第2話

人間に化ける(?)事が出来るようになったごく普通のキジトラ雄ジェシカ。飼主利莉杏(リリアン)は相変わらず、見方によってはより一層ジェシカを溺愛するようになっていた。客観的にこの様子を見れば、年頃の男子が年上の女性と一つ屋根の上で生活しているという事になるのだが、当人(猫)にとってはそういう意識はないらしく、特に飼主は「見た目が変わってもジェシカはジェシカだ」と素直に思っているようだった。ジェシカの方は猫で居る間はひたすら眠る事と食事の事を考えているのだが、人間になった時に漠然とだがリリアンからの親愛を感じる事もあり、それに少しは応えようと思うのだった。



ところで先日『キラキラネーム』という概念を知ったジェシカだが、彼の頭には数日たったころに素朴な疑問が浮かんできていた。それは、


『仮にリリアンが『ジェシカ』という名前だったとして、それは『キラキラネーム』にならないのだろうか』


というご尤もな疑問である。『ジェシカ』は一般的に日本人の名前でもないし、『利莉杏』のように漢字で表わすとすれば『持得鹿』とか、無理矢理な当て字になるに違いない。利莉杏はやはり大雑把な性格なのだが、要するに『利莉杏』という名前から逃れなれるなら何でもいいという単純な発想なのかも知れない。



ジェシカは疑問を抱いてはいたが、『利莉杏』という名前についての一件で飼主のこれまで見たことのない表情を見ていたのでこれに類する事を聞くのが少し躊躇われて、取り敢えず保留する事にしていた。



ジェシカが疑問に思うようになったことはこれだけに限らない。これまでは分らなかったが人間の視点に立って実際に触ったり使ったり見てみたりすると「人間という生き物は中々いろいろ考えている」と感心するようになって、せっかくだから自分も色々試してみたいと思うようになった。やはり猫でも男の子なのか、機械に対しての興味が尽きない。ジェシカはリリアンに訊いた。



「その四角くて硬くて薄いやつって、何に使ってるの?耳にあてたり触ったりしてるけど…」



「え?これのこと?」



リリアンはその時スマホを使って作業をしていた。文明の利器の中でもこれほどまでに様々な機能が凝縮され、一つだけで多くの事が出来る道具はPCくらいなものではないだろうか。ジェシカは猫でいる間には『人間の奇行』として認識していたが、知恵がつくとそれが何かに利用するもの…例えばあの謎の男性がくれた人間に変身する為の『道具』のようなものと思うようになっていて、現代科学が出来る事の範囲を知らないジェシカは自然とあの謎の道具と同じようなものがこの世界に普通にあるのだと考えそうになっていた。リリアンは微笑みながら答える。



「ジェシカ、これはスマホ…スマートフォンっていうのよ。まあ電話っていうか、なんでもできるね」



「電話って?」



「離れたところに居る人とこれを使って話が出来るのよ。あ、そうだ良い事思いついた」




説明するより実際に使わせてみた方が良いという事に気付いたリリアンは、立ちあがって壁際に設置してある自宅の電話でどこかにダイアルし始めた。すぐに机に置いたままになっていたスマホにコールがかかって、着信音が鳴り始めた。これが鳴るという事は知っていたジェシカだったが、不思議そうに見ていると、リリアンはスマホのボタンを押して、電話に出た。明らかに家の電話からスマホにかけただけだが、リリアンはそのスマホをジェシカに渡し、「耳にあてて」と指示した。



「『もしもし、聞こえる?』」



スマホから聞こえてきた女性の声はこもってはいるがリリアンの声によく似ていて、リリアンがここで喋ってラグはあるがすぐに響いてきたのでジェシカは驚いた。



「わ!!なんだこれ…」



「『これが電話なのよ。凄いでしょ?』」



「え?もしかしてこっちからも声が届くの?」



「『そうよ。それを持ってちょっと外に出てみてよ』」



ジェシカは言われた通り、居間から玄関へ、玄関から外に出てリリアンと会話を続けた。



「『ね!ずっと聞こえるでしょ?どこまでも行けるのよ』」



「そうだったのか…これでどこででも話が出来るのか…」



「『私の方もスマホを持っていれば、私が別なところに移動しても、そこからでもジェシカと話が出来るってわけ。ふふふ…便利でしょ?』」



「すげぇ~!!!」



ジェシカは子どものように驚いたが、同時に「人間というのは凄い事が出来るんだな」と思った。僅かにだが、他の人もこの道具を持っているとしたら、場合によっては移動しなくてもいいのでは?とも思ったりして、『寝る時間が増えそうだな』と単純な発想で思うのだった。現実には、この文明の利器の登場以降、結果的に寝る時間が奪われるようになった面もあるのではないだろうか。ともあれ、ジェシカはまた一つ賢くなった。





賢くなったとはいえ、ジェシカが猫である事には変わらない。ジェシカの発想は根本的なところで「いかに多く寝るか」という事なので、面倒くさそうな事は好奇心があったとしても若干躊躇われるのである。リリアンがスマホの別な利用の仕方を教えた時には、最初の感動とは違って、『面倒くさいなぁ』という感想しか出てこなかったし、写真や映像を見る事が出来たり、音楽が聞けると言っても、猫独特の感性はどちらかといえば実物の方に惹かれるので、何となくつまらなかったのである。




それよりもジェシカはずっと前から気になっていたトースターで焼いたパンとか、電子レンジで温めた飲み物とか冷蔵庫で冷やしてあるアイスとか、外に出て見たこともない場所に行って猫とか犬とか、鳥とか、人間とかを見るのが好きなのである。




猫や鳥を追いかけて叱られる事もあったけれど…。

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