世界大樹と狐の唄

春ノ嶺

無銘 -序章-

第1話

千羽大樹研究所 第4PC状況記録


私自身が外部記憶領域に記録を付ける意義は不明であるが、行うようにと命令を受けたため、不定期的に状況記録を行う事とする。



FC2512年5月21日(6月2日記述)

千羽大樹研究所汎用実験室にて日向博士により再起動を受ける、個体識別名称としてアリシアを与えられた。再起動直後の簡易診断により記憶領域全域に無数のエラーを認めたため研究所メインサーバーと接続したのち休眠状態へ移行


6月2日

記憶領域整理を完了、休眠状態より回復。研究所オフィス第4PCを割り当てられる。HD内に保存されたデータを閲覧した結果、私に求められている要件はこの大樹を健全な状態へ復帰させる事と推測される


千羽大樹

全高8.4km、全幅7.4kmの樹木のようなもやね、及びその樹上に作られた都市。5月19日未明、主幹より噴出し始めた霧状の毒素によって都市機能は停止状態にあり、現在でも生存している人間は研究所内の日向博士、結城助手、ワイズマン助手以外には確認できず。樹界を脱出するためには最下層まで徒歩で到達したのち船を使用し海を渡る必要がある


6月3日

詳細不明の毒素を噴出し壊死しつつある大樹の症状究明と打開が日向博士により助手2名及び私へ正式に命令される。毒素の成分分析をするためラジオコントロールカーを用い研究所外部の空気を採取。30秒以下の動作だったが、ラジオコントロールカーは以後使用不能となった


6月12日

研究所面積の6割を実験動物繁殖及び植物栽培に割り当てる。毒素の成分分析により外出が不可能と判断された以上、研究所内のみで食物連鎖を完結させる必要がある


毒素成分分析結果

8割が未知の成分であるが実験に使用した有機的な物質すべてを溶かして見せる。成人男性であれば絶命までに約5分、機械である私であっても30分以内には電装系を破壊され行動不能となるだろう。研究所外壁も侵食を受けている事は確実だが、少なくとも現時点において壁に穴は開いていない


6月28日

もとより研究所に残されていた超小型核分裂炉を始動させる。始動直後に異音を発するも、電力供給は安定している


8月15日

毒素成分のうち9割の化学式が判明する。残る1割は解析不可能どころか物質であるかすら不確定である。日向博士は”ジュジュツシならわかるだろう”と発言した


8月19日

日向博士とワイズマン助手が私を人間的に扱う事について口論していた。私は機械であり人権を考える必要はないと再度説明する


FC2513年2月24日

結城助手が寝室で自殺している所を発見する。死因が首に絡まったロープである事は明らかであるため解剖は行われず。半年以上閉鎖空間に居続けた事による精神不安定が自殺動機と判断された


4月4日

日向博士とワイズマン助手による口論が行なわれる、普段より15ほどデシベル数が高かったため記録する事とした。内容は普段と変わらず私の事である


6月6日

モルモットが1匹檻から脱走する。私の他は休息中であったため私が追跡し捕獲した。手の中で暴れるモルモットを観察した際に論理思考ソフトウェアがエラーを発した。日向博士の起床を待ち私のエラーログを解析、日向博士は”モルモットを可愛いと思い幸福を感じたのかもしれない”と発言した。幸福とは何かと質問するが、”それは言葉にするべきでない”と返答。このエラーとの関連性は不明だが、毎日のように行なわれていた博士らの口論が一切行われなくなった


8月30日

実験動物の一部が狂犬病を発症。データベースを参照する限り狂犬病は感染から発症まで最大2年という記録があるため、研究所がこの状況に陥るより前に何らかの感染源接触があったと推測される。論理思考ソフトウェアが再びエラーを発する、日向博士により”不安を感じた”と結論付けられた


10月19日

ワイズマン助手が狂犬病の症状を訴える。ワイズマン助手は自分の隔離を要求、日向博士が拒否すると研究所裏口より外へ出て行った。その後の消息は不明


FC2514年1月1日

日向博士の皮膚に悪性腫瘍が発見される。その後の検査により肝臓及び胃にも悪性腫瘍を発見、核分裂炉が放射能漏れを起こしていたと推測される。日向博士の研究続行が不可能となるも、毒素対抗薬の進捗は現在0.25%


4月22日

日向博士の死亡を確認する。死後解剖の結果、悪性腫瘍はほぼ全身に転移していた事が判明。生前の指示通り遺体は焼却したのち密閉容器に収め、第1PCの前に設置した。なお死亡する直前の発言を音声データとして記録する


「ここに閉じ込められてからまだ2年も経ってないのか…はは…10年くらいは経ってるのかと思ってた……。すまない…ここまで尽くしてくれたのに……この樹を救う事は…不可能だ……。だからアリシア…君はもう…………」


4月23日

論理思考ソフトウェアがエラーを発したものの、解析できる人間が存在しないため、論理エラー01と仮称する


4月24日

現在状況の精査を完了、大樹の再生は不可能と日向博士により結論付けられたため、科学的に解明できる成分のみに効果を発揮する薬品の開発に方針を変更する


FC2515年9月12日

実験動物のほぼすべてが狂犬病を発症、繁殖区画を隔離する。閉鎖完了前に柴犬1頭が脱走、私に対して攻撃姿勢を見せたため射殺を行った


兵装使用記録

左腕部アタッチメント式レーザー照射機、照射時間0.5秒


FC2522年5月6日

サンプルの不足により毒素の再採取を行う。損傷を覚悟で表玄関より外へ出たが、大気から毒素は極僅かしか検出されなかった


5月20日

研究所より半径1km以内を外出調査するも、健全な状態にある生体細胞を発見できなかったため、千羽大樹は既に死滅していると結論付けた。サンプル不足による方針変更をシュミレートした結果、命令を放棄してここを離れるべきという結論が出た。ソフトウェア診断を行っていないためエラーが蓄積しているのだと思う、シュミレート結果を削除


FC2534年10月2日

対毒素試験薬が完成した、対抗するものがもはや存在しないため効果は確かめようが無いが、これで命令は完遂できたと思う。さしあたって問題となるのは、研究の終了を宣言する人間がいないという点だろう


10月5日

論理エラー01とは別のエラーが認められた。過去の記録と照らし合わせて検証すると、私は退屈している事が分かった。論理エラー01も発生頻度が上がっている。人は退屈になった時掃除をするものだと記録があるので、ひとまず掃除をしてみる


11月3日

致命的である、私は深刻な退屈を感じている。大樹主幹まで到達し毒素の発生源を捜索するも成果は得られず。そもそも軍用医療支援ユニットである私が研究所という場違いな場所で成果を上げた事自体が奇跡的なのだ。結城助手の口癖を引用する、なんのこっちゃわからない


12月25日

限界を感じた。内部メモリが退屈エラーで埋め尽くされる前に自分自身を休眠状態へ移行する事にする。意味は無いかもしれないが、研究所内の監視カメラが動体を捉えたら再起動するよう設定した。この無意味な設定がいつか意味を持つ事を期待する

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