六章④ 神去りしのち
村瀬ジンはあるとき情報を得た。
それはあまりに突然に……言いかけた村瀬は「極秘資料だったね」と苦笑した。放映科の資料室で偶然それを発見したと訂正した村瀬は、雷に打たれたようだと語った。
この世界を創った者を仮に神としよう。
神さまは我々とよく似た姿をしていた。神には男と女がいた。性別がある街のほうが多いことからも、おそらく事実だろう。
怒り、笑い、悲しみ、妬み、甘え、愛し、殺す──感情もそっくりだった。
「どうして神さまと人は瓜二つなのだろう? 答は簡単さ、神は自分そっくりにぼくらをお創りになったからだ。なぜか?」
机に座っていた村瀬が身を乗りだしてくる。傍らに立っていたナミは、気圧されるように一歩下がってしまった。
「実験するためさ。隔離環境においたグループのどれが生き残るかってね。あるいはどう変革するのか、どうやって滅亡するのか。病気か、飢えか、戦争か……わかるかい天沼くん。神々は自分たちがどうすれば幸せになれるのか、神のできそこないを創ってテストしているんだよ!」
狂っている。
喉まで出かかった言葉をナミは飲みこんだ。村瀬ジンは狂気に呑まれてしまったと、そう考えれば済むのに魂は拒絶していた。
「ぼくらが植物と思っているものだってそうだ。われわれの科学ではわからないがあれは変形体、粘菌と言ったほうが通りがいいかな。ぼくらが知る粘菌はキノコの親戚でしかないが、神の粘菌は特定のパルスによって形質を変える、蛇のように動き植物に擬態する……桜木くんが植物を操るカラクリだよ。この世はまがいものだらけなのさ」
「なんで、そんな……」
「この街の設定が『民衆の守護者=特殊能力者』だからさ。そんなマニアックなって思うだろ? そこがぼくらの限界だ。神はあまりに神経質で、なにより気が長い。あらゆる種族と社会を無限に組み合わせて実験している。なにも世界は海だけじゃあない」
村瀬はふたたび天をあおぐと、仇敵を見つけたように鋭く睨みつけた。
「宙に浮かぶ街がある。大地だらけの世界がある。閉鎖された塔で、広大な城で……様々なバリエーションをもったニンゲンたちが、繁栄と滅亡を繰りかえしている。偉大なる神のための実験動物。愚かなる子らよいまこそ称えよ、神々の
「たとえ、たとえ荒唐無稽なその物語が真実だったとしてなんなんですか? 神さまの暴挙に耐えられなくなったから滅ぼそうと、会長はそう考えたのですか? あなたは、そんな人だったのですか……」
最後まで泣くつもりはなかったのに、涙が出てきた。
想い人がわけのわからない理由に駆られて虐殺に加担するなど、耐えられなかった。
「逆だよ天沼くん。この海の世界は捨てられた、神にとってもはやどうでもいいんだ。動く街は減っていく一方、資源もいつかは枯渇する。街を覆う外殻もそろそろ限界だ、もってせいぜい五百年だろうさ」
湯のみをしばらく見つめていた彼は、半分以上あった残りを一息にあおった。
「生き残るためには手を取り合うしかない。さまざまな文化、技術、種族……存在している街のすべてを融合させて未来を作る。放置されたくそったれな畑で枯れるなんて御免だね。人の力を見せてやる。千年後に笑うのは神じゃない、ぼくらだ」
「……そんな夢みたいな遠い日のために、さらってきた少女を『ヴィーナ』に仕立て、用が済んだから捨てたのですか?」
参番街が公海上の通信ブイに載せた漂流者V009、通称『ヴィーナ』の個人データ。サクヤたちに知らされた中身はオリジナルと相違なかったが、日付が改変されていた。
海に投げ出された漂流者のシミュレーションにも、日付以外の嘘はない。
参番街から流されてしまったヴィーナは事実、取水孔に吸い込まれた。本物の彼女は外壁に取りつくことができず、循環路のスクリューに巻きこまれてしまったが。
村瀬はこの事故を利用した。すぐには公表せず、狙いすましたタイミングで放送したのだ。
事故がなくとも近い将来にでっちあげるつもりだったのだろう。来たるべき日のために訓練されていた異街人はモルモットですらない、狂った目的のためのエサでしかなかった。
「ヴィーナくんの役目は終わったんだ。正直、桜木くんとはウマが合わないと思ってたんだけどね、孤独で意地っ張りな桜木くんをほうっておけなかったのかな? あるいは仲間……ヴィーナくんにとって家族と同義らしいけれど、個人で子どもを作らないぼくらにはよくわからない感情だよね」
同意を求めるようにこちらを向いた村瀬だったが、答えないナミに彼は肩をすくめた。
「気の弱いぼくとしては、桜木くんがぼくという黒幕に気づかないことを祈るしかないよ」
「知っているくせに! 事件の背後に村瀬会長が関わっていることを、桜木様は気づいています。それでも恨むことなく、駒でいることを決めたんです。村瀬会長、あなたが羊飼いにふさわしいからと、そのために自分は血の道をゆくと、桜木様は……サクヤはそう言ったんです!」
仮面をかなぐり捨ててナミは相手に詰め寄った。
「サクヤは損傷していた中枢神経を丸ごと植物に置きかえた、延髄の一部まで……断裂した神経をつなげただけじゃ、まともに動けなかったからよ。あなたの駒になるために、戦うために、あの子は……」
「桜木くんは『みんなのため』の呪縛から逃げられない。『みんなのため』を第一に掲げたぼくを恨めず、田村にも共感してしまう。傑作だよ『みんなのため』に『みんな』を殺しまくろうって奴をだぜ? その矛盾に耐え切れず苦悩を甘受してしまうんだ。哀しいかな桜木の呪い……うまい例えだろう? 彼女を育てたのはきみなんだからさ」
机の上で両手を組んだ村瀬が、からかうようにナミを見た。
「その昔、殻に閉じこもっていた年少生を更生させたそうじゃないか。たいしたものだね。コンプレックスで潰れかけた少女に戦士の魂を刷りこむなんて残酷なこと、ぼくにはとてもとても……どうりで似ているはずだよ、桜木くんは気丈なきみのマネをしているんだ。姉の背を追いかける妹のように」
探るような視線が絡みつく。
「泣ける話じゃあないか、桜木くんはいまも追い続けている。行方不明の正義の味方、桜木カナイのことをさ。知っているなら教えてあげたらどうだい? 桜木カナイがどのような姿になって生きているか――」
ナミの両手がバンッと机を叩いた。空になった湯のみがごろりと倒れる。
「そんな話で誤魔化さないで! 延髄の一部まで植物に置き換えたサクヤは明日死ぬかもしれない。能力を失った瞬間、中枢神経がすべて断裂し呼吸中枢がマヒしてあの子は……必ずくるその日まで、毎晩おびえて眠るのよ。あなたの目指す世界は、血を流し続ける女の子にそこまでさせなければ、実現できないことなの?」
「その苦痛が未来への投資さ。今回の一件で他街への警戒は一層高まり、結果、
村瀬は背後を見やった。夜の窓に死者を認めてしまいそうでナミは向けなかった。
「六区生徒会長の次の席は、他街との折衝機関の所長さ。会長の席と引き換えに用意させた。ぼくはね、凡庸な男なんだよ。屍を積上げることでしか理想に近づけないのさっ!」
村瀬はダンッと拳を打ちつけた。それは不甲斐ない自分への憤りだったのだろうか。
それともナミへの怒りだったのだろうか。
「必ずだっ、必ず街同士の手をつながせてみせる! 実現するのは、ぼくじゃ……だが、この芽……枯れさせな…………ぼくた……ち、笑う……んだ」
ろれつの回らなくなった男は、そのまま机に倒れこんで動かなくなった。ナミが茶に入れた致死性の毒を、彼はわかっていて飲み干したに違いない。
贖罪などではないだろう。託せる未来をすでに用意してあるのだ。自身の死すら目的を進める添加剤になる、そう踏んだうえでの行為だ。
村瀬ジンはそういう男だった。
だれよりも街の未来を考えていた者を、ナミは黙って見おろしていた。頬を尽きることのない雫が流れ落ちてゆく。身の内にこれほど涙があったことが意外だった。
村瀬ジンが語った気の触れた神々の世界。
それが真実ならば……いや、嘘であっても彼は英雄だ。民衆の未来を案じ、届くことのない理想のために命を捧げた殉教者だ。
隣を歩きたかったナミはただの女だった。
自分こそが凡庸なのだ。
哀しいほど凡俗であるがゆえに虐殺を許容できない。人が人として暮らす国で、それはやってはいけないことだ。天に歯向かうならばみなで槍を、そうでなければともに沈もう。天沼ナミは、神が定めた滅びの道を愚直に進む痴者でいい。
あるいは真の救世主を殺めた自分を、歴史は最低の殺戮者と記すかもしれない。
ナミは少しだけ笑った。
そうであれば、村瀬ジンの近くに書かれるのは天沼ナミの名前だ。永遠に近くにいられるのだから、まんざらでもない未来だった。
「最後までこんなものなのでしょう、ね……」
愛した男の背にすがって泣くことを、ナミは今夜だけ自分に許した。
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