第91話

「弱みを握っているから彼女を利用したのですか?」


洋風の家具が置かれた畳部屋というちぐはぐな場所で、アリシアは日依の左足に貼られていた湿布を回収、新しい湿布を出す。


「8割方はそうだ、が、個人的な感覚の話をするなら少なくともクラリスちゃんは信用に足ると思ってる」


畳に腰を下ろし、左足を前に出しながら日依は返答した。こびりついている砂を拭き取り、冷えた湿布を貼るとあーっ!と声を出す。


「あの子は西洋軍から派遣された秘密諜報員(ケースオフィサー)で、情報収集はもとより人民に対する親西洋キャンペーン、政権転覆工作までも請け負ってる。ごまかしようのない事実であり、ちょっと皇天大樹側にチクってやれば抵抗する間もなくなぶり殺しにされるだろう。御し易いから目をつけた、それも事実だ」


2枚3枚と貼っていく、次第に足が白くなる。


「という理由を第一に、第二として、逆スパイからの報告では今の所、クラリスちゃんは法を犯しこそするものの、人を脅したり、拷問したりはしていないし、傷を負わせる事も可能な限り避けようとする。絶対に相容れない奴と手を組むんだ、どうせだったら少しくらいは人間のできた相手の方が良いだろ」


「いるんですね、逆スパイ」


ついでに触診すると、完治はしていなくとも、もう痛みを感じないくらいには回復していた。本当、医者の存在意義が霞む連中である。


「西洋の学校では東洋人は何度も西洋侵略を目論んだ蛮族だとされてる、クラリスちゃんも義務教育を受けてるなら実際に教わっただろう。純然たる事実ではあるが、同じように西洋人が行った残虐行為についてはまったく触れられない、というか隠されてる。そんな教育で培った”常識”を持ってエージェントとしてここに来た、それでいて東洋人を傷付けるのを躊躇うってんなら、もう知ってしまってるんだろう、西も東も大して変わりないってのを。ああ付け加えて言っとくと、相手を貶める教育自体は東洋でもやってるってのを覚えとけ」


足先から太ももまで4枚、恐らくこれが最後の湿布だ。残るは内蔵の損傷と左腕の骨折だが、こちらはさすがに治癒が始まったばかり。


「ま、良い奴だからってだけで話が進むほど甘い世界じゃあない。末端とはいえ西洋軍、スズが無事に政権を乗っ取り、血を流す事なく東洋を解放した後、どうやったって最低1度は戦わなければならない、いわば真の敵だ、警戒するに越した事はなかろうさ」


「……何故、敵対しなければならないのですか?」


「そこに理由はない。歴史を遡ればそりゃ少しくらいは始めた訳があったろうが、そんなもんは今を生きる人間にとってはどうでもいい事だ。敢えて言うなら歴史そのもの、両者が両者を服従させるべく戦い続けてきた過去の人々が現代人にも戦いを強いるのさ」


湿布の交換は終わったものの、アリシアは立ち上がらず正座したまま。日依も右足を伸ばし、左足を少し曲げた体勢で話し続ける。


「死人をできる限り少なくしたいからスズは名乗り出ない、それは私達共通の認識で間違いない、しかしスズ自身と私の考えは少し違う。あいつは単純に血を見たくないからだが、私がこんな迂遠な手口に賛同してるのは、下手に内戦を起こせば奴ら西洋軍が嬉々として乱入してくるのが目に見えたからだ」


照明を消した、窓から入ってくる光だけで照らされた和室に階段を降りる足音が響く。クラリスちゃんことコールサイン”水蓮”は陽動部隊の初動を起こさなければならないと通信機のある2階へ行ってしまっていたが、降りてきたという事は合図を出し終えたという事か。


「ちょっとこの…何この黒いサイダーみたいな…何?」


「コーラよ、こっちでも普通に買えるでしょ」


僅かにスズとの会話が聞こえてくる。

長年の敵対状態にあるにも関わらず、輸出、輸入はごく普通に行われている。統治機構、形態は旧来の国家と何ら変わらないものの、地域間の繋がりが非常に弱い、あるいは国境線が曖昧である。それぞれの首都に相当する樹から離れるほどにその傾向が強いらしく、良い例としては、西洋人が統治し、西洋の武器を装備した東洋人が守る瑞羽大樹。


「機会があれば奴らは攻めてくる、だから抑止力たる東洋軍に傷は付けられない、そんなことをしたら政府が腐敗だなんだと言ってる場合じゃなくなるからな。もちろん戦争の混乱に乗じて目的を果たす事もできる、だがどれほど意味のない戦いだろうが、興味がなかろうが人は死ぬんだ、勝手にしろの一言で片付ける訳にもいくまい」


さて行くか、言って日依が畳から腰を離す。


「……どうした?」


「いえ、あなたが仲間で良かったとだけ」


「そりゃどんな意味かね」


返答せず、遅れてアリシアも立ち上がった。


さあ、我々の戦いを始めよう。

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