第十六章 吸血衝動編

266.休息-Rest-

1991年7月14日(日)PM:14:25 中央区特殊能力研究所五階


「笠柿さん、あなたが来る何て珍しいわね? コーヒーでいいかな?」


 ソファーに座っている笠柿 大二郎(カサガキ ダイジロウ)。

 彼に問いかけたのは白紙 彩耶(シラカミ アヤ)。


「はい、ありがとうございます」


「気にしないで。インスタントだからそんなにおいしいわけじゃないけどね」


 優しく微笑む彩耶。

 笠柿は、少しだけ心が和む気がした。


「はい、どうぞ」


 笠柿の前にコーヒーカップを置いた彩耶。

 テーブルを挟んで反対側のソファーに座る。


「最近はどうかしら?」


「そうですね。あいかわらず、おかしな事件は起きてます。正直協力要請しようか迷っているものもありますね」


 彩耶はコーヒーを一口飲んだ。


「そうなんだ? 気兼ねなく要請してくれていいのに」


「そうしたいんですけどね。最近上の渋り具合が悪化してましてね」


 笠柿は苦渋の表情になる。


「たぶん、縄張り争いなんて阿呆な事考えてるんですよ。刑事(デカ)の仕事は犯罪の取り締まりであって、縄張り争いじゃないのに」


「縄張り争いか。それは私達にも言えるかもしれないわね。ここでさえ、未だに私達に反感を持ってる人達はいるもの」


「お互いに大変ですね」


「そうね」


 笠柿はそこで、コーヒーを二口飲んだ。


「それで今日お伺いしたのは、龍人が何処に行ってるか知らないかと思いまして」


「三井君? うーん? 特に聞いてないかな。見つからないの?」


「はい。少なくとも昨日は帰宅してないようです」


 少し思案する彩耶。


「義彦君と柚香ちゃんなら何か知ってるかも?」


「それは私も考えたのですが、学園の番号がわからなくて」


 苦笑いの笠柿。


「そっか。時間は大丈夫かな?」


「はい」


「それじゃ、ちょっと待っててね」


 立ち上がった彩耶。

 事務机の電話機から何処かに連絡し出した。

 笠柿は、コーヒーを飲んでいる。

 ひたすら彼女が電話を終えるのを待った。


「笠柿君、柚香ちゃんは何も聞いてないそうよ。実は今日学園でちょっとしたトラブルがあってね。義彦君は直ぐには電話にでれなさそう」


「そうですか」


「後柚香ちゃん、事務所の鍵は持ってるそうだから、必要なら来るそうよ? どうする?」


「あ、いえ。わざわざ来て頂くのは申し訳ないです」


「そう。わかったわ」


 再び、受話器を耳に当てた彩耶。

 二言三言話した後、電話を切った。

 ソファーに戻ると、一枚のメモを笠柿に差し出す。


「学園の電話番号と、義彦君と柚香ちゃん、それぞれの部屋の電話番号よ。柚香ちゃんが、戻る時に署に電話した方がいいか聞いてきたわ。確認して笠柿さん本人に折り返させると伝えてあるけど?」


「そうですか。ありがとうございます。後で電話してみます」


「ええ、そうして下さい」


 笠柿はコーヒーを一気に喉に流し込んだ。


「お時間拝借して申し訳ありませんでした。コーヒーご馳走様でした」


「お粗末様でした。また何かあれば遠慮なく来てくださいね」


「はい、それでは失礼します」


 律儀に一礼して立ち去る笠柿。

 彼が立ち去った後、一人ソファーに取り残された彩耶。

 彼女の表情は酷く思案気だ。


「伽耶も沙耶も無事で良かったけど。霊力の使いすぎでダウンしちゃったか。元魏さんに相談してみようかしら」


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1991年7月14日(日)PM:14:37 中央区精霊学園札幌校時計塔五階


 吊るされている左手。

 右手一本で、悪戦苦闘している。

 古川 美咲(フルカワ ミサキ)は書類の決裁をしていた。


「いざ使えないとやっぱり不便なものだな」


 彼女はシニカルな笑みを浮かべた。

 黙々と事務仕事に勤しんでいると、扉が開かれた。

 古川を視界に捉えたファビオ・ベナビデス・クルス。

 驚きにあんぐりと口を開けた。

 彼の顔に思わず失笑してしまう古川。


「理事長!? 何してるんですか?」


「何って仕事だよ。早急に決済の必要なのは片付けとかないとな」


「いや、確かにそうですが、せめて今日一日位はお休みになられた方がいいのでは?」


 詰め寄るかの如く捲くし立てたファビオ。

 対して涼しい顔の古川。


「元魅にも二日三日は絶対安静にしてろって言われた」


「だったら!?」


「まぁ、急ぐ必要のだけ終えたら戻るさ」


「・・・・わかりました。何を言っても動かないでしょうし」


 渋々引き下がったファビオ。


「良くわかってるじゃないか。茉祐子に見つかる前に終わらせないとな」


 何気ない古川の言葉。

 明日も同じ状況になったら、竹原 茉祐子(タケハラ マユコ)に伝えよう。

 彼は心にそう誓った。


「ファビオ、ついでだから、状況を教えてくれ」


「え、あ、はい。三井さん、白紙姉妹、中里さん、桐原さんは霊力の消耗が激しいので、数日は安静が必要。うち三名は負傷しているのもありますしね。三井さんはいまだ意識を回復していません」


「それで」


「陸霊刀さんは、三井さんの霊力を込めたクリスタルを大量に保有していた為、そのクリスタルにより大丈夫かと思われます。エレアノーラさんは軽症。春季さんと麻耶さんも当分は安静が必要です。他生徒職員含め、軽症を負ったものが十二名。いずれも一週間もあれば動けるようになる見込みです。山本が使用していた三体の一級霊装器ですが、一体が重態、一体が重症、一体が軽症です。現在事情徴収が可能なのは軽症の者一名のみ。学園の破損箇所については、十五日一時から自動修復開始予定。植物体の残骸については、職員と一部の生徒が協力して処理しています。破損の軽微なものを十体前後選んで、後は焼却処分予定となっております。あとあの四人ですが、かなり疲労を感じているようでしたので、部屋に戻って休むように指示しました」


「報告ありがとう。それとすまんな。本来であれば、私が指示するべき事もあったのに」


「大佐が独断で先行して、戦線に突っ込むのは今に始まった事ではありませんから」


「大佐なんて呼ばれるのも久しぶりだな。なんかなつかしい。あの頃は、勉強の為に年の三分の一をアメリカで過ごしてたわけだしな」


「あの頃から、振り回されてましたからね」


 過去を懐かしむかのような表情のファビオ。


「酷い言い草だな? 振り回してたか? あ、うん、振り回してたかも」


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1991年7月14日(日)PM:14:46 中央区精霊学園札幌校第一学生寮男子棟一階一○一号


 ベッドで静かに寝息を立てている三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 直ぐ側で彼を見つめている四つの瞳。

 見つめているのは茉祐子と陸霊刀 黒恋(リクレイトウ コクレン)。

 茉祐子の体にはいまだに包帯が巻かれている。


 無言が支配する空間。

 義彦の静かな寝息。

 その音だけが二人の耳を打つ。


 先に口を開いたのは黒恋だった。

 もじもじしていた表情。

 徐々に意を決した顔に変わる。


「茉祐子、そのごめんなさい」


「うん? 何か謝られるような事あったっけ?」


「いや・・だって。怪我をさせてしまった。一方的に感情爆発させて巻き込んだ。だから・・許してとは言わない。でもごめんなさい」


「ん? あぁ、なんだ。気にしてないよ。私がしたくてした事だから。それで負った怪我は私自身の決断の結果。友達なんだからさ。だから黒恋ちゃんが気にする必要はないと思うけど。それに、今ちゃんと謝ったじゃない。だから気にしないでね」


「茉祐子・・・・ありがと」


 若干萎れたままの黒恋だった。

 だが、茉祐子の言葉に少しだけ救われた気持ちになる。


「それよりも、黒恋ちゃんも少し眠った方がいいと思うよ?」


「霊力は補充したから、大丈夫」


「そうかな? 顔が物凄く疲れてる感じだよ。簡単に状況は聞いたけどさ、目覚めた時に黒恋ちゃんが疲れ切った表情だと、おにぃも困ると思うよ」


 茉祐子の言葉にも、中々動かない黒恋。

 黒恋は彼女にじっと見つめられる。

 そしてとうとう眼力に負けた。


 後ろ髪引かれる思いで、彼女はその場を後にする。

 男子棟から正面へ抜け、女子棟へ向かう。

 その間誰にも会う事は無かった。


 負傷者は自室かもしくは研究室だ。

 治療を受けた後休んでいる。

 また、動ける生徒は後処理に協力しているはずだ。

 ここに限らず普段なら生徒がごった返している学生寮。

 何処も静寂を感受している状態。


 ゆっくり歩きながら自室へ戻った黒恋。

 同じ部屋のリアツヴァイ・ヴォン・レーヴェンガルト。

 彼女がベッドで眠りに落ちていた。

 幸せそうな彼女の寝顔に、少しだけ微笑んだ黒恋。


 パジャマに着替えると、瞼を閉じる。

 本人が思っている以上に体は疲れていたようだ。

 彼女は直ぐに、夢の世界へ旅立った。

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