199.缶飯-Ration-

1991年7月7日(日)PM:16:41 中央区精霊学園札幌校時計塔五階


 椅子に座り、コーヒーを啜っている古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 全生徒の能力測定の結果に目を通している。

 苦笑とも微笑とも取れぬ、複雑な表情だ。


 それでも一枚一枚捲っていった。

 一人一人順番に確認していく。

 時折目を瞬かせながら、確認作業をしている古川。

 扉がノックされる音が聞こえた。


「お邪魔します。じゃないや、失礼します」


 扉を開けて入ってきたのは少女。

 Fと、Uの文字の上にウムラウトの描かれたヘアピン。

 向日葵色の髪の毛を留めている。

 ヘアピンの英字を見て、古川は相手が誰か理解した。


「ヒュント、どうした?」


「うんとね。ファビオから渡してくるように言われたから来た」


「ファビオから何を?」


「うん、これだよ」


 古川の座る机の前まで歩いたリアヒュント・ヴォン・レーヴェンガルト。

 一枚のメモ紙を彼女に渡した。

 メモ紙は全て手書きで書かれている。


「アーティフィシャルラビリンス、ナンバー二十二。迷宮名ホサシィアル」


「ファビオが書いたの。それで渡して来て欲しいと言われました」


 ヒュントに微笑み返した古川。


「ヒュント、態々ありがとう。ファビオにもお礼を伝えてくれ」


「わかりました。それじゃ戻ります」


 手を振りながら、出て行くヒュント。

 古川は、微笑ましいものを見るような笑顔。

 手を振り返している。

 彼女が部屋を去った後、彼女は受話器を握った。


「あぁ、古川だ。彩耶はいるか? うん、変わってくれ」


 保留音を聞きながら、しばらく待つ古川。

 直ぐに保留音が切れた。


「あぁそうだ。うん。迷宮の名称が決定したようだ」


 受話器を左耳から右耳に持ち直す。

 椅子を半回転させた。


「ホサシィアルだ。うん、どれぐらい来るかね。東京とは違うからな」


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1991年7月8日(月)AM:3:57 中央区人工迷宮地下二階


 正方形の穴の北側と南側。

 二つの天幕がに張られている。

 穴の部分には、常時結界のようなエネルギーの本流が迸っていた。

 穴に入る事も穴から出る事も出来ない状態だ。


 二つの天幕のうち、北側からは人の気配がする。

 人の気配のしない天幕と穴の間の空間で座っている人物。

 一人は刀間 刃(トウマ ジン)、防衛省特殊技術隊第四師団第三小隊の隊長。

 彼の隣で座っているのは隊員の一人、野流間(ノルマ) ルシアだ。


「ったく、いつまでこの迷宮の中にいりゃいいんだか」


「刃、退屈なのはわかるけど、正式に迷宮として承認されないと駄目なんだから」


「わかってるよ。穴の中から時折気配は感じるけど、上ってくる様子もないしなんなんだ」


 便宜的に呼ばれている名称、戦闘糧食Ⅰ型。

 通称カンメシの、鳥飯を食べながら愚痴る刃。

 ルシアは牛肉野菜煮の蓮根を口に入れた。

 咀嚼し飲みこんでから口を開く。


「それでも監察官の生き残りが、研究所に配属された上で交代要員としてくるんだから。それに迷宮として正式に承認さえされれば、私達も潜れるじゃない?」


「そうだけどよ。後藤さんが任務として許可してくれるとは思えない。まあ、休日を一緒にする事は今なら不可能じゃないだろうけどよ。面白いのがいるって判明してたらもちっと行く気になるんだけどもな」


「今頃、第一小隊は八日ぶりの休日に、羽を伸ばして呑んだくれて夢の中かな?」


「だろうな。交代した時、散々呑んだくれるぞって言ってたしな。久遠時のおっさんも、学園に行った多々良と久留に会いにいったんじゃねぇの?」


「きっと相模原さんも会いたかったでしょうね」


 北側のテントに視線を向けたルシア。

 天幕の中の相模原 幡(サガミハラ ハタ)と鎗座波 傑(ヤリザワ スグル)。

 それに丸沢 智樹(マルサワ トモキ)。

 寝袋、通称スリーピングで眠っていた。


 今思い付いたかのようだ。

 牛肉野菜煮の蒟蒻(コンニャク)を穴に放り投げた刃。

 エネルギーの奔流に触れた蒟蒻(コンニャク)。

 瞬時に蒸発して姿を消した。


「報告通りかよ。ちくしょう」


 彼の行動に唖然としていたルシア。

 我に返ると刃の額にチョップ。


「食べ物粗末にしちゃ駄目だよ」


「蒟蒻(コンニャク)ぐらいいいじゃねぇぐへ」


 刃は言葉を続ける事も出来ない。

 再びチョップを喰らった。

 一応彼はこれでも小隊の隊長である。


「駄目なものは駄目。めっ!」


 ルシアの剣幕に、それ以上言い返す事も出来ない刃。

 おとなしく牛肉を一切れ摘んで口の中にいれた。


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1991年7月8日(月)AM:4:22 中央区札幌駅前通


 彼女はかなり酔っているのだろう。

 若干千鳥足ながら、友人達と別れた二十歳過ぎの女性。

 少し乱れているワンレングスの黒髪。

 彼女は気付いていない。

 自分をじっと見ている視線と人影の存在。


 彼女は一人、歩いて帰宅しようとしている。

 それが危険な行為である。

 彼女は自覚していない。

 凶悪な事件はニュース番組等で知っている。

 だが、所詮人事だと考えているのだ。

 自分に降りかかる等思いもしない。


 しかし、人影は獲物を狙う獣のようだ。

 タイミングを見計らっている。

 襲撃する為の絶好のタイミングを待っているのだ。


 自ら人影を自宅に案内している事も気付かない。

 マンションに辿り着いた彼女。

 背後の人影が自分のすぐ後にオートロックの玄関に侵入しても注意を払わない。

 いや、酔いの為に注意力が散漫で、払えないのだ。


 背後の人物が、どこまで計算しているのかはわからない。

 エレベーターで五階を押した彼女。

 一緒に乗り込んだ人物の為に、後ろに下がる。


 エレベーターが五階に辿り着いたが、相手が降りない。

 そこで開ボタンを押してくれている事に気付いた彼女。

 かなり呂律の回らない口で、お礼をいいながら先に下りる。

 彼女の部屋は、エレベーターを下りてすぐ。

 バックから何とか鍵を開けて、扉を開けた。


 突然押さえられる口元。

 そのまま、部屋の中に突き飛ばされる。

 相手は扉を閉めて、鍵を掛けた。

 恐慌している彼女は、何とか立ち上がろうとする。

 だが、千鳥足で立ち上がれない。

 突きとばされた影響もあるだろう。


 何とか立ち上がった。

 しかし再び突き飛ばされる。

 悲鳴を上げればよかった。

 だが、酔いと恐怖の余り思考が働かない。


「静かにしろ。殺されたくなかったらな」


 殴られた後に、相手の声に萎縮してしまった彼女。

 赤くなった頬の痛みに、抵抗する気力も無くしたようだ。

 相手の手に握られるナイフの切先が服に触れる。

 微かに焦げる様な異臭が鼻につく。


 彼女は、ナイフに怯えている。

 恐怖の時間が早く終って欲しい。

 そう考える事しか出来なかった。


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1991年7月8日(月)AM:8:31 中央区精霊学園札幌校中等部三階


 二十二名の生徒が、一人も欠ける事なく着座している。

 その光景に、一人満足そうに頷く山中 惠理香(ヤマナカ エリカ)。

 彼女の行動を見ている生徒達。

 訝しげな視線にならざるを得ない。


「山中ティーチャー、何に満足しているのかわかりませんけど、勝手に一人で満足しないで下さい」


 学級委員長の一人。

 サーヤ・ブルゥ・ヴァンナ=ヴォン・エルフィディキア。

 彼女の鋭い指摘が教室内に響く。


「あぁ。ごめんごめん。二十二名全員がちゃんといる事が嬉しくてね」


 長い髪の毛を気にする事もなく微笑む彼女。

 身長と顔立ちも伴って、同学年と言われても納得できる。

 幼さの感じる笑み。


「それで一時間目が自習なのは何か理由があるのでしょうか?」


「もちろんありますよ。制服のサイズ調整かな? 制服については前に言ってたとおりだけど、昨日やっと準備を整える事が出来たそうよ。本日はその為に技術者の方々に来てもらってるから。一年女子、二年女子、三年女子、一年男子、二年男子、三年男子の順番に確認します。調整が必要な場合はその場でしてくれるそうよ。だから明日からは私服ではなく、制服での登校必須です。調整が間に合わない場合を除いてね」


 彼女の言葉が終わった。

 教室内が様々な囁きに満たされる。

 実際にどんな衣装なのかは誰も知らない。

 だから、ほとんどは制服の装いに関する事だ。


「はいはい。まだ説明は終わってませんよ」


 惠理香の言葉に、教室は再び静寂に包まれた。


「同じ説明は再度されると思うんだけど。特殊な繊維で、ある程度自由にサイズ調整可能みたいよ。魔道技術の一品だそうです。そっち系は門外漢なので、私も受け売りなんだけどね」


 そこで一度言葉を止めた惠理香。


「実際に自分でサイズ調整するには、ある程度の知識と技術練度が必要らしいけど。余りにも華美だったり、破廉恥でなければカスタマイズもしていいって。最もカスタマイズに関しては、後程ちゃんと説明しますけど」


 惠理香は生徒一同を見回した。


「それじゃ、技術者の方々の準備が整ったら呼びに来るはずだから。私達は待ってましょう。本当はテストでもやろうかと思ったけど、実際どれ位時間かかるかわからないからね」


 生徒の一部は、彼女の言葉に一瞬硬直。

 直ぐに安堵の表情になった。


「それじゃ、朝のホームルームはおしまい。皆に渡すものがあるから一回職員室に戻るわね」

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