エージェント・ベイビー
またみちるちゃんてば、オレに話しかけてやがるな。
まあね、アンタは母親としてよく頑張ってると思うよ。ダンナの協力アテにできない中でさ、まだぜんぜん若いのにさ、偉いよ。それは一番近くで見てるオレがよーく分かってる。
でもな。
まだ1歳にもなってない赤ん坊に、今日の晩ご飯何がいい? とか訊くな。答えるわけないだろ。よしんば「今日はモツ鍋と日本酒なんてどうだろう」ってオレが主張したって、無視だろ。どうせまたほ乳瓶でミルクなんだろ。
……まあ実際、何もしゃべれないんだけどな。
とかなんとか考えてる間にも、勇飛はキャッキャ言って喜んでるし、みちるちゃんはにっこりだし。オレはそれを見て聞いて居るだけ。勇飛の中に入ってる幽霊みたいなものでしかないオレには、何もできない。声も出せない。
赤ん坊ライフを実体験しながら、神様が言ってた『家族の危機』が起きる時をじっと待つばかりの毎日。生前の罪を償うために、オレにはその『家族の危機』とやらからこいつらを救う、って使命が課せられた。そいつをやり遂げるまで、オレはずーっとこのまんま。
だから正直さっさと済ませたいのよ。不謹慎だけど、早く危機来いやって思っちまう。
はあーあ。「モツ鍋で一杯」とか考えるんじゃなかったなあ。あー酒飲みたい、タバコ喫いたい……。
ん。
どこだここ。ビニール張りの……無菌室? 病院か?
勇飛、入院してんのか? マジかよ。いつの間に?
ああ……。これ、絶対やべえ。人工呼吸器なんか付けられてるし。心臓もなんか弱々しいぞ。
みちるちゃん、今ごろオロオロしてんだろうな。あのダンナはいっつも留守だから、どうせ今だって一人なんだろうし。心細いだろうな。
おい、ダメだぞ、勇飛。死ぬな勇飛。
母ちゃんを本当に一人ぼっちにする気か?
お前の父ちゃんはアホだ。家庭を顧みないダメ親父だ。だからお前が母ちゃんを守るんだ。強くなれ勇飛、病気になんか負けんな。死にそうでも死ぬな。
頑張れ勇飛。頑張れ!
もっと息吸え。心臓動かせ。なんの病気か知らねえが、諦めんな。
生きろ勇飛。生きろ!
ああ。
何時間たったんかな。もう朝だ。なんでオレまでこんなに疲れてんだろうな。幽霊なのに。
しかしよく頑張ったな勇飛。お前生きてるぞ。もう、大丈夫だな。
お、みちるちゃん来た。
あ? 馬鹿ダンナもいるぞ?
なんだこいつ、泣いてやがる。泣くほど心配なら普段から家空けんなアホ。
「何が大事かようやく分かった」だと?
本気か? 本心か?
……。
本心、みたいだなあ、とりあえず。
……なんだよ、良かったじゃねーか馬鹿ダンナ。オレが最期まで気づけなかったものに気づけてさ。
オレの女房も息子も、オレが愛人の家に居る間に、火事で死んじまった。オレはもう、首吊る以外になかったよ。正直さ、あそこまできついとは思ってなかった。ぜんぜん、これっぽっちも俺は、分かっちゃいなかった……。
だからお前は、ツイてるよ。馬鹿ダンナ。
よし、心配すんな。もし『家族の危機』が来ても、神様に派遣されたオレが何とかしてやる予定だから安心しろ。なあ神様。
ってあれ? 神様何してんのこんな所で?
「お前の使命は果たされた」って何? 何言ってんの。まだオレなんにも……。
あ、そういうこと?
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