四章⑩ インターミッション/9年前
海は生命の母だという。
街が子であれば飲む乳は原油だから、海の乳房は海底油田だろう。人のそれが胸にしかないように、油田の場所も限定されていた。
それなりの埋蔵量が見込まれているせいか独り占めはなく、むしろ積極的に分けあっていた。汲んでいた油層が尽きれば、近くに新たな油層を探して採掘する。一度には飲みきれないので設備は丸ごと残しておく。別の街が続きを飲めるように。
猜疑心の塊が互いを思いやるという、世にも珍しい光景が拝める場所が油田だった。
その日、零番街はたっぷり残っている油層から原油を吸っていた。
同日、腹をすかせていた参番街が、数ある油田の数ある油層の中で、たまたま同じ場所を目指してしまったのが始まりだった。
悲劇は偶然の積み重ねによっておきる。
数週間前に海流が変化し、油層の真上に変温層ができていた。変温層の中で音波の進行はゆがみ反射する。ソナーによる探知が難しい舞台ができあがっていたのだ。
給油を終えた零番街はアンカーをおろした状態で推進機関を止め、整備に入った。
沈降してくる参番街も推進機関を止め、静音潜航の試験を実施した。
双方の街ではそれ以外にも検査やらイベントやらが重なって、センサーやソナーの警戒が薄くなっていた。気のゆるんだクルーが操る街は、ただでさえ探知しづらい状況で静かに近づきあっていたのだ。
気づいたタイミングは同時。
着底状態の零番街はできうるかぎりの大声でアクティブソナーを鳴らすことが限界で、参番街はメインタンクを緊急ブローして浮上を試みることが精一杯だった。
即座に状況を理解した双方のソナー員は祈ることしかできなかった。
一人でも多く生き残れるようにと。
もはやどうあがいても回避できる距離ではなかったのだ。積み上げられた不幸のチップは、巨大な街同士の衝突圧壊による全滅にベットされていたのだから。
悪夢のルーレットを覆したのは、最後まで諦めなかった操舵員だ。
させるものかと、急な舵と無茶な圧搾空気の噴射で横倒しになりながら沈む参番街。落ちてくる街と反対方向に圧搾空気を全力噴射した零番街は、跳ね上がりながら真横にズレ、沈んでいた何本ものアンカーの鎖を目一杯に張らせた。
くじけなかった勇気はふりきっていた不幸の針を戻した。
張った鎖の列に真横になった参番街の舵が引っかかり、超巨大な船体をわずか数メートルの距離をもってすれ違えさせたのだ。無茶な姿勢の街は側面にある取水孔を接触させ、互いを支えあうように止まった。
掛け値なしの奇跡。
歯噛みした悪魔はしかし、すぐに柔和な顔になってほくそ笑む。
致命的な浸水を免れた取水孔。二つの街ががっちりと食い込みあったことによる最後の奇跡であったが、それが不幸の架け橋となることを悪魔は知っていたからだ。
数時間後、参番街の人間が壊れた取水孔から入ってきた。第七学区の管轄エリアだ。
傾いた街の中、停電状態で情報を得られなかった彼らは、必死の思いで避難してきただけだった。別の街に侵入してしまったことすら、この時点では気づいていなかった。
天地がひっくり返るような事故の衝撃から立ち直る間もなく、あきらかに体格の違う人種と鉢合わせした人々の驚きは、筆舌に尽くしがたいものだったろう。
同じ服を着た同じ顔だらけの子どもたちと、屈強な肉体をもつ大柄な老若男女。ケガを負った者たちの、デマが飛び交う災害現場での遭遇。
不幸な出会いは、死傷者数のカウントを増やしていった。
戦争に発展しかねない事態を治めたのは一人のミコトだった。
当時の七区を守り続けた静かなる魔女。とびぬけて強大な
生徒総会の結論を待たずして単身参番街へ渡ったカナイは、紆余曲折を経て支配層との邂逅を果たし、争う旨がないことを告げるとともに復旧を第一に望んでいることを伝えた。
民間人殺害の理由を問われたカナイは不幸な行き違いであると説明し、零番街の意思ではないことを強調した。疑惑をぬぐい去ろうとしない相手にカナイは能力を発動。周囲数百平米に存在する、人間以外の生物をまたたく間に殺し尽くしてみせた。
『試練をともに越えんとする友人に、この力が放たれることはないでしょう』
苔すら殲滅された黒い大地で静かに告げた桜木カナイは、相手の国を汚した非礼を詫び、その場で自らの右腕と右脚を切り落とした。
後日、白旗を掲げた使者が零番街に現れ、二つの街に友好条約が結ばれた。
彼らが運んできた担架には桜木カナイが乗せられ……。
シーツにくるまったサクヤは九年前の事件を思い出していた。
当時のサクヤは年少生で、まだ能力を発現していないただの小娘だった。自分が桜木カナイの遺伝子を継いでいることは知っていた。基本ゲノムからの変異が多く分身と名乗るのもおこがましい劣化コピーだったが、少女にとって最大の誇りだった。
だからこそ許せなかった。
よそ者のせいでカナイ姉さまは手足を失った。人の家にぶつかって押し入った挙句、住人に危害を加えるとはどこまで腐っているのか。この先、押し入り強盗の指導者と会うことがあれば、辱めたうえで八つ裂きにしてやる。
峰上ククリから詳細を聞いたサクヤはそう誓った。
単独で敵地に渡った桜木カナイをサポートしたのはククリだ。彼女は九年前にはすでに学生で、能力も覚醒していたミコトだからあらゆる意味で先輩にあたる。
『サクラギなんてヤメちゃえばー? カナちゃんを継ぐ資格カッケラもないしー』
折に触れて復讐を口にするサクヤに、ククリがつまらなそうに告げた。以来、彼女から離れた。もう一緒に暮らしていけないと思った。
ミコトになったサクヤにとって、峰上ククリは心を許せるただ一人の友人であり恋人でもあったが、この侮辱は許せるものではなかった。以降、利害関係の一致した他人として接してきた。
いまならククリが正しいことがわかる。
不要だと切り捨ててきたものは、正しき者との絆だった。大切なことを教えてくれた人たちは愛想を尽かし去ってしまった。捨てられたのはサクヤだった。
暗い部屋で一人ぼっちのサクヤは思う。
あの頃からなにひとつ成長していないのだと。
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