って、拒否を示した。彼女のまくしたてるような早口が煩わしい。

 狼の言う事は残酷な事実であった。だが、正論でもあった。竜は他の種族に寄生しながら生を受ける。他の種でも寄生は可能だが、人間が一番成長がよく、身体も大きくなる。以来人間を好んで寄生するようになったのだ。自らもそうやって生を受けてきた。そして、彼の寿命はそろそろ終わりを告げるだろう、ということもうすうす気づいていた。次代の子を儲けなければいけないということも。

 だが、竜はそれにかすかな疑問を抱いていたのだ。狼に圧されぬよう、静かに静かに言葉をつむぎだす。

「彼らのような犠牲を出してまで、森の平穏を保つことは、本当に必要なのだろうか」

 狼は口の端をゆがめた。笑っているようにも、怒りに震えているようにも見えた。

「……ようやくわかったわ。何をのんびりしているのかと思ったら。あの娘を引き取ったのはカモフラージュだったのね。私を欺くための」

 狼はまくしたてた。

「彼女に意味のない仕事をさせて! ただ飼いならして! それをともども寿命が尽きるまで続けるつもりなの? 馬鹿げているわ」

 竜は口を閉ざす。やはり、狼に舌戦でかなうわけがないのだ。

「今更止めることなんて出来やしないわ。貴方だってわかっているでしょう。混沌なのよ。外の世界から混沌が押し寄せてきて、私たちの安寧な住処が消えてしまうの。この場所を私たちが守らなければならないということを、貴方だって知っているでしょうに」

「……知っている」

 そう答えながらも、竜の頭からは渦巻く疑問が消えなかった。

 狼は知らないのだ。娘の寝顔はいつも苦悶に満ちていることを。竜のねぐらにやってきてから、彼女が一日たりとも安らかな寝顔をしているのを見たことがなかった。

 この世に生を受けてから、時を経て、彼らの悲しみを何度も見てきた。その犠牲の上に立って、自分が生きながらえる資格があるのだろうか。竜には、それがわからなかった。

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