第十二話 中央公園


 磔にされたロッコの体力は限界が近かった。

 意識は朦朧とするが、引き千切れそうな手首の痛みと、おぼつかない足元への不安感が睡眠を妨げている。


 このままでは明日の公開処刑を迎えるまでもなく死んでしまうが、オーク達にとってそれは問題ではなかった。

 例え死んでしまっても、それが外部に漏れなければ良い。


 公開処刑はあくまで囮、全ては野良達を迎え撃つ為の作戦なのだ。


 中央公園の敷地は数区画程もあり広大だ。煌々と松明を張り巡らせ、三千を超える兵士たちが待機していた。

 それは二個大隊程の規模であり、国家間での戦争に相当する数である。


 処刑用の仮設ステージの周囲は見晴らしがよく、例え野良達が総出で現れても即座に物量による制圧を行える手筈になっている。


 万全の警備網を突破して公園の最奥に辿り着くまでに、数百から数千の兵士との遭遇は避けられない。

 広い公園にビッシリと配備された兵士達を掻い潜って、ステージ前まで辿り着けることなど有り得はしない。


 オーク達は愚かにも、野良達が自分たちの作戦に掛かり、ロッコ救出の為に動き出したと信じ込んでいた。


 大規模な爆発や多方での火災など陽動の為に色々とやっているが、それはこちらの戦力分散を狙ってのことで、本隊が中央公園に現れると信じて疑わなかった。


 相手はゲリラ戦法を取らなくてはならない少人数。

 こちらは潤沢な戦力が割り振られていて、持ち場を担当していれば事足りる。


 敵の本隊は必ず中央公園を目指して来る。それをこの主力部隊で叩き潰すのだ。


 さあ、薄汚い野良共よ。下等な貴様らの下らない同族意識など全てお見通しだ。

 よくも好き勝手やってくれていたな。今夜こそ、根絶やしにしてやるぞ。


 そう考えているオーク達の間を掻い潜って、ステージへと歩み寄っていく姿があった。



 オークの目論見は根本から間違っていた。


 まず、地上の二足羊を一部を除き野良達はすでに同胞とみなしてはいないということ。

 彼らは中央公園に現れる必要はなく、結果オーク側は主戦力を戦場から遠ざけてしまっていた。


 しかしそれ自体には何の問題も無い。

 最強部隊が間抜けにも職務を放棄している間に、野良達は勝手に力尽きて今夜根絶される。

 彼らの目論見が外れていようと、正規軍の名誉が損なわれようと、野良達の撲滅という目的自体は今夜の内に果たさるだろう。


 結果が全てと言うのなら、根本から間違っている事すら問題ではなかった。


 最たる問題は一つ、この中央公園で既に異変が生じているという事。



 ステージに歩み寄っているのは人間だった。

 そう人間の男だ。走るでも忍ぶでもなく、ただ一直線に歩を進めている。


 同じ空間に居るというのに、多くの者はその存在を認識すらしていない。


 一匹のオークが無意識に男の進行方向を塞ぐ。

 人間の男は「どいてくれ」とオークを押しのけ、オークは「ああ」と言って道を譲った。

 今まさに、野良の侵入を許しているというのにだ。


「なんだ? 二足羊……」

 その様子を遠巻きに見ていたオークが呟く。呟いただけで、惚けてその姿を見送る。


 何故、オーク達は人間を制圧に掛からないのか、それはその男の有り様があまりにも堂々としており、平常時であると周囲を錯覚させているからだった。

 オーク達の想定している野良との遭遇と状況があまりに剥離している為、理解が間に合っていないのだ。


 敵はそれなりの戦力を整えて来るだろうし、遭遇すれば即戦闘が開始される。そういった先入観による見落としだった。


 一人で只中に登場するとは一頭として想像してはいなかった。

 敵が人質を奪い返しに来た、というよりかは誰かの連れ込んだペットか何かと錯覚していた。



「なんだ、何か変じゃあないか……?」


 遠巻きに見ていた内の一頭が、違和感を覚え始める。


「……お、おいっ!」

 そして放置するには流石にステージに近いと感じた豚が呼び止めた。


「なんだお前、何をしている――!?」

 男の前に立ち塞がって、初めてそのオークは気付いたのだ。


 男が歩いて来た先、ここまで百か、二百か、夥しい数の同胞の死体が転がっている。


 その人間は、己の進行を妨げたオークを残らず始末していた。

 其れでいて尚、誰もそれを異常事態だと気づかされなかったのだ。


 音もなく、速やかに、周囲に覚られることなく、周囲を血の海へと変貌させていた。


「――ひぃぃ!?」

 驚きの声が頭を抜けるよりも速く、胴体を半ばまで切断され、その豚も連なる死骸の道の一部になっていた。


 男はたった一本の剣だけを携え、たった一人で現れた。

 その男こそ、彼らの天敵たる野良の中で最大戦力とされる人鬼。


――黒毛のジキだった。



「うわぁぁぁッ!!! 何だこれぇぇぇッ!!!」

 一頭のオークが絶叫する。死骸の道に突き当たった豚が異常事態をようやく認識できたのだ。

 その悲鳴は波及し、オーク兵達は臨戦態勢に入る。


 得体の知れない敵が、得体の知れない登場の仕方をした。

 理解は及ばないが、戦闘に備え待ち構えていた兵士達はすぐに気分を切り替えた。


 先程までと打って変わり、オーク達に緊張が行き渡り、ジキを一斉に包囲に掛かる。

 しかし関係ない。ジキは前方のオークを斬り伏せて進む。


 オーク達が無防備だろうと、臨戦態勢だろうとジキにとって大差はない。


 前置きも必要ない。トドメまでの段取りも無い。

 一振りごとに確実に一匹を絶命させて行く。


 オークがどんなに彼の接近を拒んでも、その遠い懐に瞬時に入り込み、首を跳ね、胴体を切断し、流れ作業の様に方付けていく。


 彼の前では何もかもが無駄だった。

 剣を縦横どのように振り回しても、盾を前面に押し出しても、長物で牽制しても、背を向けて走っても、何をしても同様に次の瞬間には懐に入り込んで来る。


 そして同時に絶命させられている。全てが即死だ。



 敵はたった一人だというのに、その前進を止めることが適わない。

 取り囲もうとしても彼の前方は常に穴となり、囲みを維持できないのだ。


 気が付けば、処刑台の周囲は死体の山だ。

 オーク兵の一匹がふと思う、ステージ前は何時からこんなに閑散としていたのかと。


 ジキはステージの上に乗り上げる。

 ロッコは朽ちかけた意識が覚醒していくのに戸惑いながら、呆然とその姿を視界に捉えている。


 ステージ上のジキをオーク達は追撃しない。恐怖に委縮しているのだ。


 ロッコはその光景に既視感を覚える。

 それは獣の舞踏。いつしか自分の前に現れて、心に深く焼き付いた。白刃の閃き、剣舞と血の飛沫。

 己を貫くという強い意志の輝きと佇まい。鋭い眼光と、刺すような強い声。


「お前はどうする――」

 呆然と自分を見詰めるロッコに詰め寄り、ジキは問いかけた。

「――俺と来るか?」


 それは、あの時と同じ問いかけ。


 しかし、ロッコは既に諦めていた。

 産まれてこの方、虐げられ、蹂躙され、それを疑問に思う事すらなく、豚共の糞尿でつないだこの惨めな命が終わるなら、清々するという結論にすら磔の長い時間の間に至っていたのだ。


 ジキは繰り返す。


「来るのかっ!! 自分の言葉で決めろっ!!」


 彼らと自分は違う。

 それを思い知らされて食い下がることをせず、二度の転機を突っぱねて、その身を家畜へと返した。

 本当は憧れていた。自らの認識が狂って人生が壊れる程に眩しかったのだ。


 そしてロッコは今度こそ、言葉にして答えた。


「つれて行って!! 私をあなたと一緒に!!」


 返事を受け、ジキはロッコの拘束を解くと衰弱しきった身体を抱える。


「捕まっていろ」


 ロッコは言われた通り、ジキの首に腕を、胴体に脚を回してしがみ付く。

 ジキはロッコの身体を左手で介助し、右手に野良長の最高傑作である剣を携えてステージを降りる。



 周囲には千を下らない軍隊が集結していた。


 ジキの戦闘力を目の当たりにしたオーク兵が、周囲の部隊を招集したのだ。

 オーク軍最強の騎士団二個大隊、対するは剣士一人。


 ジキはしがみ付くロッコに言い聞かせる。


「何があっても絶対に放すな。必ず、外に連れ出してやる」


 ロッコはジキの肩に頭を擦り付けて数度頷いた。

 自分には何もできない、それを承知で彼は迎えに来てくれたのだ。


 信じて身をゆだねる他に無かった。



「今度は、見捨てない。其の為に俺は力を手に入れたんだ」


 姉を見殺しにするしかなかった無力な自分を呪い、誰よりも強さを渇望し、今の自分がある。

 ジキには一人でこの国を後にする事など出来はしなかった。


 結局、ジキが口に出して伝えることは一度も無かったが、野良長には感謝をしている。

 こうやって、もう一度あの時の雪辱戦が出来るのだ。


 長に抱えられて逃げ延びた幼い自分。あれは敗北だ、口でだけ長を罵り責め立てた。

 しかし、噛みついてでもその腕を振りほどいて姉を救おうとしなかった。臆病な自分への敗北だ。


 例えあの場で心中する羽目になっても、今日まで後悔を引き摺るような惨めな日々は送らずに済んだ筈だった。


 今度は負けない。今度こそは見捨てない。


 屈辱に塗れた自戒の日々、鍛え上げた技は全て今日、この瞬間の為。

 ジキはオークの軍隊に向かって突き進んだ。


 雄叫びを上げる。命の全てを燃やして。





  第十四話、『長兄』に続く。

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