人界旅行記

長閑

1章:ようこそ、白荘へ。

コンコン


部屋の扉をノックする音。

まだ引っ越して来て間もないのに、誰だろう。


「はいはい。今開けますから」


僕はそう言いながら、発動させかけていた術式を解き、床に並べていた札を拾い集めた。


端から見れば、ただの薄汚れた半紙の切れ端みたいな物を床に大量に並べて居る人が部屋から出て来た、なんて思われたら、変な噂が立つに決まっている。


そんな事になったら、任務への影響云々以前に、自分がご近所の方から向けられるであろう視線に耐えられない。


そんな事を考えながら、全ての札を拾い集め終えた僕は、それをポケットに突っ込みながら、玄関の扉を開けた。


「すいません。お待たせしました――って。何だ、管理人さんじゃないですか」

「はい。実は、まだお伝えしていなかった事があったので」


そこには、ついさっき、僕をこの部屋に案内してくれた、アパート『白荘ましろそう』の管理人である、ましろ 禊琳けいりんさんの姿があった。


「そ、それで、伝えてなかったことって何ですか?そういえば、資源ゴミの回収日とか聞いて無かったですけど」


清楚で美人な管理人に、緊張から、少し固くなりながら僕は尋ねた。


「あの、人間界で、勝手に術式を使わないで下さい」

「あっ、すいません。やっぱり駄目ですかね、許可無しじゃ。人間界ならいけるんじゃないかなって思って――え、」


僕の意識は、そこで途切れた。






***






数日前、地獄。


「人間界で諜報活動。僕が、ですか」

「そうそう。君は人間にそっくりだからねぇ。ちょこっと人間界に行って、そっちの様子を見てきて欲しいんだよねぇ」


突如として玉座の間に呼び出された僕は、地獄の頂点に君臨する、閻魔様から直々に任務の依頼を受けた。


「人間に似てるだなんて言わないで下さい。それに、そんな未開拓地での諜報活動なんて、僕には荷が重すぎます。誰か他の鬼を――」

「またまたぁ。そんなに謙遜しないの。キミは知識人で、他の世界の事にも詳しいって、キミの上司からちゃんと聞いてるよ。それに、キミがコンプレックスを感じているその外見をプラスに使える絶好の機会だと思ったのになぁ」

「しかし――」

「そんなことより。私は今からお昼なんだ。君も一緒に食べるかい」

「いや、そんなことって――」

「ちょっと料理人。この大根味染みてないよぉ。料理人、おでんくらいちゃんと作れよぉ」


現在、鬼が住む地獄を統べる閻魔様はこんな感じで、どこか抜けている感じがする。でも、この閻魔様のお陰で地獄は大分暮らしやすい場所になった。


閻魔様は針の山の針を全部伐採。植林を行いエコに貢献。一方で、古くなった三途の川の堤防を補強、改修工事を行い、その年の水害を大幅に防ぐ等々、閻魔様の功績は語ればきりが無い。


そんな訳で、僕は偉大なる閻魔様からの命を断る訳にもいかず、人間界へと向かう支度を始めた。






***






「さぁて、準備は完了かな」

「はい。何時でもどうぞ」


同日深夜、僕は閻魔様と宮廷の庭で人間界へ向かう最後の準備を行った。


「これから人間界へ繋がる通路を開く。君はただ進むだけで大丈夫だから。向こうについたら、ちゃんと報告をすること。定時連絡もだからね」

「任せて下さい」


僕は力強く頷いた。


「それにしても、キミの格好は随分変わっているね。それが人間の服なのかい」

「はい。上半身に着ているのがTシャツ。下半身はジーンズ。そして足にはスニーカーを穿き、極めつけにセグウェイに乗る。これが極々自然な人間の格好なんです」


「面白い面白い。人間界植民地の候補にして正解だったよ、これは」

「え、植民地」


閻魔様の発言に、思わず僕は耳を疑った。


「あれ。言ってなかったかなぁ。今回の任務で、人間界が私達鬼にとって住みやすい世界だったら、植民地――というより、第二の故郷的な場所にしようかなぁ、って思ってるんだよねぇ」

「確かに、最近の地獄の人口増加は異常ですからね。そこまで考えているとは、流石閻魔様」

「そんな。たいしたことないよぉ」

「そんな謙遜なさらずに」

「君の性格が移ったんだよ」


そんな他愛の無い会話で空気を和ませた僕と閻魔様はそうして、通路を繋ぐ術式が使いやすくなるまでの短い時間を過ごした。


そして、いよいよ出発の時。


「そろそろだね。最後のチェック、大丈夫かな」

「はい。こいつも絶好調みたいです」


僕は閻魔様に応えながら、セグウェイのハンドルを握り締めた。


「――――――」


閻魔様は術式を発動させたのか、目を閉じ、小さく何かを呟く。

すると、閻魔様の懐から札が数枚飛び出し、等間隔で宙に定置する。

やがて札と札は次第に術によって繋がり合い、異界へと繋がる円い門を形成した。


「ようし大成功。もう通って大丈夫だよ。」

「ありがとうございます。それじゃあ閻魔様、行ってきます」


閻魔様の言葉を受けて、僕は門に向けてセグウェイを前進させる。


「待って」


僕が門を潜ろうとした時、閻魔様が僕を呼び止めた。


「はい、何でしょうか」

「もう一つ、忘れ物があるでしょう」


急に僕のもとに歩み寄って来た閻魔様は上目遣いで僕を見る。


月明かりの下、見つめ合う二人。


「人間界に行っても、忘れないで欲しいな」

「大丈夫です。忘れるわけ無いじゃないですか」


さっきとは打って変わって、急に寂しげな表情を見せる閻魔様。

何故だろう。胸の鼓動が高鳴ってきている。


「うん。君が忘れるなんてことは無いと思う。私もそう思ってる。でも――どうしても不安――だから、最後に――」


そう言いながら、閻魔様は僕に更に歩み寄る。

セグウェイに乗った僕を見上げる閻魔様の、まだ幼さの残るその顔は、月明かりに照らされて、どこか妖艶な雰囲気も漂わせていた。


「閻魔、様――」

「だから――だから、これを持って行って」


閻魔様は、突然異空間を作り出したかと思うと、そこから風呂敷に包まれた何かを取り出し、僕に差し出した。


「閻魔様、これは」

「何って、『おでんせっと』に決まっているじゃない。地獄の名物でしょ。まさか、もうすでに忘れちゃってるのぉ」

「いや、そうじゃなくてですね――」

「まったく、君って鬼は。いいかい、人間界の生活に疲れたときはこれでおでんを作って食べること。そして思い出して。地獄の鬼達は、いつでも君を見守ってるって事を。あ、ちなみにその『おでんせっと』は絶賛竹輪増量中だから。開けて驚くなよぉ」


早口でまくし立てながら、僕に『おでんせっと』を手渡した閻魔様は嬉しそうに胸を張る。


「ありがとうございます。僕、一生懸命頑張りますから」


僕の胸の高鳴りはどこかにいってしまったけれど、閻魔様の気遣いや、その無邪気な笑顔を見て、僕の今回の任務への気持ちは一層高まった。


「それじゃあ今度こそ、行って来ます。竹輪、ありがとうございます」

「大根はおでんのスープをしっかり染み込ませるんだよぉ」


閻魔様に手を振りながら、僕はセグウェイを走らせ、人間界へと続く門を潜った。






***






「出た。ここが人間界か」


門を潜り、暗闇の中。遠くに見えた明かりに向かって進んだ僕は、遂に人間界に辿り着いた。


「ここは確か――『公園』という場所だ。子どもの人間が遊ぶ所だって、地獄にあった書物には書いてあったな」


僕は早速、目の前にあった公園の隅にあったベンチに座り、これからのことについて考えることにした。

書物で読んだ限りでは、人間は僕達鬼と同様、家を建てて住むようで、公園の周りには、その家らしき建物が幾つも建っている。


「まずは家を買って、住処を手に入れなきゃ」


そんな事を呟きながら、持ってきた荷物の中から『世界の歩き方-人間界編』を開き、目を通していた時。


「あの、すいません」


突然、頭上から声が聞こえた。



「――え、僕ですか」

「はい。何をしているのかな、と思ったので」


僕が顔を揚げると、そこには一人の少女が立っていた。


「何って、公園のベンチで本を読んでいただけですよ。どこかおかしいですか」

「おかしいも何も、ここはベンチじゃなくてシーソーですよ。そんな所で気難しそうな顔をして本を読んでいるなんて。しかも、傍らにはアレです」


少女は僕がベンチの近くの木に立て掛けていたセグウェイを指さす。


マズい。

少女の話から推測するに、僕はとんでもなくトンチンカンな会話をしてしまったらしい。


人間界に来て数分。

最大の危機。


「え、ええと。いや、ちょっと、その、ですね」

「はい、何でしょ――」

「あのっ、シーソーで本を読んでたのはたまたまなんです、たまたま。それに、あのセグウェイは僕のじゃないです。だから、勘違いしないで下さい。お願いします。僕は普通です」


さよならセグウェイ。ありがとう、そしてごめん。ここに来るまで凄く快適だったよ。

そんな思いも込めて、僕は彼女に向かって即席の言い訳を並べながら、反射的に頭を下げる。


「いや、謝られても困ります。それに、そもそも誰が何処で何をしようと本人の自由だから、私の口出しも余計なお節介なんだけれど――」


彼女も、僕の言葉を受けて、それ以上の追求はしないように感じられた。

もしかすると、これは話を自然な流れに切り替えるチャンスじゃないか。


「いえいえ、確かに僕みたいな事をしていたら誰だって気になりますよね。ところで、僕は遠い国からここにやってきたばかりで、何の宛ても無く、困っているんです。もしどこかに住める場所があったら教えて欲しいんですけれど、何かご存知ですか」


僕は、この少女から情報を聞き出し、人間界で家を手にいれようと考え、話を切り出した。


「ええと――。もし貴方が良ければ、の話ですけれど、私のアパートに住みませんか」

「あ、あぱーと」

「小さい家みたいなものです」


少女からの返答は、夢のようなものであった。





***





「こちらです。どうぞ」

「うわあ、綺麗な部屋ですね」

「気に入っていただけたみたいで何よりです」


人間の少女と、突然の出会いを果たしてから数分。ついさっきまでの悩みが嘘であるかのような話の進み具合に、僕は人間界での生活に心躍らせていた。


「どうですか。今日からここに住んでもらっても構いませんよ」

「ほ、本当ですか」

「はい。空き部屋にしておくよりは、誰かに貸していた方が、こちらにとっても良いことですから」

「それなら是非。お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます。」


僕は再び少女に頭を下げる。


「宜しくお願いしますね。」

「こちらこそ。そういえば、まだ名前を――」

「そうでした。自己紹介がまだでしたね。私はこの白荘ましろそうの管理人をしている、ましろ 禊琳けいりんと言います」

「白さんですね。改めて、宜しくお願いします」


まだ大人ではないだろう外見の割に、清楚で綺麗な人間だな。

と、そんなどうでもいい事を考えながら、同じアパート内にある大家、もとい白さんの部屋に移動した僕は、白さんから再度詳しい説明を受け、この部屋を借り入れる契約を結んだ。


「それでは、私はこれで。分からないことや聞きたい事、他にも何かあったらいらして下さい。」


契約後、部屋の簡単な掃除まで手伝ってくれた白さんは、『失礼します』と一言告げると部屋を出て行った。


「ふう。取り敢えず住む所は決まったし、閻魔様に連絡しようかな」


僕はピカピカのフローリングの床に、地獄から持ってきた、術式を並べ、早速地獄との交信を試みた。






***






「――ん、あれ――」

「目が覚めましたか」


何だか頭がぼうっとする。

僕は何をしていたんだろう。

僕は記憶を遡る。


確か、白さんが部屋を出て、僕は地獄と連絡を取るために術式を使って、その後は―――。


「白さんっ」

「は、はい」


僕は、横になっていた布団から跳び起きる。すると、すぐ近くには驚いた顔をした白さんが座っていた。


「どうしたんですか。いきなり跳び起きたりして」

「どうしたも何も、こっちが聞きたいですよ。だって、術式って、僕は――」

「ちょっとちょっと。ちゃんと説明しますから。取り敢えず、これを飲んで落ち着いて下さい。ほら」


白さんは、僕に温かい緑茶を差し出し、自分の分の緑茶を一口含む。


「落ち着きましたか」

「はい。それじゃあ白さん、改めて説明して貰えませんか。何で僕の術式が分かったんです。あなたは一体――」


「はい。私は白禊琳。ここの白荘の管理人と、この一帯の人間を異界の脅威から守る、『退魔師たいまし』という仕事を掛け持ちしています。」

「『退魔師』ですか。それに異界なんて。じゃあ、ひょっとして僕の正体も御存じなんですか」

「いえ。私にそこまで知る力は無いですよ。私が動いたのは、あなたが術式を使った事を感じ取ったからです。退魔師は、守る事が主な仕事ですから」

「それなら、僕が何もしなければ、これ以上の追求は無い、ということに」

「いえ。残念ながら、そういう訳にはいきません。あなたにはこのまま白荘に住んでいただきます。勿論、術を使うことは禁じます」


なんて事だ。

幸先の良いスタートを切れたと思っていたのに、こんな落とし穴が待っていたなんて。


「あなたは何処からやって来たの?目的は?」

「そんなこと、簡単に言えるわけ無いじゃないですか。」

「――私としては、力ずくで聞き出す。なんてことしたくないんです。どうしても教えてくれませんか」


何だか白さんの放つ見えないオーラみたいなものが段々強くなってる気がする。

いや、気のせいじゃないよな、多分。


「――実は、僕は地獄からやって来た鬼なんです。」

「地獄。閻魔天烈禍えんまてんれっかが支配してる、あの地獄のことですか」

「はい。それで――」


ここまでは素直に話す。

でも、このまま全てを話すつもりは無い。

僕にだって、任務を達成する事をまだ諦めたつもりは無い。

邪魔者はまともに相手をせずに、最後まで油断させておくんだ。


「じっ、実は、今度地獄のみんなで異界へ旅行に行くことになりまして、候補の一つになった人間界の下見に来たってだけなんです」

「駄目。そんなの即却下よ。地獄の鬼や閻魔天が人間界に旅行ですって。現代版百鬼夜行でもやるつもり」


白さんは身を乗り出して僕に詰め寄る。

あはは、

油断させるどころか、煽ってしまった。


「それなら尚更あなたを自由にするわけにはいかないわ。単身でこっちの世界に来たって事はそれなりの地位にいる鬼ってことでしょう」


ますます白さんのオーラが強くなる。


「ちょ、ちょっと白さん。落ち着いて下さい。はい、お茶ですよ」


僕は白さんの湯飲みに急須のお茶を注ぎながら、白さんを必死に落ち着かせる。

何だかさっきと立場が逆転してるような気がする。


「僕はそこまで位の高い鬼じゃないです。ただ、見た目が人間に似ているからっていう理由で派遣されただけなんです」

「と、いうと」

「だから、特別強い力があるわけでもないし、人間に大きな被害を与えるなんて僕には無理ですし、そんな気もないです」


「ううん。仮にあなたの言葉を信じたとしても、やっぱりこのまま自由には出来ないわ」


暫くの沈黙の後、お茶を一口含んで、白さんはそう言った。


「そんな、どうして」

「力の強い異界の者は存在するだけで人間に影響を与えるものなの。人間は貴方が思っているより弱い生き物だから。今回の地獄側の思惑は、簡単に言えば社員旅行みたいなものでしょ」


正直言うと、社員旅行よりかは、テラフォーミングと言った方が正しいです。

そんなことを考えている僕に、白さんは続ける。


「そんな大勢の鬼が人間界に現れたら、その影響は途轍もないものになるわ。だからあなたには人間界で人質、つまりは抑止力になってもらうわ。まあ、こちらと地獄の間で、然るべき取引が済むまでの話になるでしょうけれど」



結局、僕は白荘で、白禊琳さんの監視下に置かれる事になってしまった。

人質にする、と言っていたから、殺されることは無いと思うけれど、術式を使えば人間に悪影響を与えるからと、また白さんが止めに入るだろう。

それはつまり、地獄への連絡が不可能になってしまったということでもあって。


人間界に来てまだ一日と経ってもいないのに、状況は最悪。

これから僕は、一体どうすればいいんだろう。

取り敢えず、術式を使わない、日記という形で、人間界で体験したことを逐一記していこうと僕は思った。


いつの日か、この日記が役立つ事を願って。

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