第196話

戦争は、外交の失敗以外の何物でもない。

ーピーター・ドラッカー





















「帰れ」


で、ドアを開けた瞬間、かけられた言葉がそれである。


「あぁーこいつは時間がかかりそうだぁー……」


絵に描いたような軍人、ディスイズ指揮官、全世界ミスター堅物コンテスト入賞、肩書きを付けるならたぶんそんな感じ。黒に近いダークブラウンの角刈り頭と、感情を家に忘れてきたかのような仏頂面。アレクと呼ばれていた男性と同じ防寒コートと耳当て付き帽子を着込み、その内部は他軍と大して変わり映えしないグレー系の寒冷地迷彩服。ぱっと見の印象では米軍のエドワード少佐にも似ているが、あちらは話してみると案外軽い。


「僭越ながら少将、彼女らは勝算を持っています、棒に振ってしまっては……」


「そんなものは問題ではない、こいつらは信用ならんというのだ。ロシアの軍事史を見返してみろ、我々の作戦を邪魔してきたのはいつもアメリカ人の、しかもCIAじゃないか。付け加え女だと?お得意のハニートラップに決まってる」


「少将…申し訳ない……ハニートラップが得意なのは圧倒的に|KGBやSVR(われわれ)です……」


取り付く島がまったくない、あんまりにも即答だったもんだから、「後はご自由に」とばかり出入り口付近で黙り込もうとしていた彼が苦笑いしながら急遽こちらのフォローに回ってくれるも、結果は変わらない、閣下はこちらが妨害に来た工作員か、情報を盗みに来たスパイだと信じ切っていらっしゃる。何度かシオンが話しかけてみても「話なんて聞かないから今すぐ帰れ」と言わんばかりにそっぽ向いて手元のタブレット端末から目を離さない。


「ハニートラップてなに?」


「あなたがエド少佐に行ったそのまんまの事ですよ天然魔性ガール、今まで何人不幸にしてきた」


よくわからない、何かしただろうか。


「よく考えてみろアレクセイ捜査官、こんな修羅場に女がいるか普通?みんなとっくに避難したに決まってる。というか女が前線に出ているようでは俺達がここにいる意味が無いじゃないか。よってこいつらは帰せ、俺達を色仕掛けで籠絡しようなどと破廉恥な考えを持っているアバズレに違いない」


スズとシオンがぽつりと話している間にも彼は2人を拒絶する事に余念が無い。シオンからはアレク、そして今アレクセイと呼ばれた男性は困ったように溜息ひとつ、お堅いなこの人は、という意味にその瞬間は見えたが、続けたセリフを聞いてから考えると、勘違いしてるなこの人は、だったようで。


「その推理は至極もっともです、文句はありません。しかし腐れ縁という立場から言わせて頂けば、彼女はハニートラップなんてものをやってる暇があったら捕虜の2〜3人も多く尋問しているでしょうし、何より、何よりですよ少将、貴方は男性経験ゼロの生娘が色仕掛けなどという高等テクニックを使えるなんて本当に思だらっとす!!!!」


そうやってこちらの味方を続けてくれるアレクセイさんだったが、腐れ縁故か、紳士らしからぬ擁護不能な失言をしてしまった為に回し蹴りを受けて部屋の隅まで吹っ飛んでいった。「死ね!!ウォッカ飲みすぎて死ね!!」「ごめんなさい!!ごめんなさい!!」とかやりながら彼がげしげし追撃を受ける中、少将閣下は初めて作業の手を止める。沈黙しながら僅かに顔を上げ、タブレットの画面を消し、そして怪訝そうに眉を寄せた。


「ゼロ……」


「あ゛あ゛ん何か問題でもぉぉ!!?」


怖い……


「ふむ」


全力メンチにはピクリとも反応せず、タブレットをそこらのテーブルへ置いた彼は涼しげな表情、初めて2人に体の正面を向ける。こちらを見下す目とスタイルは崩さなかったが、ひとまず頭ごなしに拒絶するのはやめ。


「気が変わった、提案を聞こう」


「えぇ…………」


どこ?どこに気の変わる要素があった?と、心当たりがあるのはひとつしかないにも関わらずそれから目を逸らしてスズは困惑する。話を聞いて貰うだけでどれだけかかるかと心配していた所のこの事態、本来なら喜ぶべきなのであろうが、少なくともシオンの表情はドン引きそのもの。頰を引きつらせつつアレクセイから足を離し、向き直る。


「あー…………………必要なのは火力支援と後詰めです、航空爆撃をもって中国軍の陣形を崩し、その後は米軍の退路を保障して欲しい。その代わりにこちらは中枢への突入を受け持ちます、最も被害の出る部分をです。状況は理解しているんですよね、多かれ少なかれ無茶をしなければならないとも」


「承知している」


「欧州の貴族共は既に諦めています、あなたが連中と同レベルだとは思えませんから、どのみち打って出るつもりだったんでしょう?であれば、敵陣に深く食い込んで停止しているアメリカを味方にするのと敵にするの、どちらが効率的か、わかりますか?」


「当然、解している」


「であれば」


「ところで、ここから西28キロの地点に別のロシア軍拠点があるのは知っているか?」


「はぃ…?」


気が変わってからは非常に素直、一から十を察してくれるような有能な人物なのはあらかじめ知っていたので、無駄な事は話さず、シオンが言うのは納得させる最後の詰めだけであった。しかし、じゃあ拒否する理由ないよね、と言う前に彼はいきなり別の話を振ってきて、最初は目を点にしたシオン、直ぐに何を言っているか察し、生暖かーい笑顔に表情を変える。


「地上戦最高戦力たるアサルトギア12機を筆頭に各種装甲戦闘車両を擁する大規模な機甲旅団だが、最近の彼らはハンティングと称して、敵戦力のまったく存在しない後方地帯の市街地へ出撃し、少なくない弾薬を消費しているらしい。いったい何を”ハント”しているのだろうな、ネコかネズミか、後は人間くらいしかいない街中で」


「ふ……」


「旅団を指揮するマラート中将はお疲れのようだ、齢65、白髪混じりの黒髪で、左頬に昔の戦傷による火傷の痕があり、赤い星型の勲章を必ず胸に着けているお方だが、もうお休みになられた方が良いだろうな。そうなると指揮を代行できるのは俺しかいなくなるが、まぁ仕方あるまい、祖国の為ならその程度の激務、こなして見せよう」


「ふふ……」


「ところでお前達、いつまでここにいるつもりだ?帰れと言った筈だぞ。アレクセイ捜査官、こいつらをつまみ出せ」


「はい、直ちに」


「ふふふふふ……」


勘違いしていた、堅物と言ったのは取り消すべきだ。

シオンの生暖かい笑顔に対して薄ら笑いを浮かべるアレクセイ(部屋の隅から復帰)、わかるよな?と目配せしつつ出口を指差す。

わからない筈がない、スズですら理解して渇いた笑いを漏らしているのだから、その道のプロであるシオンはきっと、何をどうすればロシアを味方に付けられるか頭の中で筋道まで立てている。その証拠にまったく抵抗せず彼女はスズに手招きしながらアレクセイに追従し、ただ最後に済ました顔する少将を睨みつけ。


「了解だ、夜道に気をつけろよクソ将軍」

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