234.追跡-Chase-

1991年1月1日(火)PM:16:27 手稲区稲済邸一階


 契約が受け継がれた。

 その直後、意識を失った稲済 禮愛(イナズミ レア)。

 苦悶の表情のままだ。

 だが、少しだけ微笑んでいるようにも見える。

 喪失しそうな意識の中。

 無理やり意識を覚醒させていたようだ。


「ある程度の距離なら、黒恋の場所が感じ取れるはずだ」


 古川 美咲(フルカワ ミサキ)の助言。

 目を瞑り意識を集中させる三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。


「あぁ、まだ感知出来る範囲内にいるみたいだな」


「私も後から向かう。これを持っていけ」


 古川から渡されたのは、一枚の札。

 何かを彼女が囁いた。

 直後、札の文字と記号が仄かに光り始める。


「これは?」


「これで電話のように会話が出来る。私の持ってる対の札との遣り取り専用だが。お前が身に付けている限りは、お前の魔力で維持される」


「わかった。それじゃ禮那ちゃんと黒恋を助けに行ってくる」


「あぁ、頼む。佑一と禮那の仇だ。場所がわかったら教えろ」


「了解した」


 飛び出して行った義彦。

 血の気を喪失していく禮那の顔。

 出血を止めなければいけない。

 その事に、今更ながら気付いた古川。

 余りの惨状と沸点を突破した怒り。

 冷静さを欠いている事を自覚した。


「うまくいくか?」


 何度か呼吸を繰り返した古川。

 精神を集中させる。


≪氷膜≫


 禮愛の左手左足の傷口の表面。

 薄く氷の膜が張られていく。


「即興で組んだ割にはうまくいったな」


 しかし、氷の膜はすぐに消失した。

 時折風に流され飛んでくる雪。

 室内の気温は徐々に低下している。


「くそ、なんで溶けた?」


 頭の中で溶けた原因を模索する古川。


「くそ、原因はなんだ? もしかして今までの溶解されてた事件と関係があるのか? 対処する方法を考えろ。どうする? 血液の流れを止めればいいんだ。そうか、傷口が駄目ならば」


≪凍結≫


 禮愛の左手左足の傷口周辺。

 徐々に凍結、氷に覆われて行く。


「気休め程度にしかならないかもしれないが。お前の娘達は義彦が必ず助け出す。だから、お前も生き残るんだぞ。禮愛」


-----------------------------------------


1991年1月1日(火)PM:16:32 手稲区北五条手稲通


 すれ違う人々の視線。

 お構いなしに、突っ走る義彦。

 消防署の前を通過。

 自分の感じている黒恋の方向へ突き進む。

 信号を待つのももどかしい。

 彼は今そう思っている。


 足に風の力を纏わせた義彦。

 歩道から車道を飛び越えた。

 反対側の歩道へ着地。


 たまたま通過した乗用車の運転手。

 家の中から外を眺めている住人。

 彼等の唖然とした表情。

 そんな事もお構いなしだ。

 着地した後、再び高く飛び上がる。


 一階が喫茶店らしき建物の屋上へ跳ねる。

 そのまま屋上を伝って、道路を無視。

 真っ直ぐ突き進んだ。

 時に道路に下り、再び建物に上りを繰り返す。

 最短距離を突き進んでいく。


 手稲の地理に疎い義彦。

 それでも碁盤目状ではない場所が多々ある。

 それぐらいは知っていた。


 ただでさえ、相手の移動速度が速い。

 地図を一々確認してる余裕はないと考えていた。

 そして辿り着いた結論。

 目標に向かって真っ直ぐ進むだ。


 おそらく、後々問題になるだろう。

 そんな事は義彦もわかっている。

 しかし、今の彼は後の事は後で考えればいい。

 そう考えている。

 ある意味で開き直っていた。


「はぁはぁ、あれか? 予想通り車だったか。はぁはぁ、なんとか全力で移動して追いついた」


 肩で息をしている義彦。

 非常に苦しそうだ。

 それでも風を纏い走り続ける。


 一気に空高く、彼は舞い上がった。

 その後一直線に車に向かっていく。

 まるで放たれた風の矢のようだ。

 衝撃を伴って、義彦が車の屋根に着地。


「なんだ?」


 かすかに車の中から聞こえてきた声。

 直後、衝撃が車を伝播した。

 ハンドルを制御出来ずに蛇行する。


 対向車がもしいれば、衝突事故になっていただろう。

 時速六十キロメートル前後で走ってた車だ。

 もちろん義彦も、振り落とされそうになっている。

 何とか車の屋根にしがみ付いて堪えていた。


「誰か屋根にしがみ付いてるみたいだ」


 助手席の窓が開かれ聞こえてきた声。


「フード被ってて顔がわかんないけど、殺していいよね?」


 左手に風を纏わせていく義彦。


「ん? なんだ? 風か? こいつもしかして異能持ちか?」


 驚きの声が、義彦の耳に入ってきた。


「助手席は違う。黒恋と禮那が運転してるとも考えられないな」


 自身の膝から下の部分。

 車の屋根に押し付ける義彦。

 風の力で押さえているのだ。


 その後で両手を離した。

 風に押されて上半身だけが持ち上がる。

 体に叩きつけられる風に煽られている義彦。

 左手を胸の前に移動させ、真っ直ぐ前に伸ばした。


 風が竜巻となっていく。

 落ちてくる周囲の雪を巻き込み始めた。

 徐々に、鎗の穂先のようになっていく。


「畳兄、誰かわからないけど、どうしよう?」


「少々車に傷がついてもいい。振り落とせ」


 対向車が来てない事を確認した藤村 畳(フジムラ チョウ)。

 速度を少し緩めて、蛇行運転を開始した。

 スリップするのを恐れているのだろう。

 速度を少し落としたようだ。


 左右に振られる義彦の上半身。

 右から左に戻るタイミング。

 運転席と助手席の間に差し掛かる寸前。

 風で自分の背中を押す。

 押されて、上半身だけ前に倒れる義彦。


 自分で押さえ込んでいる両足。

 血液の流れが滞っている。

 その為、わずかに痺れ始めていた。

 それでも、押さえるのはやめない。

 車の屋根を突き破り、車内に穿たれた風の鎗。


「野郎!?」


 かすかに聞こえて来た声。

 左手の風の鎗を解除した義彦。

 空いた穴から中を覗き込んだ。


 後部座席に寝かされている二人。

 陸霊刀 黒恋(リクレイトウ コクレン)と稲済 禮那(イナズミ レナ)。

 水の蔓のようなものが纏わり付いている。

 厳重に拘束されていた。


「黒恋、禮那、今助ける」


 一度上半身を上げた。

 両手を腰溜めに構える。

 車の窓から放たれる四本の水の蔓。

 一度上空まで飛び上がる。

 直後、義彦目掛けて打ち下ろされた。


 足を押さえている風を解除。

 同時に、開かれた穴の縁を両手の指先で掴む。

 そこを支点にした。

 足先を風で、無理やり上に跳ね上げる。


 持ち上がった体のまま半回転。

 車のフロントに下りる。

 両手に風を纏わせた義彦。

 車のフロントに突き立てようとした。


 運転席側から飛んで来た水の塊。

 回避する間もない。

 直撃を喰らい、吹き飛ばされる。


 微かに瞼を持ち上げた黒恋。

 視界にはいってきた光景。

 着ているコートから義彦だと即座にわかった。


 彼の着ているコート。

 フードにファーの付いた群青のコート。

 選んだのは、黒恋と禮那なのだ。


 一気に覚醒し、驚きの眼差しになる黒恋。

 驚きに声をあげようとする。

 しかし、水に覆われている口。

 拘束されている手足。

 動かす事が出来なかった。


 次の瞬間、義彦が視界から消える。

 水の巨大な拳に吹き飛ばされていた。

 吹き飛ばされる彼を目で追う黒恋。


 小さな川らしきところに落ちていく。

 更に彼が落ちたであろう場所。

 そこに降り注ぐ、数十の拳大の水の球。

 道路から川に落ちないように存在している鉄柵。

 存在しないかのように貫いていった。


 泣きそうな眼差しの黒恋。

 何も出来ないで一部始終を見ていた。

 いくら義彦と言えども、走行中の車だ。

 叩き落された上に、あれだけの水の球。

 仮に生きていたとしても、無事ではないだろう。


 黒恋の心に拡がって行く感情。

 何も出来ない無力感。

 刀もすぐ近くにはあるようだ。

 前の二人のどちらかが持っているのだろう。

 視界内には見えない。


 力を封印するという選択をした。

 過去の自分の決断を後悔。

 悲しみと悔しさ、憎しみ、湧き上がる様々な感情。

 今自分が置かれている状況を考える余裕すらない。


 隣で今だ意識を失っている禮那。

 視線だけを動かして見てみる。

 胸がかすかに動いていた。

 生きている事に安堵した黒恋。


 僅かな間に、様々な感情が暴れ回った。

 その中、どんな事をしてでも助ける。

 自分が例え消滅する事になろうと構わない。

 彼女だけは必ず助けるのだ。

 無事にあの二人の元に送り届けようと誓った。


-----------------------------------------


1991年1月1日(火)PM:16:53 手稲区藤村鉄工場一階


 こんなにもあっさりと捕まってしまった。

 なんて情けないのだろう。

 長い間存在してきた。

 その中で、一番情けないかもしれない。

 戦いだけの日々よりも、充実した日々だった。

 たぶんこれが幸せって気持ちなんだろうな。


 戦場から遠のいていた。

 だから逆に、弱くなってしまったんだろうな。

 ううん、たぶん違う。

 死と隣り合わせだった世界。

 そこから遠く離れてしまったからだ。


 きっと私自身。

 物事に対する危機感が薄れていた。

 あの頃程の力が無いのは事実。

 でもそれ以前に、弱くなってしまった心。

 それが問題なんだ。


 きっと昔なら有無を言わさなかった。

 目の前の二人を斬っていただろう。

 でも今は何も出来ない。

 禮那に危害を加えられるのを恐れている。

 それに義彦も巻き込んだ。

 巻き込んだ上に・・・。


 本当自分が情けない。

 せめて禮那だけは助けないと駄目だよね。

 鎖で両手を繋ぎとめられている。

 この状況、どうするべきなのかな。

 鎖を断ち切って、刀を取り戻す。

 その上で、目の前の二人を斬る。


 今の残った霊力は少ない。

 たぶんチャンスは一回。

 成功しても失敗しても、私は動けなくなる。

 いやたぶん、消滅するだろう。

 でも、やるしかない。

 やるからには成功させるんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る