229.呼称-Appellation-

1991年7月13日(土)PM:18:17 中央区精霊学園札幌校第一学生寮男子棟一階一○一号


 竹原 茉祐子(タケハラ マユコ)が何時頃に来るのか。

 聞かされていない三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 一人部屋で燻っていた。


 ベッドに寝転がっている。

 とりとめもない思考に浸っていた。

 扉の前に気配をかすかに感じる。

 立ち上がると同時に鳴ったインターホン。

 受話器を取り、耳に当てる。


『おにぃ、茉祐子だよー』


『ドライもいるのです。後もう一人お客様がいらっしゃいます』


 もう一人誰かが何かを言ったようだ。

 しかし、義彦には聞き取れなかった。


「とりあえず、今開ける」


 三人目の人物について、深く考える事もない。

 玄関に向かい、扉を開けた義彦。

 そこにいた三人目の人物と目が合う。

 ほんの一瞬、彼はフリーズした。


「黒恋」


「――どうも」


 どことなく微妙な空気。

 敏感に感じ取った二人。

 茉祐子とリアドライ・ヴォン・レーヴェンガルト。

 入るべきか躊躇した。


「とりあえず入れよ」


 義彦の言葉に促された。

 足を踏み入れる三人。

 陸霊刀 黒恋(リクレイトウ コクレン)は本当は逃げ出したかった。


 両手に持つ荷物。

 茉祐子とドライに誘われた。

 二つの現実により、逃げ出せないでいる。


 訪れてたのが自分一人だけ。

 もしそうならば、黒恋は義彦の顔を見る。

 その時点で、一目散に逃げていたかもしれない。


「夕飯って割には食材多すぎないか?」


「夕飯だけじゃないよ。明日の朝昼夜もだよ」


 茉祐子の予想外の言葉。

 義彦は間抜けな顔になる。

 眼鏡も少しずり落ちた。


「茉祐子は本気なのです」


 率先して指示する茉祐子。

 ビニール袋を台所に置いたドライと黒恋。

 手伝おうとした義彦。

 負傷者は大人しく座っていて下さい。

 茉祐子の厳しい言葉に、ベッドに座っている。

 冷蔵庫を開けた茉祐子は、溜息をついた。


「そうだろうなとは思ったけど。見事に何もないんだから、まったく」


 文句を溢している茉祐子。

 ビニール袋の中身を取り出す。

 彼女は手際良く冷蔵庫に投入していった。

 ドライと黒恋は、指示された時だけ、その通り動く。


 半分ほど冷蔵庫に搬入が完了。

 そこで、再び鳴ったインターホン。

 出ようとした義彦だった。

 だが、茉祐子に止められ渋々戻る。


「はーい」


 受話器を取り、元気よく声を出した茉祐子。


「あ、こんばんわ。はい。大人しくしてますよ。今開けますね」


 茉祐子も知っている誰かだ。

 という事は理解出来た義彦だった。

 しかし、誰なのか予想がつかない。

 彼女に連れられて入ってきた銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)。

 黒恋と目が合うと、何とも微妙な表情になった。


「黒恋!?」


「吹雪!?」


 お互い驚きの表情になる。


「吹雪さんともお知り合いなんだ?」


 素直に驚いた茉祐子。

 義彦は、一瞬何か言い足そうだった。

 だが、結局口を噤む。


「ドライちゃんもいたんだね。こんばんわ」


「吹雪さん、こんばんわなのです」


 義彦と視線を絡ませた吹雪。

 彼は居た堪れないような表情。

 苦笑いしていた。


「茉祐子がドライと黒恋を連れて来た。夕飯と明日の朝昼夜、腕をふるってくれるそうだ」


「ふーん? そうなんだ」


「吹雪さんももしよろしければどうですか?」


 茉祐子の言葉に、少し考える吹雪。


「そうね? 折角だしお邪魔するね」


「ついでに茉祐子にも料理教えてもらえばいいんじゃないのか?」


 義彦の言葉に、少し膨れる吹雪。

 しかし、以前義彦を地獄の底に導いた事がある。

 その為、反論は出来なかった。

 義彦を見返してやるという気持ちも芽生える。


「茉祐子ちゃんさえ良ければ教えてくれるかな?」


「喜んで」


 満面の笑みで答えた茉祐子。


「ドライと黒恋さんも、お手伝いしながら教えてもらうのです」


「――私も?」


「はい」


 嬉しそうな表情のドライ。

 黒恋は断る事は出来なかった。


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1991年7月13日(土)PM:18:49 中央区精霊学園札幌校北中通


 朝霧 拓真(アサギリ タクマ)に呼ばれた二人。

 桐原 悠斗(キリハラ ユウト)と中里 愛菜(ナカサト マナ)。

 ゆっくりと歩いている。

 愛菜は終始にこにこ顔だ。


「愛菜、そんなに嬉しかったの?」


「うん、まさかゆーと君が、私の為に、あんなの考えてくれてるなんて思ってなかったから。ありがと」


 愛菜は、悠斗の前に回る。

 真っ直ぐ彼の瞳を見ながら言った。

 悠斗は思わず照れてしまう。


「喜んでくれたなら良かった。でもまぁ、完成はもう少し後だろうけどね」


「うん、それまでにある程度は使えるように、頑張らないと」


「意気込みは大事だけど、気負い過ぎないようにね」


「はーい」


「それは僕も人の事言えないけどさ」


 突然悠斗の左側に移動した。

 彼の手を握った愛菜。

 そのまま、歩き出す。

 釣られて悠斗も歩き出した。

 手が離れないように、お互いが指を絡める。


「ゆーと君、夕飯どうしようか?」


「うーん? 嚇は今日はいらないって言ってたしな。鬼威ちゃんもいないんだっけ?」


「うん、何か急ぎの用事があるとか言ってたから」


「そっか。ルラちゃん達も誘ったんだよね?」


「うん」


「んー、それじゃ愛菜、何か作ってよ。こっちに来てからしばらく食べてないしさ」


「いいよ。ゆーと君の部屋に行く? それとも私の部屋にする?」


「俺はどっちでもいいよ。愛菜の好きな方で」


「うーん? それじゃ、ゆーと君の部屋は、材料何があるかわからないから、私の部屋にする」


「それじゃ、愛菜の部屋に決まったって連絡しとかないとだな」


「うん」


 嬉しそうな顔の愛菜。

 振り子のように握っている手を振った。

 悠斗の手も動揺に振られている。


「しかし、四鐘さんがいるとは思わなかったな。わざわざこっちに来たって事なのかな?」


「特殊能力研究所の第四研究室、室長さんなんだっけ?」


「うん、確かそのはず。彼と朝霧さんが協力してくれたからこそ、企画が通ったわけだしね。二人には本当感謝してる」


「そうなんだ?」


「うん」


 少し遠くにいる少年。

 栗鼠のようなのと戯れている。

 その姿が二人の視界に入った。


「栗鼠かな? あんなになつくんだね」


「そうみたいだね。一度遭遇した事あるけど。すぐに逃げられたなぁ? 何かコツでもあるのだろうかね?」


「どうなんだろ? 餌付けとかしたのかな?」


 そんな事を話している二人。

 気付けば少年は、視界から消えていった。


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1991年7月13日(土)PM:18:57 中央区精霊学園札幌校第一学生寮男子棟一階一○一号


 台所では、茉祐子が中心になって指示している。

 ドライ、吹雪、黒恋が忙しく動いていた。

 姦しいと思っている義彦。


 少し余所余所しい黒恋。

 それでも会話の輪に入っている。

 その事に、少し安堵していた。


 それは、彼女の苦悩を知っているからこそだ。

 しかし、本人が乗り越えなければならない事。

 その為、背中を押す事ぐらいしか出来ない。


 人生経験が絶対的に足りてない義彦。

 どうやれば背中を押す事が出来るか。

 わからないままでいた。


「本日は冷やしラーメンとユーリンチーです」


 茉祐子とドライの二人。

 テーブルに並べられていく料理。


 その間に吹雪と黒恋は別の行動だ。

 部屋の奥に置かれている折り畳みの椅子。

 三つ持って、テーブルに配置した。


 料理の配膳と椅子の配置が完了。

 茉祐子に指示されるがまま座る四人。


 冷やしラーメンという名称。

 北海道での呼称だ。

 一般的には冷やし中華と呼ばれる。


 茹でた中華麺を冷水で冷やす。

 トマトや胡瓜、叉焼、錦糸卵等の具材。

 混ざる事なく盛り付ける。

 醤油ベースや芝麻醤ベースの冷たい掛け汁。

 それをぶっかけて食べる料理だ。


 地域や作り手によって様々なバリエーションが存在。

 さっぱりとした食感や具材の多さ。

 夏によく食べられる一品だ。


「まゆ? ユーリンチーってなんだ? ザンギとは違うのか?」

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