第63話

三笠と別れてから30分ほど経過しただろうか、七海が台風の目に飛び込んだ瞬間、球形の見えない防御装甲に激しく打ちつけていた雨はぴたりと止んだ。

100年以上前に枯れ、朽ちつつあった千羽大樹の枝は脆く、至る所で軋み声の絶叫を上げていたが、北側から順に台風の目に入りつつあり、ひとまず崩壊はひと段落。とはいえ既に無残な姿である、あれだけあった細かい枝はすべて吹き飛び、幹と、かつて家屋が建っていただろう太い枝を残して、なんというかすっきりしてしまっていた。このワイルドハントの風速はだいたい30m/sだが、普通の台風でも大型ならば50m/sを超える、この程度で崩壊してしまうならどうせ時間の問題だったのだろうが、風が止んだ途端に兵隊どもが退いていったため周囲を観察する余裕が生まれ、弓を構える左手を降ろしつつ、大樹の頂点を超えてそびえ立つ雲の壁の内側と、円形に切り抜かれた蒼天と共にその姿を捉えた七海の目にはとても悲しい姿に見えた。


半身が暴風域から抜け出し、主幹が雲から露出したのを見て、海上から港湾施設の残骸と思われる三和土(たたき)で作られた足場に足をかける。


気合いを入れて思いきり踏みつけるとその体は100メートルほど上空に舞い上がった、跳躍の最大到達点で垂直に立つ主幹を踏んで、ランニングシューズを履く足の裏を貼り付かせ、幹に沿って真上にまた跳躍。

何度か同じ事を繰り返し高度1000メートルを超えたあたりで生き残った枝のひとつに足を降ろす。

雲内部の荒れっぷりとは対照的にいたって静かな空間だ、事前情報ではここに頭領格の武者がいるはずであるものの、まだ姿を見せていない。確認されたのは高度9500メートル地点、もっと上がらなければ寄ってきてくれないのだろうか。そう思って跳躍を再開し更に上へ。2000メートルまで上がった段階で枝の上に建つ何かを視界に捉え、そこで上昇をやめた。

窓の無い、さびれたコンクリートで作られたL字型、短い方が30メートル、長い方が60メートルあり、幅は20メートルと少し。短い方の先端には出入り口があり、あいにく扉はどっかに吹っ飛んでしまっていたが、未だ健在の表札には千羽大樹研究所遺物研究棟と彫られていた。


「悔やんでおるな……」


びしょ濡れのそれを眺めながらぽつりと呟き、すぐに反転して主幹に戻ろうとする。



『嘆くか』


脳に叩き込まれるような低い声が響いた瞬間、弓を持ち上げ矢を番える。姿は見えず、どこから発せられた声かもわからない。立ち止まって辺りを見回すも、確認できるのは大樹を取り囲んで回転する雲の壁と、一旦遠のいた雷鳴のみ。


ふと上を見る。

金色の何かが横切った気がした。


「…………」


そこにはもう何も無く、代わりに空気を震わせるような咆哮が上がる。首を戻し、雲の壁へ視線を合わせると、丁度雲をぶち抜いて人型の物体が4つ現れる所だった。

総じて身長3メートル、それぞれ武器を手に七海へまっすぐ向かってくる。頭領と思われる赤い鎧に金の装飾の大名然とした武者、ではないが、かといって今まで戦っていた雑兵とも違う、言うなれば武将のような雰囲気。

1体目は右手に刀を握った濃緑の鎧と兜。

2体目は白と黒の格子柄の着物をはだけさせ、真っ赤な肌の上半身を露出させた大斧(まさかり)の男。

3体目は虎らしき動物の毛皮を頭からかぶった、自身と同じ長さの鎌を両手で握る水色の着物。

最後のは灰色の着物と笠(かさ)を身につけ、和弓と矢筒を携えている


「は……頼光四天王でも気取るつもりかの?」


笑みを取り戻しながら七海は漏らす。

源頼光(みなもとのよりみつ)、平安時代に実在した人物である。彼が生きていた時代は遥か昔に過ぎ去ってしまった現在、実際にはどのような人物で何を成した英雄なのかはもうわからないが、かつて京を脅かしていた人喰い鬼、狐の玉藻前(たまものまえ)、天狗の崇徳天皇(すとくてんのう)と並ぶ三大悪妖怪の一角を担う酒呑童子(しゅてんどうじ)を討伐した男とされる。恐らくというか間違いなく、本人はただ山賊か何かを滅ぼしただけなのだろう、しかし平氏から源氏へ覇権が移っていく時勢の中でその生涯は権威増強の為に脚色され、鬼殺しの異名を取るまでに到った。頼光四天王は彼に従った4人の武将で、それぞれが頼光に匹敵する力を持つとされる

あっと言う間に大樹まで辿り着いたそれらのうち、斧と鎌だけが七海を挟み込むように枝へと降り立ち、刀と弓は宙に浮いたまま傍観の体勢。


『示せ』


また脳に響く声がする、ズンと連中が着地した振動を受けながら七海は深く笑い。

すぐに唇を真一文字で結んで、両眼を見開いた。


「オオオオォォォォォォッ!!」


正面に立つ赤い肌の男が咆哮、巨大な斧が片腕だけで持ち上げられる。衣服と武器は実体として確かにあるものの、男本体は揺らめく霧のようにおぼろげで、その表情を確かめる事ができない。大斧は長い、厚い、でかいを兼ね備えたとんでもないサイズで、まともに喰らったら引き千切られるどころか跡形もなくなるのは間違いない。もっとも、あれくらいの大きさの妖怪とかは皆そうであるが。

振り下ろされたあれを右か左に避けたとして、次に来るのは背後から迫る鎌の一閃だ、奴は既に駆け出している。二次元的な機動ではいけない、ならば上。


「オオゥ!!」


兎らしく跳んで逃げる、10メートルという段違いの跳躍だが。死にきって色のくすんだ枝に亀裂が入るほどの勢いで斧を叩きつけた赤い男の真上を取り、縦回転しながら弓の弦を力の限り引く。指を離すと矢は真下へ放たれ、霧でかたどられた男の脳天に突き刺さった。

空間をまるごと揺るがす衝撃波にそいつは怯みこそしたものの大した損傷を与えられず、1回転して背後に着地してからすぐまた矢を出して引きつつ反転、間近まで迫っていた鎌に向かって放つ。寸分違わず頭部に命中し、弾かれるように仰向けで倒れる。

やはり、これではダメージが入らない。


「……ふふ…」


突き刺さった獲物を引き抜く斧と、ゆっくり起き上がる鎌を見ながら七海は笑う。

動きは遅い、どれだけ奇怪な攻撃をされようと捉えられるいわれは無い。


but


「勝てぬ!!」


何を隠そう武器はこれだけ、最大火力も今見せた。修行中じゃ兎も狐も似たようなもんだ、七海より年下であれだけ多才な皇女様がおかしいのであって。

それでも諦めるのはまだ早い、それに何か癪に触る。笑うのをやめて地鳴りを起こしつつ再び駆け出した2体を見据え、今度は避けずに突っ込んでいく。連中の獲物が落ちてくる前に懐へ入り込み、斧の足へ零距離で矢を撃ち込んだ。ゴォン!と1発いい音が鳴って、同じようにつんのめる。

背後で落着する鎌の音を聞きながら懐から脱出、枝を蹴りつけて一気に距離を取った。倒れた斧男を残して鎌野郎だけが追ってきて、確認してから矢をもう一度射掛ける。

それは鎌の脇を通過して、起き上がりつつあった斧の後頭部に命中した。再び地面に叩きつけられるそいつはひとまず視界から外し、馬鹿のひとつ覚えよろしく振り下ろされる鎌を装甲で受け止める。

雨と風を防ぎ続けていた球形の障壁だ、鎌の鋭い先端は貫通して突き刺さったものの30センチほどの浸入で止まり、運動エネルギーを失って停止した。その隙にまた懐へ、腰を落として右アッパー体勢。


「しゃあ!」


弓を用いず右手に握った矢を腹に思いっきり突き刺すと、ぶん殴られたように少しだけ浮き上がる。横薙ぎに鎌を振る反撃を縦回転を伴う垂直跳びで上に退避、回転終了後、毛皮を被った脳天目掛けて矢をダンクした。

叩き伏せられる鎌野郎の上に乗る、弦がちぎれるほど弓を引きその背中へ矢を撃ち込む。1、2、3、4、5と引いて射って引いて射って、その度に起き上がろうとする鎌野郎は動きを止めた。さて頃合いかと射るのをやめると、さすがに頭にきたらしいそいつが勢いよく立ち上がり。


「アアアアアアアアッ!!」


そこに斧持った赤い男が襲いかかってきた。


「ざぁ……」


ひょいと横に跳ぶだけで、大斧が鎌野郎の服を裂き、肉を引き千切って、一目で致命傷とわかる傷をつける。人の形を保っていた霧はバラけ、毛皮、服、鎌と共に消え失せた


「まぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


回避として跳んだ勢いそのまま枝から飛び降り落ちていき、空中で体を回して下を見ると、いつの間にか台風の目に辿り着いていた三笠が白い航跡を引いていた。目立った損傷は無い、やけに光を反射しているのはたぶん空薬莢の山だ。

その主砲が煙を噴く、さっきまで七海がいた場所が轟音を立てて爆散する。上で暴れたのが影響したのかどうか知らないが、主砲弾直撃により元々腐っていた枝は幹から引き離されるように折れ崩壊を始めた。樹上に唯一残るコンクリート製の建物ごと。

落ちた先の枝を蹴り垂直落下から斜め落下に移行、一気に三笠至近まで跳んでいく。艦橋の横、探照灯と機関銃がある場所で青い狐が叫んでいるのが見えた。


「無事ねーーーっ!?」


「こっちの台詞じゃーーー!」


折れた枝は落下しない、何かに吊り下げられているように宙を漂っている。連中か、その主人によるものだろうが、ひとまず今は気にしない。

1体始末した、あと3体いるがさすがに相手にしてられぬ。

さあトンズラしよう。

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