103.足音-Footsteps-

1991年6月10日(月)PM:11:58 中央区藻岩山麓通


 運転席に座る男性。

 グレーのスーツに、赤いネクタイの黒髪。

 助手席には、女性が座っている。

 黒のパンツスーツの彼女。

 男性が何度か横目で見ている。

 唐突に、その女性が口を開いた。


「あの・・・紫藤さん、先程から時たま視線を感じるんですが、私の顔に何かついてますか?」


「・・・い・いや、そうじゃないんだけどね」


 彼女の言葉に、少し口ごもった紫藤 薫(シドウ カオル)。

 何て言い訳するべきか、脳をフル回転させる。

 そんな事を知ってか知らずか。

 彼女はまるで、今思いつたかのような事を言い出した。


「そういえば以前、何処かでお会いした事とかありましたか?」


 そんな事を言った彼女。

 左手を握ったまま、顎に当てた。

 過去を思い出してでもいるのだろう。


 お互いに、言葉をなくしたかのように無言になる。

 紫藤は何故か、ショックをうけて呆けているような表情。

 彼女の方と言えば、何かを考えているような仕草のままだ。


 そんな微妙な空気の車内。

 唐突に違和感にかられた二人。

 無意識なのだろうが、少しだけ不快な表情になっていた。

 先に口を開いたのは、助手席に座っている間桐 由香(マギリ ユカ)。


「何ですかね? 今の違和感」


 紫藤は運転を続けながら少し考えた。

 その上で、自分の考えを相手に伝える。


「・・・何かの結界がはられたような違和感を感じたけど」


「結界・・・ですか?」


 会話を続けようとした紫藤。

 後ろからぶつかってきた衝撃に驚いた。


 後ろを走っていた乗用車。

 突然加速して、追突して来たのだ。

 二度目の追突直前。

 その車から感じた魔力。

 一瞬、紫藤の注意が散漫になる。


 突如車が左斜めに傾いた。

 道路保護用のコンクリート壁に激突。

 そのまま跳ね上がられた車。

 縦転した後に、横転する。


 車は、逆さまになって停止している。

 その上に、先程追突してきた車が、空を飛んできて衝突。

 意識を失いそうになる紫藤。

 聞こえてきたのは人の声。


 自分の体が車の中から引きずり出されている感覚。

 違う車に乗せられたような気がする。

 そこで、彼はかろうじて保っている意識を手放した。


 ・・・・・・。

 ・・・・・。

 ・・・・。

 ・・・。

 ・・。

 ・。


 鼻につく臭い。

 体に走る苦痛を耐える僕。

 その前に立つ少女。


 そうかこれは、僕のあの時の記憶の一部。

 でも今何でそんなものを見ているのだろうか?


 僕と少女の、髪や服に付着している液体。

 それがもう、自分の血なのかどうかすらわからない。

 まるで僕を守るかのように立つ少女。

 ・・・駄目だ・・・名前を思い出せない。


 彼女の頭から血が滴っている。

 息遣いも荒く、ときどき顔を顰めていた。

 それでも、まるで僕を守るようにしている。

 向かってくる異形の存在を、紅い鎗で食い止めていた。


 ・・・・・・。

 ・・・・・。

 ・・・・。

 ・・・。

 ・・。

 ・。


 どれぐらい意識を失っていたのだろうか?

 靄のかかる頭。

 何が起きたのかを僕は考える。

 そうだ、謎の乗用車に衝突されて・・・。

 由香さんは?


 うっすらとしか見えない暗がりの中。

 左に顔を向けた。

 柱に括り付けられている、由香さんが見える。

 意識を失っているのだろう。

 頭を垂れている。


「ほう、気が付いたか」


 視線を前に向けると、離れた所から歩いてくる者がいる。

 聞こえた声から判断すると男のようだ。


「腐っても【殺戮の言霊乙女】の部下か」


「今のこの状況から考えると、お前に捕まったって事か」


「そうゆう事だな。にしても怪我の割には元気そうじゃないか」


 確かに体のあちこちに、鈍い痛みが走っている。

 良くて骨にヒビ。

 骨折してる所もあるかもしれないな。


 顔を視認出来るまで近づいてきた男。

 上背もかなりあり、体躯のいい栗髪の男だった。

 左頬には縦に大きな傷痕が走っている。


「二度目の追突と同時に、右側のタイヤを、土魔法か何かで作った昇り台で跳ね上げたって所か」


「さすが精霊庁から派遣されただけあるな。あれだけでそこまで分析するか。しかし、昇り台を壊すのが間に合わなくて、自分の車も突っ込む事になるとは思わなかったがな。がっははははは」


 目の前の男。

 邪気のない顔で大笑いを始める。


「予備の車を近くに置いといて正解だったぜ。ファーの助言はいつも的確だわ」


「ファー? ファーミア・メルトクスル?」


「んあぁ? そうだ」


「という事はお前は【獣乃牙(ビーストファング)】か?」


「あぁ、そうだぜって何だ? 大分奧から何かの気配を感じるな? 奧には誰もいないはずだが? 何だ? ちょっとここで見てくるから、おとなしくしてろよ」


 僕は至近距離で、見る羽目になった。

 彼の顔が、人から狼に変わっていくのをだ。

 彼は狼化族だった。


 その瞳は、獲物を見るような輝きを放っている。

 視線は僕ではなく、柱の後ろの空間を見ているようだ。

 彼は僕がおとなしくしているのを確認。

 何かの気配を感じるという方向に、歩いている模様。


 足音が反響しているようだ。

 かなり遠くまで歩いていっただろうに、聞こえてくる。

 そろそろ大丈夫だろう。


≪あらゆる者を切り裂け 闇刃(ラーミナ トレバス)≫


 魔方陣から現れた黒い刃。

 柱に僕を括り付けているロープを斬り裂いた。

 柱から解放された僕。

 由香さんの側に行こうとして、体を駆け巡った痛み。


 控えめに見ても、脇と右手は骨折しているようだ。

 だが、顔を顰めたまま彼女の側に移動する。


 近づいてわかった。

 彼女の怪我は、僕よりも酷いのが一目瞭然だ。

 頭からも血を流し、服もぼろぼろ。

 体中にも裂傷等の傷が見えた。


≪あらゆる者を切り裂け 闇刃(ラーミナ トレバス)≫


 再び魔術でロープを斬った僕。

 ゆらりと前のめりに倒れてくる彼女を受け止める。

 その際に右手と脇腹に激痛が走った。

 何とか、歯を食いしばって痛みに耐える。

 冷たい灰色の地面に、彼女を寝かせると、彼女に手をかざす。


≪迷えし者を癒し給え 生命残光(アルレボル ヴィダ)≫


 小さな白い魔方陣。

 僕の使える中では一番上の回復魔術。

 この怪我の状態。

 おそらく、焼け石に水にしかならないだろう。

 でも、しないよりは幾分ましなはずだ。


「うぎゃああああああああああ」


 狼化族の男が歩いていった方向。

 聞こえてきた悲鳴。

 声の主はおそらく、先程の狼化族本人。

 何かがあったんだろうけど・・・。

 このままここにいるのは危ない気がする。


 彼女はどうやら僕の事を覚えてないようだ。

 でも今度は僕が守る番。

 先程斬ったロープを使って、おんぶの状態で彼女を何とか固定。


 本当は動かしたくはなかった。

 けど、そうも言ってられなさそうだ。

 悲鳴が聞こえてきた方から、複数の足音が聞こえてくる。

 足音とは逆方向に、激痛の走る体を叱咤して歩き出した。


 それでも余り早く走る事の出来ない僕。

 どんどん足音が近づく。

 すぐ後ろまで聞こえてきた。

 姿の見えない謎の足音。

 恐怖に駆られてしまう。

 振り向く事もなく、僕は唱えた。


≪欲するままに貪り喰え 闇魚(エスキュリダオ ペイゼ)≫


 僕の言葉で現れた召喚陣。

 そこから現れたいくつもの黒い魚。

 背後に解き放たれてゆく。

 この一メートル程の魚達。

 一度噛み付いたら、満足するまで貪り食う。


「キャシャァァァァァ」


「グギャァァァァァァ」


 人の悲鳴とは、とても思えない叫び声が反響する。

 その中、失いそうな意識。

 歯を食いしばって覚醒させる。


 背中から感じる体温。

 僕自身の体温も徐々に低くなっていってる。

 それが、手に取るようにわかった。


 徐々に重くなる体。

 足を一歩踏み出すだけでも、体を駆け巡る激痛。


≪立ち塞がる光を貫け 百闇弾丸(ケム エスキュリダオ バラ)≫


 目の前の魔方陣。

 そこから放たれた百の黒い弾丸。

 黒い軌跡を残しながら背後に飛んでいく。


 辛うじて意識を保っている。

 今の僕には、その結果を確認する余裕もない。


 どれぐらい歩いたのだろうか?

 まるで感覚の無くなった足。

 叱咤するにも限界が来たようだ。


 背後から迫り来る死神のような足音。

 どうにかしなければいけないのはわかっている。

 はずなのに、思考する事も言葉を吐き出す事も出て来ない。


 朦朧とする意識。

 霞む視界。

 遠くに人が立っている幻覚が見える。


≪集紫電≫


 聞こえてきた言葉を認識すら出来ない。

 僕達に直進してきた紫に輝く光。

 意識を辛うじて保っているだけの僕。

 恐怖とかを感じる事もない。

 ただただその輝きが、綺麗だと思っていた。


≪狙撃≫


 再び何処か遠くから聞こえてきた声。

 まるで僕と由香さんを避けるかのようだ。

 複雑な軌道を描き、背後に飛んでいく。


 前のめりに倒れていく体。

 床にぶつかる前に、僕の意識は途切れた。

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