114.小鬼-Goblin-

1991年6月10日(月)PM:12:05 中央区西七丁目通


 建物が騒然と立ち並ぶ道。

 一人の男が、気だるげに歩いている。

 やる気のない瞳に項垂れたような栗色の髪。

 野性味のあるハンサムな顔には、とても似合わない表情だ。


「クサバの奴が羨ましいぜ。幼女様が標的なんてな。俺の相手は女子高生かよ。まあ、それなりには楽しめそうだがな」


 道の角を曲がり更に進む男。

 高校の校門から、部外者にも関わらず真直ぐに突き進む。

 たまたま校門にいた男。

 詰問して排除された。


 彼の名はバジリオ・アランゴ。

 【獣乃牙(ビーストファング)】の問題児の一人。

 クサーヴァー・ブルーメンタールと共に幼女趣味の持ち主である。


 過去に、とある問題を起こしている。

 アリアット・カンタルス=メルダー。

 エルメントラウト・ブルーメンタール。

 クサバと二人協力して手を出そうとした。


 しかし、一緒にいたブリット=マリー・エクに半殺しにされる。

 その後、話しを聞いて激怒したアグワット・カンタルス=メルダー。

 彼に虫の息にされた。


 バジリオとクサバ、二人の幼女趣味。

 その趣向は、残虐的なものも含まれている。

 故に通常は、年長者複数と単独で組ませていた。

 もしくは、二人一組か単独で、相手の所に解き放つしかしない。


 しかし今回は、命令を守る限り単独行動を許されている。

 命令さえ逸脱しなければよい。

 現地の住人には、何をしようが不問にする。

 団長の言葉付きだ。

 だからこそ、バジリオはクサバが羨ましい。


 標的のクラスを探して校内をうろつくバジリオ。

 もちろん咎められる。

 男は容赦なく手を下し、年増の女も同様だ。


 うんざりしかけたバジリオ。

 白のセーラーブラウスに紺色のスカート。

 幼さの残る、長く伸ばした黒髪の女学生が歩いて来た。


「あれで楽しむか」


 下劣な表情になった。

 手が徐々に毛に覆われていく。

 その顔も、野性味は残したままだ。

 ただし、ハンサムなものから狼のそれに変化していった。


 驚きの表情。

 その後、恐怖に歪んだ。

 目の端に涙を溜める黒髪長髪の女学生。


「いい声で楽しませてくれるよな?」


 少し離れた教室にいる瀬賀澤 万里江(セガサワ マリエ)。

 数分前に感じた違和感。

 黒角を一瞬発動させ、有事に備えていた。


 授業そっちのけで夕凪 舞花(ユウナギ マイカ)の小学校に向うべきか迷っている。

 教室内で何かを感じた生徒。

 他にはいないようだ。


 女教師も何事も感じてないのだろう。

 授業を続けている。

 万里江の異変に気付いたのもいないようだ。


 女教師の声だけが響き渡る教室。

 微かに、遠くに聞こえる。

 悲鳴のような嗚咽のような奇声。


 教師も気付いたようだ。

 黒板に書き続けるチョークの手を止めた。

 一瞬怪訝な表情になる。


「変な音? 声? がしますね。ちょっと見てきますので、あなた達は静かに自習してなさい」


 女教師は教室を出て行った。

 程無くして聞こえてきた複数の叫び声。

 教師の指示に従う義理はない。

 しかし、大っぴらに力を使いたくもなかった。


 待つべきか向うべきか判断に迷う万里江。

 舞花の元に向うべきだと、警鐘する自分。

 まずは状況を把握するべきだと、自分が囁く。

 どうするべきか迷っている間に状況は進んでいた。


 叫び声が途絶える。

 その後、再び聞こえてくる微かな声。

 何とも表現の難しい。

 その声も、数分後には聞こえなくなった。


 再び聞こえて来た足音。

 静寂から少しざわめき始めた教室内。

 万里江はその音に耳を澄ましている。


 教室のドアの前で、足音が止まった。

 開かれたドアに現れたのは狼化したバジリオ。

 一瞬万里江と視線が交錯する。


 万里江が行動を起す間もなかった。

 バジリオは、一番近くにいた丸眼鏡のツインテールの女生徒。

 彼女を捕まえて立たせる。


 彼女の首筋を、鋭く尖っている爪の一本でなぞった。

 一筋の線が走り、滲み出て来る血液。

 数瞬の静寂。

 その後に、阿鼻叫喚と化した教室。

 しかしバジリオが吼えた。


「うっせぃぞ。黙れ。黙らない奴は強制的に黙らせる」


 耳を劈くような大声の彼の声。

 恐怖に駆られながら、再び静寂に静まり返る教室。

 気絶した者や、失禁した者。

 その恐怖の度合いは個々人により差はあった。


 皆が震え、怯え、涙を浮かべている。

 その中、万里江だけは平常だった。

 再び視線が交錯する二人。


「瀬賀澤だっけか? さすが平然としてやがるな。それはそれで壊してみたくてたまらなくなるけどな」


 鋭い牙の並ぶ口内から現れた舌。

 上唇を嘗めた。

 そのぎらりとした獣の瞳。

 人間のように、凶悪で醜悪な欲望が宿っているようだ。


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1991年6月10日(月)PM:12:50 中央区大通公園一丁目


「形藁、それです。私達とイーノムの繋がりは十年前に遡ります。それから細々と数年に何度か程度ですが、関係は続いてたです。そして彼から内密に仕事の依頼来たです」


「それが私や皆への襲撃って事?」


「です。個別に同時襲撃し、この迷宮の所定の場所に連れて来るのが目的。生きている方が望ましいです。けど難しければ殺害許可もおりてたです」


「聞きたい事はあるけど、先を続けて」


 歯噛みするような表情の銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)。

 エルメントラウト・ブルーメンタールに先を促した。


「そしてふぶきんに勝利した私は、迷宮内の所定の場所まで運ぶのに担いできたのです。しかし途中で変なのに襲われたです」


「変なの?」


「です。変なのです。はっきりと見たわけではないです。でもしいて言うなら小鬼っぽいのがいっぱいいた。単体の戦闘力は高くなかったです。でも数が多すぎるです」


「それじゃあ、その小鬼っぽいのから、私を担いだまま逃げて来たって事?」


「です。迷宮奧だけからではなく、どうしてか背後からも現れたです。むしろ背後の方がたくさんいたです。それで一番包囲網が少ない所を強行突破したです」


「エルメ・・・私が言うのもおかしいけど、私を捨てていけば、あなたならもっと楽に逃げれたでしょうに・・・。ありがとう。そうなった原因があなたにあるにしても、どうやら命の恩人である事にはかわらないみたいだから」


「私がそうしたかっただけです。だからお礼はいらないです。それにまだここから無事に出れると、決まったわけではないです」


「あなただけなら突破出来るんじゃ?」


「かもです。でもふぶきんを置いていく気はないです」


「なんで? 私はあなた達の敵なんじゃ?」


「です。でも私がそうしたいからです」


「・・・」


「それに小鬼は醜く獰猛なのです。だから脱出するなら二人でするです。それにここまで、私の仲間達には遭遇しなかったです。もしイーノムに騙されたのなら、依頼を履行する必要はないです」


「でも、私は足手まといにしか・・・」


「正直言えばそうです。それでもです。嫌なのです」


「・・・おかしな人」


「ただ問題が山積なのです。私達は迷宮の必要な経路の情報しかもらってないです。逃げるのに夢中で、ここが何処か貰った地図ではわからないです。でも私もふぶきんも手負いなのです。安易に動き回るのは難しいです」


「そうね。私なんて歩く事すら難しいのかもしれないし」


「困った・・・しっです」


 遠くから足跡が聞こえてくるのに吹雪も気付いた。

 極力小声で話しをしていた二人。

 エルメは更に小声になった。


「出来ればやり過ごすです」


 そこで改めて、自分のいる周囲を見渡した吹雪。

 理由は不明。

 だが、迷宮の通路の一部の凹んだ部分のようだ。


 通り過ぎていく足音。

 その一団の姿を、暗がりの中から確認した吹雪。


 比較的小柄な体躯。

 ほとんどが緑色の肌の、十人程の一団。

 その中には、肌の色が赤っぽいのと青っぽいの。

 それぞれ一体混じっていた。

 手には剣や斧、弓等の武器を持っている。


 足音が遠ざかり、聞こえなくなった後の静寂。

 先に口を開いたのは吹雪だった。


「あれは小鬼(ゴブリン)だと思う。十年前に一度東京に出没したらしいけど。実物を見た事はないから断言は出来ないけどね」


「小鬼(ゴブリン)って言うですか。何かのファンタジー小説で呼んだです。たしかに小説通りです」


「情報が正しければ繁殖力が高く、ある程度の知能があって、武器とかも使うみたい」


「なるほどです。それで剣や斧での近接攻撃だけじゃなく、矢も討ってきたですね」


 そこで再び足音に気付いた二人。

 先ほどのような、走っているようなものではない。

 抜き足差し足。

 まるで、極力足音を抑えるかのようだ。


 徐々に近くなってくる足音。

 表情を強張らせる二人。

 この状況でもし襲撃されれば、相手の数次第では押し切られてしまう。


 直ぐ側まで来た足音。

 戦闘の意志を漲らせる吹雪とエルメ。

 しかし、その内心は、恐怖と絶望が徐々に支配し始めている。


 吹雪を守るような位置。

 挫けそうな心。

 奮い立たせるように唇を噛んだエルメ。

 動く事すらままならない自分に、不甲斐無さを感じる吹雪。


 屈んで二人を見詰める瞳が八つ。

 何となく雰囲気は小鬼(ゴブリン)に近い。

 しかし目の前の瞳達は動く気配もなかった。


 その真意を逆に量りかねた。

 先手を打つべきか迷う二人。

 先頭の白い肌の唇が動いた。


「ケガシタ・・ニンゲン・・フタリ・・イル」

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