第65話

午前0時、ワイルドハントの鳳天大樹接触までいよいよ12時間を切った頃合いだ。日没後から大樹全域が雲に覆われ始め、真っ暗となった現在、目は慣れつつあるものの視界は極めて悪い。数時間前に発せられた避難命令により住民は出来るだけ下層へ移動させられており、いつにも増して静まり返った高級住宅地では街灯だけが寂しく輝いていた。


「はぁ…はぁ…!」


その暗闇を切り裂くように、黒のポニーテールを揺らしながら円花は枝先へ向け走っていく。いつでも振れるように刀は両手で握り、切っ先を左下へ。

全長122センチ、内30センチが柄で、刀身は92センチ。乱れのまったく無い直刃と、八雲肌という珍しい模様を持つ。武甲正宗と名付けられたそれは集中して観察しないと気付かないほど微弱ながら常に霊気を放っており、一度解放されればあらゆるものを薙ぎ斬るとされる。といっても円花の手に渡ってから一度も目覚めた事は無く、持ち主が危機に晒されてもそれは変わらなかった。

見ぃーつけた、と背後から声をかけられたのは30分ほど前だろうか。じゃらりじゃらりと錫杖(しゃくじょう)を鳴らして笑う赤い狐に追われるようにここまで来た、既に鳳天大樹を捨てて脱出した小金持ち達の元住処、少しくらい家を壊そうと文句を言う者はもういない。


「ち…!」


重厚な翼のはばたく音を聞いてから足を止め反転、大太刀を中段に構える。

直後、円花の正面に巨大なトカゲが降り立った。後脚で体重を支え、前脚でそれを補助する、尻尾を含めて全長8メートルの暗緑色、全身を鋼鉄並みの強度がある鱗に覆われ、前脚は飛膜の付く翼へと変化している。鋭い爪と牙を持ち、凶悪ともいえる外観の頭部は円花を睨みつけているものの、よく飼い慣らされたペットのように一切吠えず、押し殺したような呻き声を何度か響かせる程度。この30分で既に2度相対し、あの装甲を貫く術も、建築物を紙のように潰す攻撃を防ぐ術も無い事が判明している。


「さていい加減後がなくなってきたが、まだ逃げるかね?」


錫杖に付いた遊環を揺らしながらそれは雲の中から姿を見せる。


「上に逃げたのは間違いだったな、ここから落ちたらお前さんでも助からんだろ。まぁ下は避難所になってるから、人を巻き込みたくないなら上しかないか」


狐耳の付く背中までの赤い髪、あまり大きくない体を覆う黒のマントは胸元のボタン2個と下部に入った赤い横線1本のみのシンプルな形状で、その内側にはマントと同じ黒に赤のアクセントがある着物のような上着と暗灰色のプリーツスカート、それからニーハイソックスが見える。9本の尻尾を従えつつカツンとブーツを鳴らして飛竜の横で立ち止まったその少女はにやりと笑う。

日依と、最初会った時に名乗っていた。


「ふむ、では話をしよう」


大太刀を構えたまま無言で睨みつけると、彼女は竜の首を錫杖で叩いた。暗緑色の巨体は唸るのをやめ、姿勢を少し上げる。


「諏訪 円花、21歳、翔京大樹の生まれで”当時”は1歳、覚えてる訳がないな。大樹が壊滅する直前、偶然出港した漁船に乗っていて難を逃れる、乗せたのは母親だそうだ。その刀を形見代わりに孤児院に入れられるも13歳で復讐を決め失踪、ちなみに当時の院長は存命だ、道に迷ったら戻ってこいと伝言がある」


読み上げるように言いつつ足を前へ、切っ先を突きつけるように刀身を動かすもまったく反応無く彼女は笑ったまま。


「そこから今この瞬間まではたった3日じゃ調べられなかったが、鬼になったのはその間だろう?その元凶は何だ?怒りか?」


「っ……」


「ふふ、人ってのはな、復讐相手が見つからない、大した情報もないって状況じゃ怒りを保持し続ける事はできんのだ。人が鬼に変わるような感情の爆発が、ただ擦り減り続けるだけの怒りで起きるとは思えん」


動じないどころか円花の顔を覗き込むように屈み、自ら切っ先に顔を寄せた。その行動と言葉に、柄を握る両手が震える。

剣とは勢いよく振り抜かなければ威力を発揮しない、刀身に密着されては大した運動エネルギーを持たせる事ができず、一度引いて振りかぶる動作を余儀無くされる。彼女がその綺麗な肌に傷をつけるのを厭わないというなら刀を封じるにあたって最も効果的な方法ながら、おそらくこの狐は別の意味を込めている。

斬る気があるなら斬ってみろと。


「つまりだ、お前さんのその力は絶望を根源としている、仇を討つ事ができず、利己的な都合で人を殺した以上後戻りもできず、どうしようもなくなった絶望から」


「黙れ……」


「目を逸らすな、いい加減受け入れろ。認めたくないのはわかる、だがな、今のままじゃあ意味がない。お前の怒りはとうに失せて、惰性で無駄に人を殺し続けるだけの」


「黙れぇ!!」


ズン、と、円花を中心に発生した衝撃波が周囲の雲を吹き飛ばし、一拍遅れて真っ赤な炎が続く。

急に辺りは明るくなった、住宅地を撫でるように広がった炎は漏れなく家屋に燃え移り、雲を蒸発させ、中心部の2人を照らし出す。

衝撃波をいなすように後ろへ跳んだ狐は竜の横で着地し、再び唸り始めるそれをなだめて落ち着かせた。笑みは変わらず、背後にあった9本の菱形が定位置を離れ彼女の正面へ。


「私は復讐者だ!それ以外の何者でもない!」


黒い三角錐の形をした水晶が円花の頭部へ現れる。

鬼の一本角を表すように前を向き、額から少し離れた場所を浮遊するそれを従え、1歩前進し大太刀を脇構えの位置へ。


「復讐ってのは成し遂げた後の未来が見えてるからこそ意味を持つもんだ、復讐以外考えないんじゃ終わった後に虚しさしか残らん。私は奴を討つ事自体に文句を付けてるんじゃない、過程と、理由に文句がある。つってもその様子じゃあいくら言っても仕方ないか」


言って、右手の錫杖を竜の口に預けた彼女はウォーミングアップするように両手を開閉させ、やがて戦闘体勢を取った。といっても拳を握る訳でも膝と腰を落として前屈みになる訳でも無い、マントを押しのけるように両腕を少しだけ開いて自然に立ったまま、9本の刃が取り囲んでいるものの他に武器を持つこと無く、角の出現した円花の顔を見据え。


「そもそも勝てない、復讐を果たせないってのがわかれば止まってくれるかね」


その瞬間に円花は地面を蹴った。

体の左側に沿って後ろを向いていた刀身が勢いよく振り抜かれ、自身の前進も合わさって高速で狐に叩きつけられる。それが彼女に到達する事は無く、軌道を塞ぐ位置に移動した刃3本によって停止させられた。甲高い衝突音を聞きながらすぐに引き戻し、体ごと1回転を行い今度は右から薙ぎ払う。やはり自身はまったく動かず、刃だけが反応して大太刀を受け止める。続けて3度違う方向、角度から斬撃を見舞うも刀身が狐の肌に傷を付ける事は無かった。


「だぁぁぁぁぁ!!」


6撃目に合わせて大太刀が炎を纏った。武甲正宗ではなく鬼になった円花自身の能力である、弾けるような音を立てて上段に持ち上がった刀身を掛け値無しに全力で斬り下ろす。進路に割って入った刃に触れた瞬間、爆発音と共に炎が刃の防御を越え狐目掛けて浴びせられた、が、突発的かつ超局所的に突風が起こり、壁にぶち当たった炎はせき止められる。

見せ付けるようにすべて防ぎきってからようやく狐は腕を動かす、右手の指を伸ばし、手刀の形を作ってから左上へ。そして相変わらず笑ったまま、気合いを入れるように眼を見開き。


「歯食いしばれ」


袈裟斬りに振り下ろされた瞬間、円花は吹き飛ばされた。


「は…がっ!ぐぅ…!」


おそらく、炎を防いだ風を強くしたものと思われるが、手刀の軌道に沿って発生したそれは風というよりまさしく壁であり、また範囲をもっと限定していれば円花の上半身と下半身は既にお別れを果たしていた筈だ。間違いなく手加減が入っていただろう一撃を受け宙を舞い、落着して数回転、したのだと思う。気付いた時にはうつ伏せに倒れ伏しており、腕を立てて起き上がると眼前に大太刀が落ちていたので柄を握る。


「あくまで予測だが、雑兵の能力、纏った台風の大きさ、あと中心にいた中ボス的な個体の力量を考えると、これくらいが頭領格の攻撃力になるんだが、お前さん、これ何度も受けれる?」


ぐらつく頭でそんな声を聞きながら全身に力を入れる、なんとかという感じに立ち上がったものの、戦える状態にはまず無い。見ると赤の狐は遠く、20メートルは水平に空を飛んだのだろう。


「ああ無理して喋る事はない、回答はわかってるからな。ええと、何が言いたいかっつーと、身の丈に合った相手で満足しといてくれんか。お前さんの行動に関わらず明日の昼下がりにはワイルドハントは消え失せる、無理してこれ以上罪を増やす事もない」


「そんな事が…認められるか…!」


「今までやった事が無駄になるだとか、まぁそれは事実だが、今更悔やんだ所で仕方ない、すべて無駄になった後の事を考えるべきだ」


20数メートル先で狐は右手を挙げ、開いていた指を閉じると、辺りを照らしていた大火災がひとつ残らず、瞬時に鎮火した。

街灯が破壊され、一度明るさに慣れた眼も相まって、手の届く範囲に何があるかもわからない暗闇が戻る。


「以上、これを最後通告とする」


ふらつく足で立ち、辛うじて握る大太刀の切っ先は地についた状態。追いかける余裕は無く、コツコツというブーツの足音と、地響きを伴う竜の飛翔音をただ見送る。


「ぐ……」


何を考えているのかわからない。

奴も、自分も。

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