第6話 The Death
――ひとつの終わりは、ひとつの始まり。
†
荒れた息遣いが響く。
闇の落ちる街の片隅、人気のないその場所で、男は息も絶え絶えに、それでも闇の先に光を求めて精一杯の速度で走っていた。
「くそ、なんなんだよ……なんなんだよ……くそッ!」
今の現状に繰り返し繰り返し悪態を吐きながら、壁に手を着き、懐に手を伸ばす。
そこにあるモノを、固い手触りと無慈悲な冷たさで確認して、少しだけ心に余裕を生む。と、
カツン――、と。
鋭い足音が、男の背後から響く。びくりと肩を、全身を震わせ、恐る恐る振り返る。
「ひ……ッ!?」
緊張で干上がった喉が異音を上げ、慄きながらふらりと一歩を下がる。
背中を壁に預け、辛うじて尻餅をつくことは防ぐ。
そして男は、懐からソレを抜き出す。
†
壁を背にした男は、がたがたと震えながら、懐から取り出した銃をわたしに向ける。
その震えが恐怖から来るものだというのは解るが、何に対する恐怖かは、わたしには知り及ぶところじゃない。きっと、目の前にいる男にも、自分が何故震えているのかは判らないのだろう。
既に撃鉄は上げられ、引き金に指も掛かっている。震えによって銃口はブレているが、この至近距離だ。たとえド素人が撃ったとして、的を外すということはないだろう。
それが危険なものだというのは解るが、わたしにとって危険かどうかが判らなかったので、判らないことは気にしないことにした。
『……さっさと撃てば?』
「は……は? な、な、何言ってんだ、テメェ……! こ、これが、何なのか、分かんねぇのか!?」
『銃でしょ? 解かってるよ。それに、あなたがそれをわたしに向けて撃ちたいと思ってるのも感じてる。
だから、さっさと撃てば?って言ったの。解った?』
男の顔を見ている限り、わたしの言っていることを理解しているとは思えなかったが、それでも男は心を決めたようだった。
「う、撃つぞ……! ほ、本当に撃つぞ!?」
『分かってるよ』
「う、撃たれたらい、痛いんだぞ!? し、死んじゃうんだぞ!?」
……何を当たり前のことを言っているのだろう。
†
『解ってるよ? それって、すっごく痛くて、普通なら死んじゃうようなものだって』
そう。普通なら、だ。
コイツは普通じゃない。普通のことを「普通なら」と表現する奴は普通じゃない。
普通じゃないものに「普通」は通用しない。「普通なら」死んでしまうものだって、コイツには何の威力も発揮しないのだ。
――本当にそうか? 俺はまだコイツを撃ったわけじゃない。
撃ってみなくちゃ、解らない。
撃とう。撃っちゃえ。撃たなきゃ。撃たねば。撃つんだ―――!
†
ズド、と。鋭い何かがわたしを貫いた。
口径とか、そういうのは判らないが、男が使ったものはそれなりに威力のあるものだったらしい。
身が衝撃に震え、膝から崩折れるように倒れ伏す。
†
「―――、ぁ……は……ッ」
やった。やっちまった。
反動で両腕が痺れ、未だ銃口から白煙を上げるソレを毀れ落とす。
俺はただ、自分が起こした事実と、その末路に目を奪われていた。
全身を覆う黒衣を纏い、漆黒の髪をさらりと伸ばした、小柄な女。その透き通るような白い肌を、鮮やかな色彩が染めていく。
モノクロのコントラストに映える、赤い、紅い、アカい―――
『――よいしょ、と』
「は……っ!?」
有り得ない。嘘だ。
女は、俺がこの手で確かに殺したその女は、まるで何事も無かったかのように、起き上がった。
†
結構痛かった。そんな風に、身体のほうは感じていたみたいだった。一瞬だけど連結が解け、制御が外れてしまった。
自分の身を見下ろしてみると、胸の辺りに銃創があり、そこから血液が流れ出ていた。それはコートを染めながら足へ伝わり、地面へと滴り落ちている。
これは洗濯するのが手間だろうな……いっそ新調したほうが早いかもしれないな。
『……気は済んだ?』
少し不機嫌な調子になってしまうのを仕方ないと思いながら、わたしはわたしを殺した男を見上げるように見据える。
「ぁ、え、な、なんで……!?」
男が困惑しているのを見て、なんだか可笑しみがこみ上げて来て、わたしは無邪気に笑ってしまう。
『あはは、「なんで」だって。もう答えを知っているはずなのにね。
あなたの中で、もう答えは出ているはずよ。わたしが何者で……何者でないのか』
†
そう言って、女は、どこからともなくそれを取り出した。
それはどう見ても裁定に使う鋏で、ただそのスケールだけがけた外れに違っていた。
女の右手に収まった柄と呼ぶべき場所から延びた刃は、俺の足元数十センチの位置に突き立っていた。
『さて』
女が指を開くと、閉じていた刃が広がり、跳ね上がった刃の切っ先がこちらの喉元に突きつけられる。
「っ!?」
声もなくのけぞるが、背後には壁がある。退くことは出来ない。
命の鼓動が耳元で煩く鳴っているのを感じた。
†
『わたし、焦らすのって好きじゃないのね。だから一息にシてあげるけど。
最期に言い残しておくこととかある?』
「お、俺が……」
『俺が死んだところで第二、第三の俺がー、とか、下らないこと言うとあぶないよ?
ほら、わたし、笑いの沸点低いから。思わず手を滑らせちゃうかも』
先ほどのことを思い出して、思わずお腹を抱えて笑いそうになって、支えを失った鋏がぐらりと傾く。
「ひ、ィ……!?」
『――っとと。ほら。ね?
だから言葉は慎重に選んでね。まぁでも、これが最期になるんだから、言いたいことを言いたいだけ、っていうのも、わたしはアリだと思うのね』
「み、見逃し」
『それはだめ。だーめだーめ。わたし、これがシゴトなのね。今日は偶々あなたが相手だったけど。
それに、忘れちゃったのかな? あなたはわたしを殺したんだよ? だからわたしは此処にはいないんだから。
此処にいないわたしに殺されることになるあなたも同じなのね? だから、それはできない相談ってやつかな』
「は……?」
『あ、難しかった? ごめんね、でも他に言い方わからないから』
†
『――さて、そろそろいい? 次のシゴトもあるから、早めに済ませたいのだけれど』
女が、巨大な鋏を両手に構え直す。巨大な二枚の刃が首横にあてがわれ、血の気が失われていくのを感じる。
『ひとつ注意しておくことがあるの。いい?』
女が身を乗り出し、至近距離からこちらを見上げてくる。濃い血の色に混じって、甘い匂いが鼻につく。
不意の接近に、死の恐怖とは別の意味で心が跳ねる。
『あなたはこれから死ぬわけだけど、ちゃんと”死んだ”と思わないとだめだからね?
そうしないと、いわゆるひとつの「お化け」になっちゃうから。わたしとしてもそれは困るし、あなたにとっても良くないのね。
だから、ちゃんと死を自覚してイくこと。いい?』
女の言葉の一割も理解できていただろうか。俺はただ、その女の美しさに見惚れていただけで。
最後にその肌に触れてみたいと思って。
†
男が、不意に手を伸ばしてきて、わたしの頬を撫でた。
『……ちゃんと聞いてた?』
それをくすぐったいと思いながら、手を放すわけにもいかないので、されるがままにしておいた。
どこか呆けた表情で、男は曖昧に頷いて見せ、
「……君は、一体?」
†
女は一瞬きょとん、とした表情を見せ、それから何かがツボに入ったのか、可笑しなものを見るように顔を綻ばせ、小さく笑って、最後に告げた。
『わたしは死神――タナトス。機会があれば、また逢いましょう?』
痛みはなかった。
†
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