第93話

「いない」


2000メートルまで上がった瞬間にスズはそう言い放った。


「まだ何もしていませんが」


「ここに来てから気配はずっと捉えてるんだ、今登ってきたら遠ざかった、だから上にはいない」


「そんなレーダーみたいな」


「れーだー?」


「あ、すみません、忘れてください」


主目的は既に果たされたが乗ってきたエレベーターは上へ上へと登って行ってしまい、他にいくつかあるエレベーターは大半が上行きを予定しているか、下行きも行列を伴っている。港で陸揚げされた物資を運び入れているか、もしくは運行ダイヤに問題があるようで、行列に並ぶのとそのへんで時間を潰して戻ってくるので大差は無さそうだ。だったら副目的を済ませてしまおう、スズとアリシアは商店街をまっすぐ進んで東へ向かう。

目に見える範囲に鳳天大樹よろしく鬱屈した表情でとぼとぼ歩く人はいなかった、非常に活気が溢れており、物の流通量も瑞羽大樹などという田舎とは桁が違う。皇天大樹が周囲の大樹を併合し恐怖政治を敷いているのは確かだが、その関係は本国と植民地のようなものであり、考えてみればここの住民が弾圧される筈が無い、ような気はする。彼らが外部の状況を知っているかは定かでないが、まぁ下手に荒らして騒ぎを起こされても困る、そこは今追求する必要がなかろう。


「普通ですね」


「普通だよ、修羅の国みたいなのでも想像してたの?」


昨夜あたりから何か心境の変化があったのか吹っ切れたように感情を表に出し始めたアリシアではあるが、軍用目的に作られそういう思考能力を付与されているという根本は変わらない。敵の中枢に忍び込むと聞かされて彼女が用意したのはハンドガンと予備マガジンだった、カーディガンの裏、ワンピースの腰にバンドでホルスターを括り付けており、位置は真後ろ。グリップ底部を右上へ向ける形でスズのガバメントと同じコルト社製の、やたらめったら細長い銃身を持つウッズマン自動拳銃という競技用銃を装備している。基本的に的を射抜く為だけに設計された内部機構と長銃身、非力だが低反動な5.6mm口径.22LR弾の組み合わせにより優秀な命中精度を達成、競技用のみならず簡単なハンティングや軍隊に採用された事もある。一部の人には|森の人(ウッズマン)と言えばピンとくるだろうがとにかく、高耐久、高反動、1発当たればヤク中でも打ち倒す代わりにあんまり飛ばない.45ACP弾を用いるM1911ガバメントとは対極にある銃である、製造会社は同じなのに。

ちなみに10発入り予備マガジン、お前はどんな状況を想定してんだと聞かざるを得ない、バンド左右や革製の小さなショルダーバッグにも詰め込まれ、実に10本携行。


「この世界の先の無さについて私が話しかけたのを覚えていますか?」


「え?あっ…えー……うん」


「覚えてないならいいのです、最初から話します」


商店街中心部から離れていくほど辺りは落ち着いていく、人ごみがまばらになったあたりでアリシアは何かを見つけ、スズの手を引きつつ左へ進路変更した。


「人力車です、人の力で動かす車と書いて……」


「そんくらいはわかるわ!」


指差された先には確かに人力車がタクシーよろしく列を作っていた。平坦でだだっ広い地表では馬車や自動車がぶんぶん走っているが、主幹付近で200〜300mの幅があるとはいえ枝の上は細いし狭い、仰々しく4つも車輪を付けて人間以外の動力を持つような代物は具合が悪く、だからこそ地上走行車両がここまで冷遇されているのだろうが、とにかく樹上の移動手段は徒歩を基本として人力車と自転車なのだ。引き手が入る大きな持ち手、車輪は2つで、豪華なリアカーといえばもうそれにしか見えない車両である。車夫に話しかけ、料金を聞いて困った顔をする事3秒、それ以外何もせず向こうの方から値引きを提案してきた。非常に狡猾なお母さんである、というか見た目でかなり得をしている。


「この世界は行き詰まりつつあります、これ以上の発展的余裕もなければ、緩やかに人類の生存に適さない環境となりつつある」


「地球が死ぬって事?」


「まさか、人が死に絶え、大樹が枯れ果てても地球は生き続けます、せいぜい海しか無かった古生代初期へ逆戻りするくらいで、いずれは地殻変動により陸地が復活し、水生生物の中から陸上へ身を移す者が現れるでしょう。私が言っているのはあくまで人類の未来」


簡単な屋根のあるそれに乗り込み、アリシアが左、スズが右に座ると車夫が前部を立ち上げる。真の目的地は5km先にあるコンクリートの建物だが、そこは軍施設だ、市民が行きたがる場所ではない。怪しまれるのを避ける為にその手前、有名な甘味処があるらしいのでそこを指定した。およそ3km。


「人は陸上動物です、水上、または水中での生存はできません。全面核戦争と、それに続く寒冷化、陸地の消失という大量絶滅を乗り越えて人類がここに有り続けるのは、大樹という陸地を代替する存在が生まれたからですが、あくまで代わりでしかありません。鉄も石油も海水の下では資源供給量にどうしても制限がつきまといますし、光合成で二酸化炭素を酸素に変換する植物の不在はどう考えても致命的」


普通に歩くよりもやや高速で車は進む、商店街中心からさらに離れ、喧騒は止み、周囲の人々は若者から中年、老人へシフトしていく。それらのほとんどは人力車に目もくれないが、時折”何か見覚えがある”ようにスズを見つめる者もちらほら。大人は危険だ、なにせ当時を知っている。


「とはいっても、今すぐ人類の命運が尽きる訳ではありません、少なくともスズには関係のない話でしょう。ですがあなたの母親はこれをしっかりと認識し、良く思っていない節がある」


「その根拠は?」


「豪奢な暮らしをしたいだけなら天皇の側室となった時点で達成されています、彼女はそこから友軍戦力をまとめ上げ、西洋軍を打ち負かし、やり方に問題があっても東洋の発展を推進し続けています。これ以上の繁栄が見込めないのならば、状況を打破しようと考えるのが当然だと思います」


怪訝な目を向ける彼らに対してスズはキャスケット帽の位置を直す以外何もしなかった、頭の片隅に引っかかっているその記憶は正しく、たった今眼前にいるのは本人ではあるが、何せこの世界には白黒写真か似顔絵くらいしか人の顔を保存する手段が無く、しかも当時スズは8歳で、公の場に立ったのはたかが数度だった、うろ覚えな小学校低学年の女の子から高校生まで成長した姿を予想するなど無理難題であり、似ていると感じたとしても確証を得る事はできない、もし間違ってたらどうしよう、という感情は結構な抑止力を持つのだ。しかもこのケースは街で有名人を見かけただけとは訳が違う、帽子の下の狐耳を晒さない限り、おそらく声をかけられる事は無い。


「つまりこの樹の成長と陸地の復活は何か関連があり、スズの母親が仕組んだ事かもしれないと言いたいのです。彼女は目的を達成するためなら人命を軽視する傾向がありますが、ここの住民には地表居住区の貧民であっても1人残らず真っ当な生活が与えられています。この場所だけには人類の未来が残されていると、彼女は考えているのではないでしょうか」


「……言われてみれば確かにそんな気はするけど…でも今のところはそれだけだよね」


「はい、推測に必要な調査を何一つしていませんし、本来なら数千万年という時間をかけて変化しなければならない地球環境を操作する手段など思いつきもしません。ですがあなたと出会ってから、私が持っていた常識は覆され続けています、今回こそは、などと言うつもりはありません」


一切の反応をせずにいると、彼らは揃って首を振る。そんな筈は無い、そういう結論に至ったようだ。


「今回は不可能ですが、いずれ詳しく調べる必要があるでしょう。終末を再び逃れられるというのなら、それこそ徹底的に」


見えない障害を難なく突破し、人力車は進んでいく

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