第19話

-瑞羽大樹沖北1.5km地点 第6艦隊陣形内




海坊主。海法師や海入道とも呼ばれる、海に関する妖怪の中ではたぶん2番目くらいに危険な沈め屋である。舟幽霊など海が時化た時に現れるタイプとは違いそのやり口は極めて単純、抱きついて船をぶち壊す。大きさに関しては個体差が激しく、水槽に入れて鑑賞できる極小サイズから今目の前にいる特大サイズまで。やぁやぁと鳴き声を上げ、オールで叩くとアイタタと嫌がる。襲撃を受けて無事戻ってきた船は少ないが、紙巻きなりパイプなり煙草が少しでもあれば生還率は大きく上がる。では煙を吹かせばコイツも退けられるのか?答えはノーだ、タバコ畑をまるごと燃やすくらいしないと鼻をむずむずさせるだけで終わる。


だったら殴るしかないだろう。


「どっせい!!」


粘液まみれのアホ面にドロップキックをかます、接触の瞬間に発生した衝撃波が巨体をよろめかせ、4つの玉から放たれた追撃弾が強引に海へ叩き落した。空中で後方2回転、露天艦橋、雪音の眼前に着地する。戦艦の真横に落ちた海坊主が盛大に水飛沫を上げ、瞬間的に起きた大雨が鋼鉄製の船体をずぶ濡れにした。


「ひ…姫様!?」


唖然とする連中を無視して艦橋を飛び降り主砲塔へ着地、右腰の太刀を抜刀しつつ左を向く砲身の上を走り先端からジャンプした。スズの体は放物線を描いて海へと落ちていき、やがて着水。

パシャリと僅かに音を鳴らして、下駄を履いた両足は沈むことなく海面に立った。極めて当然、とばかりに海の上を疾走、寄り添うように玉が続く。

一度沈んだ海坊主はその前方へ急浮上してきた。巻き上がる大波を駆け上がり頂点から跳躍、上段に太刀を構える。


「ち…!」


迎撃するように右アッパーが飛んできた。太刀を合わせる、ゴォン!と鐘を突くような音が鳴る。エネルギーを殺し切れず後方へと吹っ飛ばされ、その場へ玉を残して30メートル後退。

さらに追撃しようとしたそいつは光弾の乱射を受けて動きを止める。着水、再び突進し、今度こそ腕に斬撃を見舞った。

ぐにゅりと、ゴムを叩いたような感触だった。鱗が硬いというか粘液が厚い、細かい攻撃では受け止められてしまう。まずこれをどうにかするか、瞬間的な火力で決めるしかない。塩かけたら消えるだろうか。

ドスンドスン体中で起こる爆発を受け続けながらも海坊主が動きを再開する。風が巻き起こるほどの速度で上から迫る右腕、避けられそうにない。太刀を右脇から背後へ向け、上方へ全力で振り上げた。足元の海水が大きくへこむほどの衝撃波が巻き起こり、今度は相手を弾き飛ばした。だが今のが限界だ、斬りつけた箇所には擦り傷程度しかついていない。


「やぁ」


やぁじゃねえよ、ぶん殴るぞ。


「こんにゃろう……」


周囲を確認する。一連の格闘戦で離れていた戦艦2隻は合流、スズから距離100メートルを保ちながら旋回し続けている。その反対側には少し小さい巡洋艦、やはり100メートルの位置を周回している。3隻の外側では駆逐艦が包囲を敷いていたが、あいつら魚雷は残ってるんだろうか。左手で太刀を握ったまま右手を懐へ突っ込み符を複数枚引っ張り出す。のけぞった海坊主の腹に駆け寄りまず1枚投げつけ、反対側へ回って背中にもう一枚。続けて腕にも、と思ったが動き出した。攻撃を受ける前に後ろへ跳び、玉を呼び戻して連射を見舞う。

止まらない、慣れやがった。


「づ…!」


咄嗟に太刀を横にして防御、まぁそんなもんで防げる訳もないのだが。貰いついでに右腕へ符を貼り付けはしたものの吹っ飛んだ、戦艦の旋回ルートに達するくらい吹っ飛んだ。射撃を続ける玉をその場に残して見事な放物線を描いた後ぼちゃんと着水、どうにか体勢を整えて立ち上がる。

右手の符は残り1枚。


「姫様ーー!!」


少し遠くで雪音が叫んでいる。いいからもうちょっとだけ待ってろと心の中で返しながら三度突進。奴も向かってくるのですぐ接触し、落下してきた右腕を横っ跳びで回避、片腕だけで太刀を横薙ぎにし、水飛沫を上げる右腕に叩きつけた。片腕だろうが変わらずゴォン!と鐘音は鳴って、海坊主は横へ体勢を崩す。ぐらりと倒れつつある巨体へ向け海面を蹴りつけ、粘液まみれの右腕へ着地した。べちょべちょ音を立てながら肩へ達し、反対側の左腕へ最後の符を投げる、二の腕に貼りついた。その左腕がこっちに向かってくる、右手で右腰の短刀を引き抜きそのまま手放す、海坊主の手のひらに命中、そこで鐘が鳴った。跳ね返された左腕から目を離し、太刀を両手で逆手持ちしながら眼前のアホ面へ。


「しゃらあ!!」


力の限り振り下ろす、右目に突き刺さる。


「あ゛あ゛ああああぅぅ!!」


途端にそいつは暴れ出した。仰向けに倒れ伏し体中の関節という関節を折り曲げ咆哮を上げる。いくらももたずスズは振り落とされ、太刀を残して空中へ。


これで締めだ。右腕、左腕、腹、背中に貼りついた符の前へ4つの玉を展開、暴れ回るその巨体は無意識になのか目障りだったのか、今までずっと海中にあった足をスズ目掛け振り回し。

それを視界の端に捉えながら、太刀も短刀も失ったスズは最後の武器、M1911ハンドガンを両手で構え。


「撃てぇぇぇぇーーーーッ!!」


叫びながらトリガーを引いた。


解放された撃針により雷管が作動、火薬が燃焼し、生まれたガスに押された鉛弾は高速回転を与えられつつ銃身を飛び出して海坊主頭部、正確にはそこへ突き刺さる太刀へ。命中したか否かのタイミングでスズの体は蹴りを喰らい遥か遠くへ飛んでいく。

鉛弾が太刀へ命中、同時に4つの玉も光弾を発し、それで符と、おまけの1撃は作動した。


「ああ゛っ……?あっ…?」


金縛りに遭ったかのように海坊主は動きを完全に止めた。ビクリビクリと全身を震わせながらも仰向けのまま海面を漂うのみの物体に成り果て、スズが駆逐艦包囲網の外側に落ちてきた頃。


2隻の戦艦は爆煙と、暴風と、轟音をあたり一帯に撒き散らした。



















-瑞羽大樹標高3200m、防衛隊飛行場




ここに来てから僅か1週間ばかしの記憶ではあるが、今まで見たこともない程その平坦なだけの場所は大混乱を起こしていた。といっても理性を失った民衆が泣き叫んでいる訳ではない、耳で捉えた騒音はそのほとんどが航空機のエンジンによるものだ。陸地が無く、ひたすら平らで広大なそれと比べ遥かに狭く複雑な枝の上のみに活動範囲が絞られるため、増強しようにもできない陸軍は言うに及ばず極小規模。そして古くから海上兵器は攻め込むためのものとされ、今もその風潮が続くこの世界において、少なくとも他の樹に攻め込む理由のない瑞羽大樹は海軍でさえ魚雷艇数隻という有様である。だが攻め込む気はなくとも攻め込まれる不安はつきまとう、固定砲台をいくつ並べても払拭できない不安の解消役に選ばれたのは空軍だった。巨鳥ツェッペリン・シュターケン爆撃機10機、ゴータ爆撃機80機、戦闘機はフォッカーとアルバトロス合わせて200を超える。出撃待機状態にあるのはそのうち半分以下だが、これほどの数を一度に出撃させられる樹はおそらくそう多くない。航空機という機械に実用性があるのか判明しきっていない現状、空軍拡張に消極的になるのは仕方ない事である。しかし、先の歴史を知っているアリシアからすれば、瑞羽大樹の判断は極めて正しいと断言できる。


「蜉蝣」


「来たな、準備はできてる」


飛行場の眼下に広がる海原では先ほどまで戦艦2、巡洋艦1、駆逐艦8で構成される皇天大樹第6艦隊と、緑の装束を纏った狐の少女が暗緑色の怪物と交戦していたが、エレベーターを乗り継いでいるうちに終結を迎えたらしい、海坊主は四肢を引きちぎられ、ずぶずぶと海中へ消えていく。

出撃準備を行った最初の理由は消滅した、だが飛行場は未だに即応態勢を保っている。基地の端っこ、北側を一望できる場所に設けられた見張り台にアリシアは登り、そこに用意された無線傍受機のスイッチをまず入れた。


「まず聞いておきますが、”あの艦隊”は味方ではないのですね?」


「少なくとも偵察機は撃墜された、通信には応じないが味方じゃあない」


背後で蜉蝣が言う。

飛行場の真下といってもいい場所に第6艦隊がいる、今話をしているのは彼らの事ではない。そこよりも北に15km地点、こちらへ向かって航行する別の艦隊だ。第6艦隊は格闘戦を終えたばかりだ、おそらく気付いてもいない。

最大望遠で観測すると、内訳は戦艦1、巡洋艦4、駆逐艦16。数だけ見れば大した事はない、問題なのは質である。前弩級戦艦、装甲巡洋艦、排水量400トン足らずの三等駆逐艦という編成の第6艦隊に対し、連装主砲4基搭載の超弩級戦艦、3000トン級と5500トン級軽巡洋艦が2隻ずつ、駆逐艦もすべて1000トンを超えている。マトモにやりあっても勝機は無いし、彼らは既に1戦終えて疲労を溜め、魚雷と爆雷を使い果たしている。


「……私が試作した爆弾を用意して頂けますか?」


「いいが、爆弾っていうことは落としたら爆発するんだよな?あれ」


「その通りです」


蜉蝣が無線で指示を飛ばす、その間にこちらも傍受機を調整する。


神秘かのじょの役割は終わった、ここからは科学わたしの役割だ。

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