第24話

 俺だけがこーちゃんの病室に出入りできるようになって、かなりの時間が経った。

相変わらず源爺が送迎してくれて助かっている。

俺の両親もこーちゃんの事を心配してくれているが、二人で喫茶店を休みなく切り盛りしていて時間が取れないでいた。


両親がこーちゃんのお袋さんに挨拶に行った時は、そのやつれ様に酷くショックを受けて、彼らは彼らなりに何かできることはないかと考えた。

親友の絵を1枚借りて店内に飾り、再び目が見えるようになるための治療費の募金を始めてくれた。


これには俺も頭が下がるばかりだ。

飾ってあるのは犬と戯れる瞳ちゃんの絵だ。

解説には「愛しい恋人を犬に取られて嫉妬」と書かれ、本人が見たら赤面物だなぁと他人行儀を装うことにしている。


ちなみに高賀山自然の家の管理をしている白井おばさんも募金をやってくれている。

飾ってあるのは30年前の洞戸北小学校。

この絵を描いたのが中学生というのもウケている。

何せ、ここが学校だった頃の趣をまったく知らずに描いたのに、溢れ出る生活感が凄い。

むしろ、当時通っていた人が見て驚いたほどだ。

本当は30年前に通っていた人が描いた絵だろ?と。


そういった活動を知った高賀神社の神主も募金を始めてくれた。

飾ってあるのは高賀神社の休憩小屋から見下ろす高賀山。

色使いが微妙で誰にも真似できないと思わせる迫力と、神々しい雰囲気が境内にピッタリだ。

円空ゆかりの地として訪れる人までが足を止め、絵に感動し募金してくれている。


 彼の絵は見る人を魅了する。魅了してやまない。

瞳ちゃんがこーちゃんの絵をもっと多くの人に見てもらいたい、自分だけが独占したら勿体無い、なんてことを言っていたのを思い出す。

俺もそう思う。

募金額は凄まじいことになっているし、高額で売って欲しいという人まで現れた。

個展のお誘いもあるとかいう話をお袋さんから聞いたが、その全てを丁重に断っているそうだ。


本人が目覚めたら改めてお話を聞きますということで、聞いた連絡先は10件を軽く超えている。

断った理由として、お袋さんが心配しているのは、もしも目が治っても絵への情熱が保たれているかどうかという点だ。


 正直なところ現状を考えると難しいと思ってしまう。

鉛筆を持っただけで発狂し、あの一件以来、「絵」という言葉すら遠ざかってきた。


あれから4年が経った。


 俺は今年高校卒業する。

目標に向かって結構頑張った。いや、超頑張った。

警察官になるべく警察採用試験対策もバッチリ。

一応柔道道場に通って、採用試験に加点となる段位も取得した。


こーちゃんのことも大切だが、俺は俺なりに、二人に対して何か出来ないかと色々考えてみた。

とーちゃん達の募金活動なんてのに、触発されてはいないと言えば嘘になるなぁ。

まぁ、ぶっちゃけ俺もあいつの絵の虜の一人ってわけだし、それよりも何よりも、あいつは俺の親友だ。


そんな俺に何ができるか。

そこで目指せそうな設定として、高賀山自然の家の近くにある交番勤務ってのを考えついた。

これなら二人の近くにいながら、いざという時、そう、8年後の決戦の時に、もしかしたら役に立つかもしれない。


たったそれだけの為に警察官になるのかと問われると、案外そうでもない。

今いる駐在さんは、いつもサボっていて羨ま…、いや、いつも地域の事を考えていて奮闘していて、俺もそういうの良いなって、単純に思ったのもある。


兎に角、最初はここに勤務して、それからその先を考えればいいや。

今は人生の目標とかわかんねーし。


そうと決まれば、後は努力するだけだ。

長続きしないと両親は言っていたけども、案外なんとかなりそうだ。

そりゃそうだ。

ほぼ毎週こーちゃんの様子を見に来ている俺としては、辛うじて闇堕ちしていない彼を何とかしてやりたいという、信念みたいな物が生まれて、それにすがって走ってこられたのだから。


後3年で瞳ちゃんが戻ってくる。

彼女は看護系の短大を受けるようだ。

進路指導の先生がしつこくて、有名な大学に進学しろと言われ続けた。

根負けして、東京の一流大学も受験するみたいだけど、受かっても行かないって決めている。


短大の内申はほぼ確定。

まぁ、県内どころか中部3愛知・岐阜・三重合わせてもトップクラスの成績に加え、剣道の方も雑誌に載るぐらいの結果を残したしな。

短大卒業後は、こーちゃんの入院している総合病院に就職するという将来像だ。


こっちはそれほど問題無いかもしれない。

今までの努力が、結果を出そうとしている。

まぁ、簡単に言ってしまえばそれだけのことだ。

だけどこれは、並大抵のことでは成し得なかっただろう。

それは彼女と会った誰もが知っている。

流行りの遊びも、

流行りの歌も、

流行りのおしゃれも、

何もかも捨てて手に入れようとしているものだからだ。


 とはいえ彼女も人間だということを、周囲の人達は忘れていたかもしれない。

延命した彼女の鬼気迫る努力と結果は、最大限の賞賛を送っていい。

だけど、その栄光に隠れていたけど、彼女はいつもこーちゃんの事を心配していた。

それこそ、彼のためだけに今までの時間の全てを費やしてきた。

だからこそ流行りには乗らなかった、いや乗る必要がなかったと考えていたかもしれない。


そんな彼女の弱い部分が露呈した時、彼女もまたピンチとなってしまった。

何年も会えずにいた瞳ちゃんは、ついに病院で大騒ぎを起こし精神的にガタガタになってしまう。


「光司に会わせて!」

廊下で響く女性の声。

俺はいつも通りこーちゃんの病室にいた。

直ぐに瞳ちゃんだと分かった。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁあああぁあ…。光司!こーじ!」

いつもと違う状況に俺は少し動揺する。

直ぐにマズいと感じ廊下へ出る。


そこには泣き叫ぶ瞳ちゃんの姿があった。

看護師達に取り押さえられ、何かを求めるその姿にいたたまれなくなった。

だけど俺は自分のポジションを忘れてはいない。

ここで彼女を堂々と助けてしまっては、仲間だとバレてしまう。

俺はよそよそしく近づき、そしてなだめることにする。


「すみません、静かにしてもらえませんか?」

ちょっと語気を荒げておく。

そうすることにより、大切な友人を思う一人の青年を演じる。

彼女は涙ながらに俺の両腕を掴んで何かを言おうとしてやめた。


察してくれた。

だけど、その時の彼女の瞳が忘れられない。

悲しさ、絶望、苦しさ…。

色んな負の感情に溢れていた。


彼女は口をパクパクさせて何かを言おうとしたが、ガックリと肩を落としヨロヨロと立ち上がると、トボトボと帰っていく。

誰にはばかることなく涙を零しながら。

俺は胸を痛めた…。

辛いのは自分一人じゃない。


だけど今は、自分達が出来ることからやろう。


そう声を掛けたかった。

俺の想いは届いただろうか…。

頼む、届いてくれ…。


俺は病室に戻り、こーちゃんの手を強く強く握った。

(みんなの想いが届きますように…。)

ガラにもなく祈った。

もうそれしか出来ない。


彼の姿は、まるで生命維持装置に繋がれた患者のように、見るからに痛々しくなっているからだ…。

(届け…。届いてくれ…。)


そんな時だった。

彼の手にほんの少し、一瞬だけ力が入ったように感じた。

ハッと彼を見ると、口を開けてモゴモゴ動いている。

「こーちゃん!俺だ!類だ!」

彼はワナワナと震え、そして言った。


「今は夢の中…?それとも…現実…?」

俺はいつの間にか泣いていた。

これでも…、こんな状況でも彼は生きている。

久しぶりにそう実感したからだ。


「現実だぞ!しっかりしろ!いったい何人の人達に心配かければ気が済むんだ!」

激励のつもりだった。

彼は口元をギュッとつむる。

「俺…。もしかしたら死んじゃった方がいいのかな…。」

この野郎!!!!


「バカ!!」

俺は更に手に力がはいる。

「何も心配しないで、早く帰ってこい。みんな、おまえの帰りを待っているんだぞ…。」

その声は震えていた。


「瞳の声が聞こえた気がしたんだ…。」

「瞳ちゃんは彼女なんだろ?来て当たり前だ。だけどおまえがだらしないから、会わせてもらえないんだよ!」

「絵が描けない俺なんか…。」

プチンッと何かが切れた。


「ほんとお前は大馬鹿野郎だ!お前のせいで彼女は毎日泣いている!いつまで悲しませるつもだよ!!!」

「瞳が…、泣いている?」

「あぁ、おまえのせいでな。彼女はこーちゃんが絵が描けようが描けまいが関係ない。お前という人間が好きなんだよ。早く迎えに行ってやれ!」

「…。」


彼は何かを考えこんでいた。

これはチャンスだと感じた。これほど考えることもなかったからだ。

「おまえの治療費を稼ぐ為に、親父さんは釣りを辞めて休みなく働いてるし、お袋さんもパートに出ている。それに俺の両親や白井おばさんや、高賀神社の神主さんまでおまえの絵を飾って募金を呼びかけてくれている。」

言ってからしまったとも思った。

絵の話題はまずかったか…?


「俺の絵で…?」

「そうだ。そのおかげで長い間入院出来ている。こーちゃんの絵を買いたいって言う人や個展をしないかって話も来てるぞ。」

彼は…、潰れた目から涙を流していた…。


「類…。俺は…、本当は…、絵が描きたいよ…。」

「描けるさ!その為に皆頑張ってる!肝心のお前が頑張らないでどうする!?」

「でも…、そのせいで瞳の病気が…。」

「今は治せるんだよ!」

「…。」


彼はボロボロ泣いていた。

やっぱり絵を描きたいんだ。

今はこの気持にかけるしかない。

「お前が絵を描いてる傍にいてやる。いや、その役は瞳ちゃんかな。みんながお前の描く絵を楽しみにしている。だからしっかりしろ。」

「…。」


今度は彼が、強く強く手を握ってきた。

「まずは一般病棟に移れるよう、早く回復しなくちゃならない。しっかり食べて、昼だか夜だか分からない生活から脱出しろ。話はそれからだぞ。わかったな?」

彼は小さく2度うなずいた。


久しぶりに聞いたはずの瞳ちゃんの叫びが…、彼に届いたのかもしれない。

だけどこれは諸刃の剣だった。


村田は回復傾向を見せた彼を再び追い込もうと薬漬けにしたからだ。

これはもう、あいつとの全面戦争。

絶対に負けるもんか!

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