あたしのヒーロー

小雨路 あんづ

前編

 あたし、川原えるにとって、加々美なぎさはヒーローだった。


 あたしは小学3年生のとき、やさしい日ざしの中このまちに引っ越してきた。

 お父さんの仕事場が変わったから、生まれいままで育った村を出てきたんだ。

 となりの家のおじさんとか、お父さんの会社の仲間たちはほんしゃきんむとか、えいてんだとか言ってよろこんでいた。


 2月のおわりに村を出ることを聞いて、3年生からあたしはむこうの町に引っ越すらしい。

 まだはる休みになってもいないのになんではる休みのあとのはなしをするんだろうって思ったけど、時間がかかるのは『大人のじじょう』というやつらしかった。


 お父さんの話はよくわかんなかったけど。

 ただ、あたしはここからでていく、大好きなこの村からいなくなるんだということだけはわかった。

 まどの外にちらつく、前の年よりもおそくふりだした雪。

それをみながら、あたためたオレンジュースのすっぱさにすこし涙がでた。


 本当のことを言うと、友だちとはなればなれになるのはさみしいし、こわかった。

 お母さんがいないから大変だろうと言ってお料理をおしえてくれた、となりの家に住むツルちゃんに会えなくなるのもかなしかった。

 はじめてツルちゃんに手伝ってもらわずにカレーを作れたとき、味見をしながらあたまをなでてくれたあのしわくちゃな手もすきだった。

 なによりも、両手では抱えきれないほど、思い出がある村を出るのがいやだった。


 まちに行くと知ってうらやましがる友達には自慢するかのようにしてきたけど、さよなら、といわれて、山でみつかる花たちでつくったちいさい花束をわたされて抱きつかれたときにはつい、泣いてしまった。




 あたらしい学校で、髪の毛が金色で目が青いという容姿でみんなの輪に入ってきたあたしは、あきらかにはじかれた。

 

 ここの学校は4年生になるまでクラスがえはないみたいで、みんなが自己紹介をしないなか、あたしだけは前にでて、お名前と好きなたべものとか、話してくれる? っていわれた。だけど、きんちょうしすぎてあたしはなにも話せなかった。

 前でもじもじしているあたしをみてしかたないから、先生がかわりに話してくれるのを聞いて、お花が好きなのよね? といわれてうなずくことしかできなかった。


 それに、さすがに小学校の3年生にもなるとなかよし同士で集まっていて、その子たちにあたしのほうから声をかけることなんてできなかった。いやがられたら、こわいから。

 その日は始業式だけでおわって、じろじろとみられる全校しゅうかいのなかあたしは下をむいてたえることしかできなかった。校長先生の話はあたまに入ってこなかった。




「加々美くんは、もうすぐお引っ越しするので今日から学校には来られません。」


 次の日、朝の連絡で先生がそういったらみんなからえーっ、と大きな声がかえってきた。

 そういっていたのは特に女子で、男の子もなんだよーとかいってたけど、それの何倍も大きな声で理由を聞いたり、泣き出す子までいた。


 加々美くんは人気者らしかった。


 給食のとき、みんな班になって向かいあってたべるのにあたしのまわりの子たちはちらちらとこちらをみてあたしとつくえの距離をあけて、ゆがんだ長方形をつくった。

 朝の出席かくにんのときはあたしのときだけみんな静かにするし、授業で先生にさされたときもそうだった。いつだってあたしのときだけ、みんなおかしかった。      

 

 一番つらかったのは体育のときにじゅんびたいそうを一緒にしてくれる子がいなかったこと。

 この学校に転校してはじめての体育の時間。あたしはたったひとりで、ぽつんといて。着なれない体育服のすそをぎゅ、とにぎっていることしかできなかった。

 うしろを通っていった風。みんなが楽しそうに笑うなか、風にすら笑われているような気がして口の中をかんでいないと泣きそうだった。


 それから先生があたしと組んでくれてほっとしたけど、ドッチボールでは結局だれもあたしに当てようとはしなくて、そのおかげでチームは勝てたけどみんなどこかつまらなそうだった。  

 そのときから体育はきらいになった。口の中をかんで泣かないようにするのも、今ではもうくせになってしまった。

 

 でも、いちばんきらいなのは、きらいになったのはあたしが英語をしゃべれないことをばかにするクラスの男子たち。

 前にいた学校ではなかったのに、あたらしい学校には英語の授業があった。        


 学校がはじまって4日めの金曜日5時間目。週に2回しかない、英語の時間。友だちとふざけて使っていたくらいの、ろくにしゃべったこともない英語をあたしは話せるはずもなかった。

 それを先生から言われて、教えてあげてね。とほほえまれてうなずいていたのに、いざ英語の時間になると


「ガイジンのくせに英語しゃべれねぇのかよ」

「ガイジンのくせにわかんないとか変だよな」


 先生がプリントをとりに行ってるとき、数人の男の子があたしのつくえの前に来てそうやってばかにした。

 その子たちのすき間のむこうに見えた女の子たちはなにも言わなかったけれど、あたしの方をみてわらったりこまったような顔をしていた。


「ガイジンのくせに」


 そうやって言われるのが、あたしはなによりもきらいだった。

 たしかに、あたしのお母さんは外国の人だったらしい。

この髪の毛も目も、お母さんがくれたものだ。あたしを生むために死んでしまったお母さん。ほかは全部お父さん似だといわれるあたしの、お母さんの子どもであるたったふたつのあかし。

 

 それをばかにされて。くやしくて、あたしの味方はいないと言われているようでかなしくて。

泣かないようにかみしめた口の中が変な味がして、わけがわからなくなって。気がついたら、教室をとびだしていた。


 だめだってわかってたけど、ろうかを走って階段をおりてうわばきのままげんかん口から出て、校しゃのうしろにある門から帰ろうと思った。朝、いつも学校に来るときにあいていたから。いまもあいていると思って。

 

 帰りたかった。こんなところに、もう居たくなかった。このまま走りつづけて、大好きなあの村に、帰りたかった。




「ぶつかるぞ」


 口の中をかみながら必死に走っていたあたしは、

 聞こえた声に急ブレーキをかけてみえた唯一のにげだし口にびっくりした。声にも、びっくりした。

 

 門は閉まっていたから。

 あたしがどんなに一生けんめい押したって、引いたってあきそうにないくらいに。あたしの首くらいの高さにあるかぎはしっかりと閉じられていて、その上からくさりでぐるぐるまきにされていた。

 

 そんな門をみて、こういうのをなんていうんだろう。ぼうぜんとした、とかだった気がする。

あたしはぼうぜんとして、がまんしていたなみだがぽと、と地面に落ちた。

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