検非違使秘録〈野馬台詩〉
sanpo=二上圓
第1話
康治二年(1143)は奇怪な流行病(はやりやまい)で人死の続いた夏であった。
「もし、検非遺使(けびいし)の中原成澄(なかはらなりずみ)様とお見受けしますが?」
その日、四条大宮は綾小路から坊城通りに向けて漫(そぞ)ろ歩いていた成澄の袖を引く者があった。
傍らにいた狂乱(きょうらん)丸の方が先に反応した。と言うのも、袖を引いた者が寺童と思しき水も滴る美少年。
当世、京師(みやこ)で一番の麗しき田楽師として名を馳せる狂乱丸に勝るとも劣らない、ときては。
少年は蜻蛉(トンボ)を縫いとった水干(すいかん)に菖蒲色の袴も綺羅綺羅しい出で立ちである。
「いかにも。私が中原成澄だが?」
月のように青白かった少年の頬にパッと朱が射した。宛ら、夜明けの空の如き薄紅の微笑みで、
「私は、名を秋津(あきつ)丸と申します。せひ、ぜひ、聞いていただきたいことがあって、無礼とは知りつつ声をかけました」
秋津丸はそのまま検非遺使を近くの地蔵菩薩を祀った堂宇の暗がりへと誘った。
無論、狂乱丸が黙って行かせるはずはない。彼も同道した。
秋津丸は周囲を見回した後、口早に、
「中原様、このところの貴人の相次ぐ病死について、如何(いかが)思われます?」
「惜しいことである」
成澄は率直に答えた。
「亡くなられた方は皆、清廉、且つ、前途有望な人材であった。あのような立派な人たちが次々死んで行くとは……改めて、無常の世を噛み締めている」
さればこそ、と言って連れの田楽師を振り返って、
「今日はこうして、我等も寺社詣りなどして病封じをしておるところよ」
「〈病〉ではありません」
秋津丸はきっぱりと言い切った。
「昨今続いている〈死〉は全て……人に因って齎(もたらされ)たものです」
「その、秋津丸、水も滴る毘沙門天の使いの如き美童が〈殺し〉だと明言したのだな?」
一条堀川の通称、田楽屋敷。
ここは先代師匠・犬王の屋敷である。
田楽は元々田植え行事から起こった。稲田を害から守り、健やかな生育を寿ぐ儀式であったものがいつのころからか邪を祓う祭りとなり、煌びやかな綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)の衣装、独特の楽器で賑やかに舞い歌う芸能として人々に浸透した。法師からなる本座、俗人からなる新座と体系も整理されたのだが、犬王は新座を統べる長であった。急逝後、その跡目を継いだのが狂乱丸である。
さて。
若き田楽屋敷の主は、帰るなり早速、今日の不可思議な邂逅(かいこう)を双子の弟・婆沙(ばさら)丸に語って聞かせた。
話を聞いて、弟は大いに驚いた。
「ううむ。で、美童がそう言い切れる理由は何じゃ? 今をときめく貴人たちが何人も〝妖しい病〟で死んだのは事実だ。それを真っ向から否定するとは、余程の根拠があってこそだ」
「まあ、待て」
矢継ぎ早やに質す弟を兄は制した。
「何、その美童の言葉自体、まだ信じるには値しない。検非遺使の気を惹きたくて興味ありそうな作り話を吹っかけて来たのかも知れぬからな?」
この兄の疑り深さは常のことである。
ここで改めて、検非違使についても記すと──
検非遺使は嵯峨帝の御代、都の治安維持に設置されたのがその始まりである。警察と司法の両方を司る重職で代々左右衛門府より武略軍略に卓越した官人が選抜された。蛮絵と称する獣文様の黒衣を纏って、その猛々しさから一目でそれと識別できる。
かくのごとき天下の検非遺使と田楽師が懇意なのには訳がある。
二年前の保延七年、新年を寿ぐ修二会(しゅにえ)の儀式にいきなり飛び入って舞い歌った美しい双子の田楽師があった。その舞姿、歌う声の素晴らしさは今も人々の語り草となっている。いわずもがな、この田楽師こそ狂乱・婆沙の兄弟であり、その現場にいた検非遺使が中原成澄だった。
元々田楽狂いのこの男、取り押さえるどころか、やおら懐から自慢の朱塗りの笛を取り出して一緒に踊り騒いだ。以来、昵懇(じっこん)の間柄である。暇さえあればここ田楽屋敷に侍っている始末──
「いきなり声をかけてきた素性も知れぬ輩の突拍子もない話を鵜呑みにするは愚かなことじゃ。無論、成澄とて同じ。半信半疑の体だった。すると、この秋津丸、『証拠を見せる』と言い出してな」
「死の原因が〈病〉ではなく〈殺し〉だと言う〝証拠〟か? そりゃ凄い!」
婆沙丸は一層驚いた。
「で? 何だった? どんな物だった?」
「だから、それを明日、見に行くのじゃ。秋津丸が言うには、『今日は持っていないが、明日、必ず持参する』だとさ!」
少々落胆したもののすぐ気を取り直して婆沙丸は頷いた。
「そうか、明日か。それは楽しみだな! 〈殺し〉の証拠などという物、滅多に拝めるものじゃない。何なんだろうな? ちょっと想像ができないが。勿論、兄者も成澄と見に行くんだろう?」
「いや、俺は行かぬ」
「え?」
狂乱丸の瞳が妖しげに燦いた。
「一緒には、な」
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