第142話

何という事はない、再び押しかけてきたスズを見るなり怒鳴り出そうとした左衛門の顔面に符を押し付け、強制金縛りに遭っている彼の眼前でここまでの調査報告と日記の朗読をしてやっただけだ。すべて終えると符は剥がされたがその後も暴れ出す事なく、「助けて欲しいなら言って」と告げると、「助けて欲しくはない」とは返ってきたが、「俺が死ぬだけで済まないんじゃな」と続く。

共に造船企業であった両家はさして広くない瑞羽大樹最下層の土地を巡り争っていた、船台の数がそのまま生産力に直結するからである。2人の結婚に対し少なくとも合併する気なぞ毛頭無い両家の対応は酷いものだった、特に時代背景上立場の弱い、というか娘を差し出すだけのジュリエット側は激烈とも言える妨害をしてきたようで、実際に向こうで何が起きたかはわからないが、目を盗んで会う度に傷や痣を増やしていたという。自分が諦めればすべて良くなると考えてしまうのは仕方のない事だったろう、そうしてそれは起きてしまった。

アリシアと七海が見てきた洋館内部の有様は状況証拠的に、絶望したジュリエットこと旭彩乃あさひあやのによって引き起こされた一家心中だと思っていたが順番に誤りがあった。関係崩壊を起こしていたとはいえ恋とはそこまで人を狂わせるものか、すなわち”殺してしまえば誰も反対できない”という考えに則りすべてを最初からぶち壊しにしたのだ。そうして邪魔者を消し去った彼女は幸せへとひた走る、だが他者を顧みぬ者に真のそれが訪れる事は無い。

僅かに1日遅かった、未練を断ち切るべく左衛門は父の推薦する者と籍を入れてしまっていた。いや、それが無くともこの話が喜劇として完結を迎えるなどあり得なかったろうが、共に居れれば良しとするか、環境も伴わなければいけないのか、思想の違いに起因する致命的なすれ違いは彼女を絶望させるに十分すぎるものであり、そこから先の詳細を左衛門は話さなかったが、もはや聞く必要もなかろう。


「……もう一生来る事はないと思ってた」


横から抱える義龍に体重のほとんどを預けながらも、半世紀という時間を跨いでロミオは再びそこに立った。道を塞ぐ枝のために馬車での直付けができず、隙間を縫うようにして100mほどを歩き、到着した途端の最初の言葉がそれ、次に空を見上げて「憎たらしくなるくらい青いな……」と続ける。


「それは?」


「これな、最初は真改氏に鍛刀を依頼するか、出来合いのものを譲って貰おうとしたのだが、まぁ何というか、”お前は自分で打つべきだ!大丈夫だ絶対できる!そういう血が流れてる!俺が一から教えてやるから!”だとか。私が求めていたのは今すぐの戦闘力なのだがな」


「あー……」


「そういう訳で、これは他所から仕入れたものだ、琥泉村正こせんむらまさと呼んでくれ」


既に戦闘は確定している、2人の左右を守るスズと円花は抜刀を終え、それぞれ4本尻尾と1本角を見せていた。波打った乱れ刃と、木を縦に切ったようなザラつく模様の柾目肌を持ち、刀身が比較的深く反る、騎乗時の使用を主目的とする太刀である夢幻真改とは違い、円花が見せたそれは徒歩での使用を想定した打刀である。刃とひたすら平行に刃文の伸びる直刃と、木を横に切ったようなまだら模様の板目肌、反りは浅く真っ直ぐに近い。刀身長こそ大した違いは無かったものの、対照的な特徴のふた振りを携えた両者が同時に1歩前に出る、彼女を縛り付けていた数枚の符が急速に効力を失っていくのを感じたからだ。外周は蜉蝣率いる防衛隊に固めて貰っている、市民が迷い込んできたりは絶対にしない。


「姫御子」


そこに七海が降ってきた、地面をピクリとも揺らさない見事な着地だった。ついさっきまで舞台で踊っていた筈の彼女は「巫女っぽく見えりゃいいんだよ!」とばかりに喫茶店の制服姿で、2人と反対の背後を警戒しつつスズの耳元へ。


「妙な野郎が紛れておる」


「どういう風な?」


「出で立ちは普通、じゃが嫌な目付きをしていてな。事前に場所取りしてまで最前列で待ち構えていたというのに儂が壇上に上がるや、いや違うな、踊り手がお主でないとわかるや去っていった。……義龍のご同類であるならそれで良いのだが」


後ろに気をつけろという意味であろう、最後のはちょっとよくわからなかったがとにかく今はジュリエットだ。きっと有無を言わさず襲ってくる、左衛門以外には目もくれずまっすぐに。


「大丈夫なのか?戦えるといっても修行中の身なんだろう?」


「すれ違った事があるだけの相手にきつい言いようだな鬼の子よ、露払いくらいはできるから安心せい。ふぅ」


「覚悟はしておけよ、いざという時に守れる保証など…なぜ耳に息をかける!!」


掴みは良し、このピンク頭がどういう人間か理解して頂いたところで始めるとしよう。


「じゃあおじいちゃん、これ貰うね」


「ああ。…………しかしそんなもの何に使う…ええぇ……」


「ええええええええ…!」


平賀一家同時の驚愕。特に難しい事はしていない、自分の符を自分で無力化しようとしているだけだ。確かに最初見た人間は一様に同じ反応をする、しかしこれがなければ呪術師は務まらない。

単純である、狸を筆頭に様々な妖怪、怪異がタバコの煙を弱点とするが、それは狐とて同じ事。

葉巻を作る職人を退屈させないために読まれていた物語の中でも特に人気だった作品からロメオ・イ・フリエタと命名されたその葉巻はキューバ産、ハバナ葉を丁寧に手巻きしたプレミアムシガーで、きちんとした温度及び湿度管理をしなければたちまち風味を失ってしまう。だからこんな仰々しいケースに1本ずつ収まっているのであって、1本2000円を超えてるからではない。いつものゴールデンバット(2017年現在20本260円)をアホに与えてしまったスズはそれの後端をワイルドに噛みちぎり、円花に向けてくいくいやると、彼女はそれっぽく指を鳴らして瞬間着火した。


「それでご老体、お主は後悔しておるのか?」


「……してないと思ってた、逃げるように持った家庭だったが、そんなことは口が裂けても言えないし、何より不満は無かったからな。でも今になってあいつが俺を殺しに来た時、急にわからなくなった」


続いて侵入口を作るべく先行、右手で握る琥泉村正というらしい打刀の柄に左手を添える。洋館の破口を埋める細枝の網は非常に硬く、だったら洋館の腐った壁をぶち抜いてしまえば楽だろうが、寂しそうに見つめる左衛門に考慮してか、円花が狙いを定めたのは網の部分だった。


「俺だけが生きてる、そこに疑問を持った。元はと言えば俺が手を出したのに、俺だけが」


「ふむ、確かにそうであろうが、だからといって命を差し出す必要はなかろう。生きて守らねばならぬ家もある、お主は正しい」


破壊する箇所の前に立った途端、刀身は高速振動を始めた。極めて高い周波数で音を立てながら網に突き刺されたそれをゆっくり動かしただけで枝は切れていく、それこそバターのように。


「俺にはまだわかんねえな…どうしてそこまでしなきゃならなかったのか」


「そういう女もいる、恋というものに理屈はいらんのだ。わかるか義龍?いやわからんといかんぞ、お主の恋路の特殊性はこの程度ではないのだからな」


間も無く半月状に開いた通り道をくぐって再びスズは内部へと踏み込んだ。後方で行なわれる七海と平賀両名の会話を微かに聞きながら葉巻を口へ運ぶ、吸った瞬間にとんでもない重さの煙が肺へと襲いかかりむせ込んでしまった。フィルターというものを持たない端から端までタバコ葉の詰まった両切りタバコである(であった)ゴールデンバットも大概だがそんなものの比ではない、何せタバコ葉そのものだ。紙幣何枚も出してどうしてこんなもん買いたがるんだ香菜子ちゃんとか思いながら改めて吸う、昨日と変わらず枝の根元に貼り付いていた符に向かって吹き付ける。

そうすると瞬く間にすべての符が剥がれ落ち。


「……なぁ、今の言い方といい、気になってたんだけど姫御子ひめみこって…」


「ああ、すまん、話は終わりじゃ」


戒めを失った彼女はまた目を覚ました。

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